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放射線被害はもうゴメンだ!

フォトジャーナリスト森住卓さん訴える

 12月3日(土)午後、佐世保市で、「世界の核汚染と福島」のテーマで、フォトジャーナリスト・森住 卓さんの講演会が開かれました。原水爆禁止佐世保協議会と佐世保市平和委員会が主催し、佐世保市内及び川棚、佐々、平戸、松浦などから、80人余が聴講しました。

 森住さんは、イラクやカザフスタンなど世界20ヵ国に出かけて、戦場や核汚染、自然災害の現場を取材しています。森住さんは、NHKからイラク問題の番組に出演を依頼されましたが、劣化ウラン弾の被害についてNHKが正面からとりあげる態度でなかったので、それでは、被害に苦しんでいるイラクの人たちの願いを叶えられないとして出演を断ったという正義のジャーナリストです。

 森住さんは、「福島で起こっていることを知ってほしい。安全神話で塗り固められた原発が、いったん事故を起こしたなら、取り返しがつかないことを、私の取材してきたことで知って欲しい」と、映像を写しながら、講演されました。

【セミパラチンスク】

旧ソ連の核実験場がおかれたカザフスタンのセミパラチンスク21(現在のクルチャトフ市)に、森住さんが初めて取材に入ったのは1994年でした。

ここは面積18,500k㎡(日本の四国ほどの広さ)で、2万人の科学者と軍人、その家族が住んでいたそうです。 

実験場にされたカイナール村では、1849年~1995年の間に、467回の核実験が行われました。

放出された放射性物質は、チェルノブイル原発事故の5,000倍と言われます。その被曝者は、推定で百数十万人とのことです。

1953年8月12日、水爆実験が行われた際、住民は避難させられましたが、42人の男性には残留が命ぜられ、もちろん全員被曝し、その後、癌などで亡くなっていき、1人のみ生き残った人が居ます。モルモットにされたと怒っています。

実験後、村に戻った住民たちも、癌になったり、畸形児が生まれたりしています。しかし、それを核実験のせいだとは言えず、沈黙を強いられたそうです。

死亡診断書には「精神衰弱」と書かれています。

実験場跡の近くの放牧で生まれた6本足の子牛、ダウン症や水頭症、さまざまな畸形と病気を抱えた子どもたちの映像・・・。

【イラク】

イラク戦争開戦前夜から占領下を含め通算8回、森住さんはイラク各地を取材しています。

劣化ウラン弾などによる放射線被害に苦しむ人々の写真・・・。

1991年の湾岸戦争、南部砂漠地帯でイラク軍戦車への攻撃に、2003年のイラク戦争、バスラ、バクダッド、ファルージャなどの戦闘で、米英軍が劣化ウラン弾を使用しました。

その後、白血病、癌、畸形児が急増しました。それ以前のイラクでは、白血病は珍しい病気だったそうです。

劣化ウランの重金属の毒性と放射線の影響と考えられます。特に子どもがひどく、ある病院では、「毎日、子どもが亡くなっている」状況でした。

当時、イラクへの経済制裁のため、医薬品が手に入らず、治療もままなりませんでした。

末期症状で、腹水がたまりパンパンに腹が腫れ上がった子どもの映像。1週間後に死亡したそうです。

無脳症の赤ちゃんの映像。生まれて30分後に死亡しました。

イラク侵略戦争開始1週間前に、弾薬補給艦キラウエアが、佐世保の前畑弾薬庫から弾薬を積み込み出航しました。その弾薬の中に劣化ウラン弾が含まれたていたかも知れません。それを思うとき、佐世保での平和運動が、これを阻止できなかった責任の重大さを痛感します。

【フクシマ】

森住さんたちJAVA(日本ビジュアル・ジャーナリスト協会)のチームは、3月13日、大震災と原発事故直後の福島に入りました。

その時の映像か映し出されました。

双葉町役場前で、1000ミリシーベルトの放射線検知器も振り切れ。
・「チェルノブイル以上だ」の声
・「原子力郷土の発展豊かな未来」の看板
・14:47で止った時計塔
・第一原発から50km 伊達市布川で、
・検知器40マイクロシーベルトの表示。
・周りの人に避難を呼びかけ、店じまいして避難する人
・第一原発から南東の飯舘村で、
・公民館や消防詰め所の近く 検知器100ミリシーベルトの表示。
・出合った女性に避難をよびかけたが、キョトンとしていた。
・飯舘村の酪農家を取材、
・酪農家11軒 救援の手もなく、廃業を決めた。
・3月21日、牛乳が出荷停止になった。牛の健康のために乳を絞る。そして捨てる。牛乳が売れない、だから餌が買えない。
・畑に捨てた牛乳は、脂肪が固まって地面に沁みこまない。
・牛を処分場へ送る。
・「ごめんね 許してね」とトラックにすがる女性。
・最後の記録にと、泣きながらビデオを撮る男性。

【講演会の感想文から】

(2011年12月4日)