12月2日の国際シンポジウムを皮切りに、5日まで、「日本平和委員会in佐世保」が開催され、県内外から1300人が参加しました。沖縄県知事選挙で示された「普天間基地の県内移設反対」の民意に連帯し、そして過去最大規模の日米共同演習に抗議する大会ともなりました。
国際シンポジウムではコラソン・ファブロスさん(フィリピン外国軍事基地撤去国際ネットワーク・アジア太平洋代表)が沖縄県知事選挙の闘いを讃え、「いつの日か沖縄と日本から米軍基地をなくすことが出来る」と話して下さった事に、大きな喜びと励ましを頂いた気持でした。
04年に佐世保で開かれた平和大会でも、フィリピンが米軍を追い出したが、その後の訪問軍隊協定によって再び米軍が押しかけて来る話を聞きました。その時も、いつの日か米軍基地をなくす事が出来るという展望をもちました。コラソンさんとフィリピンのたたかう仲間たちは、その後の様々な困難に遭いながらも、諦めず米政府と闘い続けています。
沖縄の大西さんは、開口一番知事選に勝利出来なかったことを、わびられましたが、会場にいる私たちは沖縄県民の闘いが、日本政府と米国をここまで追い詰めたという気持、認識でした。仲井真知事が「県外移設」を途中で言い出し選挙を乗り切ったのですから。これからの知事の言動や行動を私たちは厳しく見届けなければいけません。
韓国のイ・ジュンキュさんは、1973年生れで朝鮮戦争を体験しない世代。「北朝鮮のヨンピョン島砲撃はショック。今回の事件で実感したのは朝鮮半島の平和協定の必要性であり、その課題を現実に移すために取り組むべきだ」と語りました。
アメリカのジョセフ・ガーソンさんは、「沖縄の人々の抵抗と闘いの歴史は、私たちが闘えばいつか全ての米軍基地を撤去することが出来る証明だ」と語りました。
30年以上にわたり戦争で苦しんでいるアフガニスタンからの報告は、70%の国民が清潔な水を飲む事ができず、乳幼児死亡率は1000人あたり257人という現実。日本政府に求めたい事は、軍事的な支援ではなく病院などの民生支援だと訴えました。
日本平和大会のスローガン「核兵器も基地も軍事同盟もない平和な日本とアジアを」の実現がより身近に感じられました。ここを目指して、それぞれの国民の闘いが強まれば、必ずや「平和な日本とアジア」の実現にたどりつくと実感した大会でした。
3日の基地調査行動には県外から約500人が参加し、3コースに分かれて、陸上から海上から基地調査を行いました。Bコースは、最初に前畑弾薬庫を巡りました。民家が隣接している状況や、針尾弾薬庫への移転に1000億円以上の「思いやり予算が使われる」という説明に、納得がいかない様子が伝わってきました。海上からの基地調査では、出航するイージス艦「ちょうかい」と並行して走る場面もありました。また、佐世保港の対岸に位置する西海市横瀬では、LCAC基地の建設が行われており、山肌を削り、港湾整備工事を行っている状況が手に取るようにわかりました。
SSKの造船所前では、広がるドックの様子と、地位協定で米軍の強制使用が認められていることを説明すると、驚きの声が上がりました。弓張岳山頂では、専任ガイドの説明を聞きながら、眼下に広がる米軍基地や自衛隊施設の状況を熱心にメモに取る姿が見られました。参加者からは、基地化が進む佐世保の実態に驚きとともに、税金が「思いやり予算」として使われていることに怒りの声が上がりました。
(2010年12月5日)