アレン・ネルソンさん
“ほんとうの戦争”を語る


アメリカと沖縄での射撃訓練の本質的違いを話すネルソンさん

 2月11日、日本平和大会にも参加したアレン・ネルソンさんが長崎で講演をしました。主催は「アレン・ネルソン長崎の会」で、ながさき平和委員会も賛同団体となりました。約300人の聴衆を前に自ら体験した戦争の狂気を告発するとともに憲法9条の力強さを熱く語りました。
 ネルソンさんは1965年に米海兵隊に入隊し、18歳でベトナム戦争に参加しました。帰還後、戦争体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)を乗り越え、講演活動を展開しています。日本でも尼崎に居を構え、子どもたちへの講演を中心に活動し、1年の3分1以上日本に滞在しています。(以下、講演の要旨)


 聖なる地、ナガサキで話ができるのを光栄に思う。「9.11」と同じようにB29は無警戒で原爆を投下した。いまアメリカ自身が世界にテロの見本を示している。イラクに派兵される自衛隊員の家族はとても心配している。小泉首相は恥ずべきだ。小泉の息子はビールの宣伝に忙しい。国会議員の息子をイラクへ行かせるべきだ。

 多くの国民はプロパガンダに惑わされ、米軍基地は日本を守ると思っている。しかし米軍の家族はそんなことは思っていない。いま日本はアメリカの占領下にあると考えなければならないだろう、イラクがそうであるように。基地はアメリカ人を日本から守るためにある。米兵の銃口は北朝鮮ではなく、日本人に向けられている。小泉はアメリカの「日本州」の知事に過ぎないのだ。

 戦争に参加した米軍人は前と同じ生活には戻れない。自衛隊員が帰ってきても親は自分の息子は変わったと思うだろう。ベトナム戦争から帰ってきた自分は全く変わった人間となってしまった。戦争体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ、母親から出て行けといわれホームレスとなった。

 たまたま街で高校の時の友人と会い、子どもたちにベトナム戦争の話をしてほしいと頼まれた。子どもたちには戦争一般をぼかして語った。しかし「人を殺したの?」と聞く子どもの瞳に嘘はつけず「イエス」と答えた。そのとき子どもたちがかけ寄ってきて抱きしめてくれた。このときPTSDを治そうと決意した。回復した頃には40才になっていた。そしてベトナム戦争で死んでいった米兵のために、そして殺されたベトナムやカンボジアの人たちのために戦争の真実を語らねばと思った。それが生き残った者の責務なのだ。

 子どもたちは大人がしないような優れた質問をする。大人は戦争を頭で理解しようとするが、子どもたちは体全体で考えようとするからだ。「ベトナムのジャングルで母親に会いたいと思ったか?」「人殺しをする時の気持ちはどんなでしたか?」多くの兵士は人を殺した時、もどしたり泣き出してしまう。私は人殺しには慣れなかった。

 アメリカは貧困がすさまじい。核兵器や軍拡に使うお金はあるが、貧困や福祉に使うお金はない。日本以上の貧困層がある。海兵隊も中流階級出身者はいない。自衛隊員もそうではないだろうか。戦争で殺し合うのは、いずれの国でも貧しい子どもたちなのだ。

 兵士の役割について誤解がある。兵士たちは殺すための訓練をしている。兵士はソーシャルワーカーとして戦場へ行くのではない。殺しに行くのだ。アメリカでは「牛の目」と呼ばれる標的を打ち抜く訓練を受けた。最初は中心にうまくあたらない。それを一ヶ所に当たるよう訓練する。ベトナムに行く前に沖縄のキャンプ・ハンセンで受けた訓練では標的が人型になった。多くの人は頭か心臓を狙えと教えられると思っているだろう。しかし狙うのは下腹部だ。戦場では射撃に失敗すれば逆に自分の命が危うくなる。だから確実に当たる部分を狙うのだ。
 基地の近くを通ったら、中では人間が人間を殺す訓練をしているをしていることを忘れないでほしい。毎日毎日暴力性を仕込まれていくので基地の外に出る時も当然ながら暴力性も持っていくのだ。

 本当の戦争は映画の中とは違う。敵はその場で殺す。映画のようにハンサムなヒーローが敵を待ったりしない。美しい音楽もない。撃ち合いが終わると、死体を男、女、子どもに分け、数えながら積み上げる。村の人口は調査済みなので死体の数を数えれば逃げた人間の数が分かる。ジャングルの中で死んだ人間を探すには死体にむらがうハエの羽音と「におい」に集中する。プラトーンやプライベート・ライアンといった優れた映画があるが、「におい」がない。死体の腐乱したにおい、死体の焼けるにおい、弾薬のにおい。そんなにおいが映画館でしたら、誰も戦争映画を見なくなるだろう。

 待ち伏せ攻撃にあって逃げ込んだ洞窟で、ベトナム女性の出産にでくわした。人の殺し方は教え込まれていても、新しい命の取り上げ方は教えられていなかった。しかし本能的に手を出して赤ん坊を取り上げていた。このときベトナム人も同じ人間だと気付いた。これが私を変えた決定的なできごとだった。
 戦争のたびに相手は人間ではないのだと洗脳教育がされる。イラク戦争にしてもイラク人は「砂漠の猿ども」と教え込まれている。日本に原爆を投下したパイロットも、人間の上に核兵器を落としたという認識がなかっただろう。

 沖縄の子どもたちは生まれた時から米軍基地が目の前にあり、マシンガンの音や戦闘機の音の中で生きてきている。いまこそ日本の占領状態に終止符を打つ時だ。
 私は96年に日本に来たときに憲法9条を知り、感動した。憲法9条は核兵器よりも、いかなる武器よりも力強い。核兵器によって世界は平和になっただろうか。9条は戦争の悲惨さから日本国民を守ってきた。あらゆる大国の子どもたちは身内が戦争のことを知っている。しかし日本人は戦争のことを知らなくて済んでいる。9条は地球上の全ての人にとって大事な宝物。世界平和はアメリカや国連がつくるものではない。一人ひとりが声を上げてつくるものなのだ。


講演の最後に、高ぶった自らの気持ちを静めるために歌う。
最近は、会場と1つになって『Down by the Riverside』