対談する本島等さんと野中広務さん(右)
1月18日は本島等・長崎市長(当時)が「天皇に戦争責任はあると思う」と発言したことで右翼団体構成員に銃撃された事件からちょうど20年目の日です。あの事件以来、言論の自由、平和と民主主義に反する動きに警鐘を鳴らす「自由と民主主義を願う市民のつどい」が長崎市役所従業員組合によって続けられています。今年で第20回となるつどいでは、元自民党幹事長の野中広務さん(84)と本島等さん(87)が「戦争をしてはならぬ」をテーマに対談を行い、約400人が参加しました。
野中さんは軍国主義一色の時代に育ち、敗戦に大きなショックで自決を考えたといいます。しかし上官に「かけがえのない故郷をこれから戦争のない国に仕上げていくのが戦争で死ななかった者の務めだ」と、目が覚めるような訓示を受けたそうです。これがその後の野中さんの生き方を決定づけ、ふるさとから差別のない本当に平和な日本の発展に貢献できればと政治家への道を歩み出します。
野中さんはその時代に生きた政治家としての責任を強調します。野中さんは「満州国」の時代の残骸がどのように修復されているかを見に中国に何度も足を運んでいます。そして戦争の傷跡を修復していないのは日本だけだということを痛切に感じたといいます。そして残留孤児や遺棄化学兵器の問題など、戦後処理としてもっと政治家が責任を持っていればこんな悲劇は起きなかったと。
また小泉純一郎元首相を、「英雄のように振る舞いながらこの国をめちゃめちゃにし、拉致問題を通じて北朝鮮との間でも大きな壁を作ってしまった」と批判。「なによりも北東アジアの友好を深めて信頼関係をつくりあげ、日本の方から戦争の傷跡を修復しなければ、戦争の傷を癒すことはできない。その時代に生きた人間として心から、日本の恥ずかしさを感じている。自分も共通の責任者だ」と心のうちを吐露しました。
そして「市長が続けて銃撃された長崎で、若いみなさんが二度と暴力や戦争に加担しない流れをつくっていって欲しい」と述べました。
本島さんは、「原爆死も、戦地で餓死した140万人の日本兵も、日本軍によって虐殺された南京の人たちも、沖縄戦の犠牲者も、東京大空襲の死者も、対馬丸の悲劇も残酷さの極限」と指摘しました。そして「日清、日露、第一次世界大戦、太平洋戦争といった戦争を起こしたのは日本人だ。それが原爆投下につながった。アジアの人々に対して心からの謝罪なくして日本人の生きる道はない」と述べました。だから「戦争はしてはならない」という言葉は、世界の人々に言う前に、われわれ日本人に対して言うべき言葉だということを強調しました。
つどいでは、我が窮状ナガサキ合唱団が『我が窮状』『ねがい』を披露。「自由と民主主義が真に花開く社会を築くことを誓い、そのために力を合わせましょう」と呼びかけるアピールを確認しました。
(2010年1月19日)