インターネットニュース

『第4回 富士市・平和へのメッセージ』

 8月14日から16日まで、松谷さんと牧山次長は大雨の静岡県富士市と富士宮市に行ってきました。
 14日の午後1時より富士市の文化センターで『第4回・平和へのメッセージ』び開かれ、松谷さんは被爆者の訴えということで参加しました。この「平和へのメッセージ」は様々な団体が、あるいは演劇で、あるいは群読で、あるいはうたごえで、平和へのメッセージを形態を工夫し発信するというものでした。
 松谷さんは54年間にわたり原爆の被害で苦しんできたこと、裁判に訴え勝訴しても認めてくれなし、厚生省・国に対する憤り、支援する方々への感謝と一層の力添えを切々と語りました。初めて聞いて知ったという参加者が殆どでしたが、署名、募金、入会と応えてくれました。
 15日は午後2時から『核兵器廃絶・富士宮平和都市宣言15周年/コープしずおか50周年・親と子の平和のつどい』でした。14日も雨でしたが15日も大雨で参加者の出足は鈍く、主催者のみなさんは松谷さんにとても恐縮していましたがlOO名近く集まりました。
 松谷さんは昨日に引き続き一言一言噛みしめるように語りました。やはり初めて聞き知ったという人が大多数でした。参加者から「とてもいい話でした。がんばって下さい。」「会員ですが、裁判の内容が良くわかりました。」などの感想び寄せられました。
 2日間の成果は入会10名、署名200筆、募金81,800円、事業12,500円でした。


夏の取り組み終わる

 会 員=117名(昨年を上回る)
 署 名=約2000
    (ほんとかな?反応が良かったのに少ない。昨年より1000も少ない)
 募 金=約28万円   事 業=約15万円
 今回は数の成果だけでなく開会総会のステージは松谷さんの力強い訴えや、郡読が会場を大変な感動で包み、某新聞の社会面のトップでした。さらに閉会総会で採択された長崎・決議の最後に松谷さんの訴えが載りました。
◆原水爆禁止世界大会日誌
 6日 6時30分から式見ハイツで行われた宮城県代表団の「交流学習会」に参加しました。前半は代表団のグループ紹介。後半の1時間半は松谷訴訟の学習会でした。9時近くまで熱心に行われました。入会、署名、募金に加え松谷さんへすてきなスカーフのプレゼントもあり、心あたたまる支援に大変励まされました。
 7日 3時開会総会開始。開会のステージに登壇してくれたのは、いつもながらの千葉の支援者のみなさんで早々と舞台の袖でまっていてくれました。さらに今回は和光大学の平和サークルアロエ会の面々20名が参加してくれ、総勢30人。
 前半はスライドを使い松谷さんの被爆体験から裁判までを。後半は5名の郡読。最後の呼びかけは会場に向かってシュプレヒコール。
 いつものことですが、ぶっつけ本番でどうなるかと気をもみながらも舞台監督から今日は100点満点といわれ、気を良くしました。(その割にはなぜ会員拡大に結びつかないのか。分析しましょう。)
 終了後、松谷さんは千葉県代表団との交流会、北海道代表団の学習会と続き、帰宅は11時に。北海道代表団の学習会では『ご飯を食べるときはどうするのですか。』『化粧は?』『日の丸、君が代についてどう思いますか』など小学生から高校生など若者たちの率直な質問を受け、松谷さんはいつもと勝手が違いとまどっていました。


 8日 分科会や集会で一日終わりました。12分科会ではなんと入会者が28名。牧山事務局次長はは日本生協連の「学習会2『被爆者をとりまく問題について学ぶ』」でカメラマンの森下一徹氏と共に講師をしました。
 午後は「つたえよう・・・」、「核兵器をなくす女性のつどい」(なんと2000名も集まり長崎の会場としては史上最高とか)この頃から雨脚が強くなってきました。つどいを中座し、全日本民医連の代表団交流会で挨拶。退場する松谷さんを追いかけロビーでは大坂、宮城の代表が松谷さんと写真撮影、握手など涙の交歓が繰り広げられました
 この日の締めくくりはピースジャム。松谷さんは支援する会のメンバーと登壇するのではなく、若者とともに登壇し、若者に迎えられるという設定で出演しました。ピースジャム実行委員会の粋な計らい。
 終了後、松谷コーナーには若者が群がり、入会、署名、募金、記念撮影とすごい。この活動にいずみ市民生協の若き男性職員(会員)が参加してくれました。「会員なのにいつもしていないので」と。そしていつもの強力メンバーいもづる団、いもづる団は署名にポストカード売りに大活躍でした。


 9日 閉会総会。8時半集合。雨は上がり快晴。びしょびしょテントを立ち上げて準備開始。9時過ぎ頃から各県代表団が続々会場へ。9時半に松谷さんも来て参加者への訴えが始まりました。10時の開会で照美弁護士と会場へ入りました。コーナーには各県代表団が挨拶、激励に次々に訪れてくれました。
 気温もどんどん上がり、事務局は炎天下署名を訴えました。大村のHさんは一人で260筆も集めてくれました。途中、安斎育郎世界大会起草委員会委員長も訴えに参加。
 1時、閉会総会終了。  松谷さんの最後の仕事は世界大会参加の海外代表団やスタッフとのファイナルパーティーへの出席です。この会場で国内外の代表団と和やかに交歓しました。


日本母親大会でも訴え


 7月31日から愛媛県松山市で開催された第45回日本母親大会に松谷さんとともに支援する会の事務局3名が参加しました。
 第1日目は<核と人類は共存できない−非核港湾条例など、核をもつ国々へのメッセージ>の分科会に参加し、松谷訴訟の意義と現状を訴えました。また松谷さんは被爆者として、原告としての心境を語りながら5月の世界市民平和会議参加の感想を述べました。この分科会の参加者は16名。時間がたっぷりあり十分な論議ができました。申し合わせで「長崎原爆松谷訴訟の支援を全国に広げましょう」が採択されました。


署名用紙はここをクリック


不当な厚生省の上告に対し、怒りをもって抗議し、ファックスまたは葉書で上告取り下げを要求しましょう。
宛先: 厚生大臣 宮下創平
    東京都千代田区霞ヶ関1-2-2
      03(3502)3090


過去の記事を読む    次のニュースを読む