米のイラク攻撃から4年
メディアを批判的に見る目を!

 米のイラク攻撃から4年を迎えた、3月21日、ワールドピースナウ・ナガサキの講演会が開かれました。フリーのジャーナリストのネットワークである「アジアプレス・インターナショナル」代表の野中章弘さんが「イラク戦争報道のウソと真実〜何が情報操作されたのか」と題して講演、約70人が参加しました。
 野中さんは「戦争の最初の犠牲者は真実である」という言葉を紹介し、いま「メディア・リテラシー」=メディアを批判的に読み取る能力が重要になっていると述べました。そして実際に報道された映像や新聞記事を見せながら、いかにメディアが巧妙な手口で世論を誤った方向へ誘導したかを説明しました。
 そしてイラク戦争を支持した日本は、6万とも60万ともいわれるイラク国民の死者に責任を負っていることを一人一人が考えなくてはならないと訴えました。(以下、講演要旨)


 9.11テロ直後、誰が犯人か全くわからない時点で、意図的に「祝砲をうつイスラムの映像」を組み込み、敵はイスラムというイメージを巧妙に国民に刷り込んだ。

 フセイン政権崩壊後、現地にいたアジアプレスのジャーナリストは「悲しい勝利。歓迎している人はごく僅か」と語った。しかし日本国内の新聞報道は全く逆。読売新聞は「首都住民は米軍を『解放者』として歓迎」「市民の歓声が響きわたった」と報道。その記者は前線基地のあるカタールや隣国のヨルダンで記事を書いた。まるで現場にいたと思えるような書きかたで。実はテレビを見て書いたそうで、イラク報道の統括責任者だった国際部長のY氏は「テレビを虚心に見ていれば何が起きているか明らか」と述べた。ならば新聞記者いらない。

 またフセイン像の引き倒しを群衆が歓喜で迎えたアップシーンも意図的。18人が頭像を引き回す映像で、うち7人がカメラマンだった。しかもフセイン像の引き倒しの時に周囲にいたのはわずか200人ほどで群衆とはいえない。ズームを引いて映像を見るとよくわかる。バグダッドの人口数百万のうち200人しか喜んでいない、これで米軍を解放者として歓迎と書けるのか。これらの結果、イラク戦争はよくなかったが、イラク国民のためになったのならやむをえなかったと思った日本人は増えたはずだ。

 ちょっとしたことで戦争の評価は180度変わってしまう。これがマスメディアの恐ろしさだ。これは歴史のねつ造につながっていく。後世の歴史家がイラク戦争を調べたとき、当時の新聞記事をもとに歴史を書いたらどうなるか、活字報道は残る。訂正が必要だが、日本のマスメディアは反省しない。

 アフガン侵攻が始まって米メディアは報道姿勢を変えた。イラク市民の被害は極力報道しない。厭世観が高まるからだ。報道するとしても原因はタリバーン側にあるとしたキャスターのコメントがつく。ジャーナリズムの精神に反して国籍を背負い、国益に沿った報道に陥った。それは政府の広報に成り下がったことを意味する。実は客観・中立の報道などあり得ない。すべては主観的なのだ。

 NHK放送文化研究所の年報では流れた映像量のトップ3は戦車の隊列、イラク軍への攻撃、ミサイル発射で、戦争を仕掛けたイラク側の映像。イラク市民の犠牲の映像は圧倒的に少ない。これが逆だったら、イラク戦争はもう止っていたかもしれない。

 9.11の死者は最後の1人までカウントされた。アフガンやイラクの市民の死者に注意を払おうとしない。イラク・ボディカウントもメディアに出たものだけ。結局は軽い命と重い命があるのだ。背景にはイスラムに対して無知であり、差別・偏見意識があること、それはかつて日本が中国・朝鮮に接していたときと同じ。イスラム文明が欧米の民主主義よりも劣っていると思っている人が多い。

 フセイン政権を壊したことで現在の混乱が起きている。日本のマスコミも宗派の対立と問題をすり替えている。以前の体制を壊してしまったために対立がせり上がってきた。米軍がいないとイラクの治安が悪化・崩壊するというが、全く逆。アメリカがいることでイラクでアルカイーダが活動できるのだ。問題のすり替えは許されない。責任は戦争を遂行した米英と、それを支持した国々にある。
 アメリカの薄っぺらな「民主主義」がイスラム世界に簡単に根付く土壌はない。アメリカは侵略者として戦争をしている。刑務所での拷問、モスクやコーランの侮辱。解放のためにたたかっているのではない。「中国のために」と旧日本軍がやったことと同じだ。

 日本は明らかな参戦国。今でも全面支持。復興支援名目で支出する50億ドルは米軍の駐留費の立て替えや、イラクで復興支援を請け負う米企業に回収される。領収証もなく検証できない。陸上事態の派遣費用は給与を除いて624億円。道路や建物の改修など直接援助はわずか30億円。あとは派遣・移動費、緒手当て等々。陸自のイラク派兵は国際貢献とは無縁。米軍の占領を補強するため、アメリカへの忠誠の証としての意味しかない。もっと怒っていいはずだ。

 ファルージャ攻撃の主力部隊は沖縄から出撃し、ベトナム戦争以来の大殺戮を行った。横須賀配備の空母キティホークからは戦闘機が5000回以上のイラク空爆を行い400トン近い爆弾を落とした。現在も日本を拠点にしてイラク攻撃をしている。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争でもそうだった。そんな日本の戦後62年ははたして平和であったと言えるのだろうか。

 許せないのは日本の政治家たち。日本の国益のために米国を支援しなければいけないと小泉首相は言った。しかし日本の国益のためになぜイラクの人たちが死ななくてはいけないのか。イラク戦争を支持することは、イラクで死者が出るのを認めること。一人一人が考えなくてはならない問題だ。