前畑弾薬庫敷地内の作業所火災
原因特定できず 基地側説明と食い違いも


火災の鎮火した木工作業所(10月22日)


火災前の木工作業所(1999年10月)

 10月21日に前畑弾薬庫敷地内で起きた木工作業所の全焼火災について、佐世保市消防局は2日にわたる米軍と共同での実況見分や木工所作業員からの事情聴取を行ないましたが、出火時刻や出火原因が特定できないまま調査終了となる模様です。

 新聞報道等によると火災前日は基地作業員が午後4時頃に作業を終了、火災が発生するまでの丸1日間作業所は無人でした、作業所内のブレーカーも切っており、古い配線ではあったが漏電や配線のショートなど電気系統のトラブルも見つからなかったといいます。

 佐世保市消防局は10月26日の会見で調査結果を報告し、出火場所は作業所の南側で、建物内に設置された電線の過熱が火災を引き起こした可能性が高いとしつつも「長時間の燃焼により裏付けとなる物証が焼損している」として原因の特定は困難と結論づけました。また作業所への人の出入りもなく、出火時刻も特定できないとのことでした。

 佐世保基地のティルマン・ペイン司令官は鎮火までに約4時間半も要したのは、「作業所内にあった金属の溶接などに使うアセチレンや酸素のボンベから噴き出したガスに引火し、米軍消防隊が消火に手間取ったため」と説明していました。しかし報告ではアセチレンガスや酸素ボンベ計十数個がコンクリートブロックに囲まれた部屋に損傷なく残り、可燃性ガスに引火した形跡はなかったとし、司令官の説明と大きく食い違っています。

 火災原因を特定できないということは今後も同様なことが起こりうる可能性があるわけで地域住民の不安は増すばかりです。危険な弾薬庫の一刻も早い撤去返還が求められます。

 今回の火災で大きな問題となっているのは(1)基地側から自治体への連絡がなかったこと、(2)協定に基づく市消防局からの再三再四、計7回にわたる応援出動の申し入れを基地側が拒否したこと、(3)にもかかわらず消火作業に4時間以上もかかったことです。

 ペイン司令官は「弾薬庫や周辺住民への被害の影響はなかった」「現場周辺が狭く、進入できる消防車両の台数が限られる」と市消防局の応援を断った理由を述べていました。背景には消防協定が現場指揮者の判断を前提に、米軍の都合で運用されている実態があります。通報は、「他方の管轄区域の人命、財産に危害を及ぼすかもしれないと現場指揮者が判断したときにはただちに」行なうこととし、応援出動も「現場の指揮者の判断で、火災の場所、状況などを告げて要請する」と定めています。99年に佐世保基地司令部が火災になったときは市消防局に米軍の要請がありました。基地のど真ん中の司令部火災と周辺に住宅地を抱える弾薬庫火災、どちらが「人命、財産に危害を及ぼす」おそれが強いでしょうか。

 今回の火災事故は、街のど真ん中に危険な弾薬庫を抱えながらも佐世保市民の安全確保に対する米軍の意識の薄さを浮き彫りにしたといえます。平時でさえこのような状況で、有事の際に米軍が市民の安全確保にどれだけ協力するだろうか。それが「国民保護計画」。