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戦争体験が人生の軸に

平和委員会:戦争体験を聞く例会

「とにかく軍隊が嫌いだった」…11月19日に開かれた平和委員会の例会で三浦康さん(88)は何度も繰り返しました。父は医師(原爆投下後に新興善小学校で被爆者の治療に従事)という裕福な家庭に生まれました。親に殴られたこともなく、医者を継げとは言われず、好きなようにやれと言われ、戦前の軍国主義の洗脳教育の下でも、軍隊嫌いのやさしい子どもに育ったようです。

嫌々ながらも将校に

 三浦さんは長崎中学卒業後、久留米高等工業採鉱科へ進学。その2年生の時に太平洋戦争が始まったため卒業が半年早まりました。その後、佐賀県杵島炭鉱に就職したものの、1週間後には久留米で通信兵として入隊。「とにかくたたかれた」といいます。

 当初は拒否していた幹部候補生への志願も、たたかれて、無理やり志願させられました。試験は白紙で出しても下から2番目で合格。相模原の通信学校に8ヶ月後に将校になって、原隊に戻り、下士官をいじめ返したそうです。

 その後、佐賀に転属して通信隊の教官になりましたが、学徒動員の学生の教育に不熱心で戦地行きとなってしまいました。

中国で背負った十字架

 戦勝祈願のお守りも千人針も捨てて、洛陽まで歩兵隊の後について移動。新米将校ということで命ぜられて捕虜に・・・・。夜には脂汗が出て2週間、眠れなかったそうです。石家荘に1年あまりいて有線で暗号を使った通信や解読を行うなか、何度も命の危険があったといいます。日本の実効支配は点と線だけで、あとは中国共産軍の支配下でした。

 終戦を迎え、「良かった」と思うまもなく、国共内戦が始まります。侵入してきた蒋介石軍によって共産軍掃討作戦に参加させられることに。佐世保に引き揚げることができたのは終戦の翌年でした。

戦後は労働運動の先頭に

 復員後すぐに杵島炭鉱に復職(入隊中は休職扱いで給料も出ていた)。戦争の原因は資本主義にあると思い、その勉強を始めました。そして炭坑現場の職員として労働運動に傾斜。賃上げを要求して80日間のストライキを組織したことも。社長は労務課長にするからと組合脱退をせまり、「魂を会社には売らない」と拒否したことで指名解雇に。福岡の諫山弁護士と法廷闘争を始めます。勝てた裁判でしたが家庭の事情で和解勝利で終結。

 その後、長崎に戻り、三菱の労働組合の書記を10年間務めます。組合分裂の困難な時期に書記労組の委員長もしました。

 退職後はビルの経営業に転身。また長崎民医連の設立に尽力。戦争中に「十字架を背負った」経験から日中友好協会を立ち上げ、50年関わってきました。「人生を貫く軸は?」との質問に即「戦争体験」と答えた三浦さんでした。

(2009年11月20日)