赤崎岸壁にようやく放射線測定器
原潜火災事故の「影響」?

 7月30日、日米合同委員会は赤崎岸壁にモニタリングポスト(放射線測定器)を設置することに合意しました。赤崎貯油所の土地約150m2と佐世保海軍施設の水域約152m2を地位協定第2条4項(a)として文部科学省が共同使用するもの。

 現在、モニタリングポストは米原潜の事故に備えて佐世保港沿岸の4ヶ所に設置されていますが、肝心要の赤崎岸壁には設置されていません。近くには民家もあり、佐世保市も設置を再三再四要請してきましたが、米軍はかたくなに拒否してきました。すでに文部科学省の設置予算は認められ機器も納入されているといいます。

 この問題はたびたび国会でとりあげられていますがいっこうに進捗はありませんでした。文部科学省は福岡防衛施設局に要請していますが米軍は「補給艦等の米軍艦船の接岸等にかかわるので調整に時間を要している」として4年間も伸ばし伸ばしにしてきたのです。この間、佐世保市では原子力災害マニュアルが制定され、避難訓練もされてきましたが、「放射能事故は起こりえない」として米軍・外務省は参加していません。このような姿勢が設置を拒否することにつながっているのは明白でしょう。

 1964年8月17日付けの「エード・メモワール」でさえ「通常の原子力潜水艦は海洋生物を含めて周囲の一般的なバックグラウンド放射能に対し、何らの影響も与えていないことが判明している」「通常の原子力潜水艦は,横須賀及び佐世保の港に寄港することが予定されている。これらの港におけるバックグラウンド放射能の検査を行ないたい場合には、合衆国政府は喜んで協力する」とあるのです。

 ところが7月28日早朝の原潜ラ・ホーヤの火災事故、翌29日に「事故報告書」が出され、30日に日米合同委員会が開かれて合意されたのです。ところが7月29日にも日米合同委員会が開かれており、「赤坂プレスセンターの一部財産の共同使用」「キャンプ座間に建設した施設の提供」「新田原演習場の一部建物の返還及び代替建物の提供」の3案件が合意されているのです。そしてその翌30日も再び合同委員会を開いて「モニタリングポストの設置」だけを合意したのです。これはどう考えても不自然です。米軍は市民感情を考慮して態度を変えたのでは?