5月21日、作家の落合恵子さんと評論家の佐高信さんとの対談講演会が開かれました。同実行委員会と二人が呼びかけ人となっている憲法行脚の会の共催。
テーマは「『いのちの感受性』ー今、共に生きるということ」で、福島第一原発事故の話題が中心となりました。
原発マネーで買い占められた「原発神話」
佐高信さんは、青森県知事選で電力業界が原発推進派候補の応援演説を1億円で買収したことを生々しく紹介しました。そして原発戦犯ともいうべき「文化人」が原発PRに起用され、原発マネーで世論が買い占められてきたことを強調しました。
この元凶は原子力予算をつけた中曽根康弘で「うるさい学者の頬を札束でひっぱたく」と豪語し、原発はその導入時から金で反対意見を黙らせるものだったことを指摘しました。
「まるで原発などないかのように」生きてきてしまった私たち
落合恵子さんは、危険性を知りながらも「まるで原発などないかのように生きてきてしまった」ことを自省。そして米先住民のダイアン・モントーヤさんが語った言葉「何かを決定するとき、たとえ便利であったとしても私たちは7世代先の子どものことを考える。そう教えられてきた」を紹介、自分たちの世代の「落とし前」として、残りの人生、脱基地・脱原発に取り組んでいきたいと決意を語りました。
また学校での許容線量とされた20ミリシーベルトについて、実態を見ていないと批判、「安全神話」を垂れ流した人たちが事故後は「安心神話」を垂れ流していると強調しました。
それでもフクシマをきっかけに若い人たちが運動に参加する芽生えがある。市民はステキだ。地震も、原発事故も慣れてはいけない。人間としての感受性の部分で反対し、学習して論の部分でも反対していこうと呼びかけました。
★対談では……
二人は、海外のメディアが「我慢強い日本人」と評価しているが自分の権利として我慢してはいけない(落合)、我慢しないやつらが我慢を押し付けている(佐高)、責任をとらないやつらが自己責任と言う(落合)、と政府の「洗脳」に警鐘を鳴らしました。
運動はNO!と言うのと同時に「YES」をちゃんと言わなくてはダメ(落合)、少数だからこそ「自分を売らない」ためにお互い認め支えあい、「1人じゃない」と確認できることが必要(佐高)、と運動論・生き方についても言及しました。
(2011年5月23日)