佐世保に護衛艦15隻が集結!
日露戦争美化の動きと連動


護衛艦隊集合訓練のために各地から集結した護衛艦。前畑岸壁では一般公開も(上の方)
巨大な艦船は米海軍の強襲揚陸艦エセックス。

 5月19日午前8時過ぎから佐世保港には県外基地配備の護衛艦8隻が次々と入港し、海自立神桟橋などに接岸しました。これは海上自衛隊の護衛艦隊集合訓練のための寄港で、毎年、隊務運営能力の向上などを目的に、国内5カ所の海自総監部のある基地で順番に行っているものです。佐世保では1999年以来、6年ぶり6回目で佐世保配備の護衛艦とあわせて15隻が集結しました。乗組員の総勢は約4000人といいます。

 横須賀からは「たちかぜ」(護衛艦隊旗艦)、「はるさめ」「いかづち」「しらね」。舞鶴からは「はまゆき」と「あまぎり」。呉からは「ひえい」と訓練支援艦「くろべ」の計8隻。佐世保からはイージス艦「こんごう」、同「ちょうかい」、「きりさめ」「ありあけ」「くらま」「さわぎり」「さわかぜ」で、インド洋戦時派遣中の「ゆうだち」、アメリカへの派遣訓練に出かけた「まきなみ」、長崎港で修理中の「あさかぜ」を除いた7隻が勢ぞろいしました。
 また立神第2桟橋に接岸している「あまぎり」の脇には1隻の海自潜水艦が停泊しています。おそらく潜水訓練を行なうためと思われますが、潜水艦に関する報道は一切ありませんでした。

 海自倉島地区が岸壁建設中であるため、接岸個所が足りず、民間のSSK(佐世保重工業)の蛇島西岸壁や米海軍赤崎貯油所の岸壁にも接岸しました。また佐世保配備の補給艦や地方隊の護衛艦は湾内に停泊しています。


なんと米軍基地の原潜停泊位置にも接岸。いつから共用になったのか?


SSK蛇島西岸壁に接岸した護衛艦はまゆき、訓練支援艦くろべ。

 今回の特徴は「日本海海戦100周年記念大会イン佐世保」の一環としても行われることです。日露戦争中の1905年5月27日、28日の両日、東郷平八郎司令官率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎え撃って壊滅させた海戦から今年が100年にあたるため、佐世保商工会議所、佐世保市、海自OB会、佐世保水交会、市商店街連合会など市内 19団体が大会実行委員会を組織したのです。

 訓練期間中は、会議や研修、潜水訓練のほか、日本海海戦の記念行事として、護衛艦の一般公開(21日・22日)や体験航海(28日)、記念演奏会(27日)などが行われます。また26日までの午後8〜10時には、停泊中の護衛艦を電飾ケーブルで飾っています。

 5月21日・22日、弾薬庫寄りに拡張された前畑埠頭で護衛艦「さわぎり」「さわかぜ」の一般公開がありました。ともに佐世保配備でインド洋への戦時派遣を体験している軍艦で、長崎港にも修理・点検でやってきています。参加者にはしおりの他、護衛艦隊のバッジが配られ、子どもには防衛庁のイメージキャラクターのシールも配られました。28日には「さわぎり」と「はるゆき」の体験航海が予定されています。この集合訓練については米海軍の準機関誌である「星条旗新聞」にも掲載され、「体験航海」を「friendship cruise」と紹介し、市民の取り込みという狙いを言い当てています。


一般公開された護衛艦さわかぜ、さわぎり