ラッセンの長崎寄港に断固抗議する

 2月15日、米海軍横須賀基地配備のイージス・ミサイル駆逐艦ラッセン(乗員340人)が長崎寄港を強行し、小ケ倉柳埠頭に接岸しました。岸壁前のフェンスは港湾管理者である県の職員によって固く閉ざされ、自衛隊関係者や歓迎団体のみが中に入ることを許されました。

 ラッセンの入港にあわせ、安保破棄県実行委員会・原水協・平和委員会や平和労働センターなどがフェンス前で抗議集会を開き、「ラッセンの長崎入港反対」「寄港馴らしはやめろ!」「港の軍事利用反対」と抗議のシュプレヒコールを繰り返しました。

 県平和委員会などの集会では片山明吉さん(県原水協事務局長)が主催者あいさつを行ない、「日本各地にイラク戦争に参加した『血塗られた』米艦船が入港している。その米国は安保が地域の平和と安定に役立っていると主張しているが、沖縄や座間の実態を見れば、それがウソだということは明白だ。空母艦載機をめぐる岩国のたたかい、原子力空母配備をめぐる横須賀のたたかいは運動を勇気づけている。国民の力を結集してたたかえばアメリカの不当な要求とそれに追随する日本政府を変えさせることは可能だ」と述べました。

 つづいて冨塚明さん(ながさき平和委員会事務局長)は、「いま目の前は事実上の「小ケ倉基地」だ。地位協定では基地の提供は短期間の使用であっても日米間で合意され、官報にも載るようになっている。もし国の言うように米軍の寄港を自治体が拒否できないとすれば日本の港は米軍の要求でどこも基地となってしまう。地位協定が規定しているのは入港にあたって料金を取らないことだけであって、明らかに恣意的な地位協定の読み違えだ」と指摘しました。また「国是である非核三原則、多くの被爆者の思いを代弁した県知事・長崎市長の回避要請を無視し、核兵器搭載の有無を明言せずに入港を強行して何が「友好と親善」か。彼らが望む『よき隣人』であることを妨げているのは米軍自身ではないか」と批判しました。

 ラッセン入港を受けて金子県知事は、「入港は大変残念。市民の気持ちを考えれば遠慮してほしかった」と述べ、田上長崎市長も「2回の入港回避要請にもかかわらず、入港したことは遺憾。常態化しないよう、被爆地の声をもっと上げていかなければならない」と語りました。

 一方、艦上で記者会見したアンソニー・シモンズ艦長は核兵器について「米国の一般政策として艦船・航空機は核兵器は搭載していない。自艦も搭載していない」と明言したと報道されています。現在、米軍は特定の艦船・潜水艦・航空機上の核兵器搭載の有無について肯定も否定もしない方針をとっているだけに、この艦長の発言は全く異例のことです。被爆地への一定の「配慮」を示したのかもしれませんが、発言の裏付けが求められます。

注:戦術核兵器の配備政策の変更のため、核兵器に関する質問への対応に用いる新しい言い方(海軍作戦部長指示書)
「水上艦船、攻撃型潜水艦、海軍航空機上には核兵器を配備しないのがアメリカの一般的な政策である。しかしながら、われわれは特定の艦船、潜水艦、あるいは航空機上の核兵器の存否を論じることはしない。」

 さらにシモンズ艦長は今回の入港の目的を「友好と親善」以外に「反対運動(resistance)を克服する(overcome)こと」とあけすけに述べています。これは地域の住民との交流を少しづつ増やしていくことでやがては寄港に反対する勢力を押さえ込もうという長期的な戦略です。そのことは寄港日が1日早められたことと関連があると思われます。

 当初の米イージス艦の寄港予定は2月16日から20日でした。ところが19日は民間船が埠頭を使う計画があったため、計画が1日早められたと報道されています。そのためシャイローからラッセンに変更となりました。被爆地の世論を変えていくための「定期的な寄港ありき」であり、どの艦船でもかまわなかったといえるでしょう。


小ケ倉柳埠頭に接岸したラッセン

(2008年2月15日)