まるで戦前回帰の戦勝祝賀会のよう
佐世保アーケード街全体が会場に

 「市をあげて歓迎する。海上自衛隊には国民保護法の計画づくりに協力をお願いすることになるのでよろしく」

 これは護衛艦隊集合訓練で佐世保に寄港している護衛艦隊司令官の保井信治海将が佐世保市を表敬した際に光武市長が述べた言葉です。この言葉どおり、市内至る所に「歓迎」の横断幕や立て看板が張り巡らされました。

 5月20日には艦船の乗組員を歓迎する「ふれあいフエスタ」が繁華街の四ヶ町・三ヶ町アーケードで開かれました。日本海海戦100周年にちなみ、テーブル100組が数百メートルにもわたって並べられ、そこにはおすしやおつまみにビールなどおかれ、乗員と市民それぞれ1500人が参加しました。

 アーケード中心部には紅白のやぐらが組まれ、その上から保井信治司令官は「市民あげての歓迎イベントがあるのは全国で佐世保だけ」と謝辞を述べました。これほど佐世保が異常な状態であることを示す言葉はないでしょう。

 日露戦争はいうまでもなく朝鮮や中国東北部の支配をめぐって日本とロシアが争った帝国主義戦争でした。背景には資本と商品の市場を熱望する財界の要求もありました。日本海海戦で日本艦隊は勝利しましたが、兵力はすでに底を尽き、ポーツマス講和条約を締結せざるをえなかったのです。これを機に日本は韓国を指揮・統制下に置き、韓国併合を企てていきます。

 日露戦争での日本が動員した兵力は通常の5倍の約100万人。その1割にあたる約10万人が戦死もしくは病死したといいます。負傷者17万人、病気16万人に達しました。兵士の多くが農村出身だったため、1905年、働き手を失った農村に大凶作が襲ったのでした。

 このような日露戦争の中での「日本海海戦」を「祝賀」する佐世保の財界は、その一方で、米空母の母港化など、軍事施設の増強によって地域経済の振興を図るという提言をまとめました。その姿勢は百年前と全く変わりません。


護衛艦毎にブースが。パチンコ店にも歓迎の立て看板