歴史の教訓を学び、戦争への流れを止めよう
平和委員会・戦争体験を聞く例会
1月22日、ながさき平和委員会の1月例会が開かれ、日本が戦争に突入していくまっただ中に青年期を生きてこられた田中實さんから戦争体験を伺いました。
田中實さんは1930年、東京生まれ。両親は長崎出身で、父親は陸軍憲兵学校に勤めていました。
満州事変が始まると一家は満州に渡ります。父親は憲兵分遣隊の隊長で給料も高く、水洗トイレのある裕福な生活を送っていました。その父親は田中さんを一人前の軍人にしようというスパルタ教育を行なったそうです。
1938年、父の死後、母・弟・妹と長崎に移り、その後、旧制長崎中に進みます。軍事教練が正課で、人を殺す訓練がずっと行なわれ、いかに立派に死ぬか、という教育がされました。田中さんは父親の影響と学校教育の刷り込みによって海軍兵学校をめざす「軍国主義の申し子」に育ちました。何の疑いもなく戦争で死ぬ気になっていて、25才までの人生しか考えたことがありませんでした。
そして1945年4月に、海軍兵学校の予科としてつくられた針尾分校に入学。この頃の海軍は、「戦後」を見すえ、兵学校生徒に将来の日本を支えさせるために、いたずらに戦争にいかせなかったそうです。軍事教練の授業は少なく、普通教育が多く、とくに英語教育が重視されました(敵国の英語教育はやめろという圧力に抗して)。そして終戦を迎えます。
田中さんは戦後、父親が731部隊の前身である陸軍化学試験所満州派遣部隊の仕事にかかわっていた−−逃亡した「実験材料」を捕まえる--ことを知り、大きなショックを受けたそうです。
田中さんは、「戦争体験者として一番訴えたいのは戦争は殺し合い以外の何ものでもない。非情な人間になる。殺すか殺されるか。正常な神経では戦場に立てない。そのためにあらゆることをやったのが戦前の教育だ」と述べました。
その上で、改憲論調や田母神問題などについて次のように指摘しました。
- 国家権力の中枢は軍隊・警察で、武器を持っている軍隊に文民統制がなされないとクーデターを強行するかもしれない。過去の軍隊を引き継いでいる部分が自衛隊にはある。しかし戦争のむなしさ、恐ろしさを体験した者が自衛隊からいなくなったとき、戦争を知らない、防衛大学出身者が中枢になると恐い。彼らは戦争を観念的にしか知らないから何をやるか判らない。それが田母神問題として表面化した。
- 田母神前空幕長は明らかに憲法99条(憲法遵守義務)違反。それを懲戒免職にできなかったのは自民党の体質と現在の運動の限界だ。安倍首相が辞めた後の緊張感が緩んだときが危険。彼らはいろんなことを何でもない形で蓄積させてくる。「いいことなんじゃないか」と多くの人が思うような形で。
- 憲法を変えようとする動きを侮ってはいけない。かつて大正デモクラシーと呼ばれた時代があったが、それが崩壊し、治安維持法ができ、弾圧・軍国主義の時代となってしまった。そこには「皇国史観」が台頭し、あらゆるものを1つの方向へ動かしていくということが行われた。
- いま静かに真綿で締められたようにひとつの方向に向けられている。その辺が一番恐い。昭和天皇が死んだときの「自粛運動」に抵抗できなかった。われわれは常に神経をとがらせておかないといけない。有事法制とか国民保護法とか。訓練の拒否がしにくい。巧妙にやって来る。戦前の隣組の訓練と同じ。ひとつひとつの動きに対して「危険だよ」という信号を出していかないといけない。平和委員会の役割は大きい。
- 歴史は自分の隣の人がつくるもの。隣の人を変えられなければ社会は変わらない。人を見るとき、敵というレッテルを貼ってはいけない。「教育」によって刷り込まれている部分が多い。自分が180度変わったように人は変わりうる。とくに物事をきちんと考えている人は容易に変わりうる。そのためには正論を貫き通すことが大事。しかし無関心層を変えるのはたいへん。戦争につながっていることを少しでも考えてもらえるようなきっかけをいかにつくっていけるかが課題。
(2009年1月23日)