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国は、最高裁で何を主張しようとしているのか

弁護団 原 章夫(長崎)

 国は、1月14日付け上告理由書によって、上告の理由を明らかにしましたが、そのポイントは次の点にあります。

  1. 高裁判決は、原爆放射線と被爆者の障害との関係(起因性)について、被爆者が「高度の蓋然性」まで証明する必要はなく、「相当程度の蓋然性」を証明すればいいとしたが、そのように証明の程度を引下げた最高裁判決は存在しない。
  2. 旧原爆二法の規定の仕方を見ても、原爆症の証明の程度を引下げるようには読めない。
  3. 被曝線量の算定方法や放射線の人体に与える影響については、長年の研究の成果があり、それによれば、松谷さんの障害が原爆放射線によるものとはいえない。
  4. 高裁判決が松谷さんの障害に原爆放射線が影響しているとした根拠は、どれも非科学的なものである。

 これらの理由は、おおむね地裁・高裁でも国が主張し、裁判所によって否定されてきたところで、特に上告段階で付け加えられたものはないようです。とすれば、最高裁の結論も、地裁・高裁と同じかといえば、ことはそう簡単ではありません。最高裁の判断が一般に行政寄りであることは否定しようがありませんし、上告理由書は、以前の主張の繰返しではあっても、かなり練られたもので、説得的なものになっています。
 特に、最高裁が、どのような事件においても、証明の程度を引下げたことがないという点は、私たちも軽視できないと考えています。そこで、私たちが上告理由書に対する反論として力をそそぐべきは、最高裁に被爆者の証明の負担を軽くすべきことをどうやって理解させるかということでしょう。証明の負担を軽くしなければならないと考えれば、最高裁も、証明の程度を引下げるかどうかはともかく、何らかの「理屈」を考えるはずです。現に、そうして、原告の証明の負担を軽くした最高裁判決は存在するのです。


第9回裁判勝利をめざす交流集会に参加して

事務局 上戸真弓

分科会の内容と特徴、そこで学んだこと(第5分科会 権力犯罪責任追及事件)

 今回は、労災・職業病分科会と独立した第5分科会に参加した。裁判のそもそもの出発は違うが、三沢米兵暴行未遂…損害賠償請求事件では、被害者が名前を伏せて裁判をたたかった。沖縄の少女暴行事件の直後の事だったので、この事件では加害者が即逮捕され、職務外の時間の出来事だったため、目本側の法律で裁判にかけられ、請求額の50%が賠償するよう認められた。しかし、日米地位協定のため、その賠償金は全額本人でなく、日本政府が一部支払う事になるという。被害者は今後、米軍及び米国への賠償を求めて、あらたに始めるという。ここにも、日本政府の対米従属姿勢が壁となっている事を実感した。また、原告として名前を伏せてたたかうことも、大変な決意を要する事件であり、集会に参加したことと併せて原告の勇気と飛躍に感動した。
 また、その他は電話盗聴や警備警察の泥棒事件、暴走容疑で取り調べ中に暴力を振るうなど警察権力の横暴、弁護士の思想調査をする、住民運動を反共攻撃で弾圧するなどの人権侵害裁判の数が多く、やはり、前回と同様、同種類の裁判例という印象は今ひとつであった。しかし、18歳で容疑をかけられ、10年もたたかってきた被害者の人間としての成長や原告同士の交流は感動であった。
 その中でも、今回、松谷訴訟にとって関心事であった「最高裁でのたたかい方」については一定の収穫があつた。ただし、多くは1審または2審敗訴の場合で最高裁をたたうケースばかりだったが、基調報告にある観点での点検が弱いと敗訴もあると心してかからねばならないと思った。

  1. 最高裁では、調査官への面会要請(面会の目的をしたため)を出す。(原告、支援する会が参加)
  2. 上告書に対する(敗訴の場合)反論書を出す。松谷訴訟の場合は勝訴なので答弁書。 運動は、答弁書提出時期とは無関係に進める必要がある。
  3. 2ヶ月に1回行っている国民救援会の統一要請行動に参加する方法、他に独自に要請行動に取り組む。支援者は上席書記官への面接を求める。
  4. 敗訴の場合は、半年から1年間に棄却される。調査官は会おうとしないし、話もしてくれない。補充書を追加して幾度も面会を求めるが、最初に出す時に少なくとも反論書の骨子は網羅しておく方がよい。そして、後で補充書を追加することを伝えておく。
  5. 誰にでもわかる宣伝物(わら半紙1枚程度の)をつくり、知らせること。
  6. 事実を世論に訴えて、支援を広げる。(竹下事件の場合、「非行少年」という世間の拒絶、非協力にあった)
  7. 支援者は上申書(裁判所への手紙)を書く
 ※最高裁はおかしな所
・「代理人=弁護士」には面接するが、原告=本人には会わない。

 その他大切なこと

  1. 上申書を書く…緒方事件、日立労働差別事件では国連人権擁護員会、ILOに出したレポートが裁判所への圧力となって勝利に導いた。松谷訴訟の場合は、人権擁護委員会、国際司法裁判所などへの働きかけが是非取り組まれる必要がある。
    ※関連資料あり、書く前に条文を熟読し、条文に照らして訴えること、単なる翻訳でなく法律のわかる翻訳者に依頼することがポイント。国連に提出の際は、緒方靖夫氏が通訳・ガイドしても良いと言ってくれた。
  2. 物品販売は大胆に、「裁判を支援するためにお金を出してもらう」のであって、その品物や価格が問題ではない。「買ってもらう」のではない。
  3. 「これはおかしい」「許せない」という思いを大切にして
  4. 支援者が確信をもつための学習、裁判記録を重視して
  5. 集会の開催には工夫して
  6. 教訓のネットワークを広げる
  7. パスワークのうまい弁護団づくり、一人の力でなく集団で押す

最高裁判所・第三小法廷 裁判官氏名

裁判長:金谷利廣(かなや としひろ)
    園部逸夫(そのべ いつお)
    千種秀夫(ちぐさ ひでお)
    尾崎行信(おざき ゆきのぶ)
    元原利文(もとはら としふみ)


京都原爆症認定訴訟が結審、判決は12月

 3月25日、京都地裁で争われてきた京都原爆症認定訴訟があしかけ12年に及ぶ審理を終えて結審しました。判決は8ヶ月先の12月11日です。

 松谷訴訟と同様、結審が3度延期となり、この日を迎えました。原告のAさんの弁護団は最後の最後まで意見陳述をして厚生省の不当な原爆症認定却下の違法性を裁判所へ訴えていました。今回はかつてない傍聴者が参加し、関心の高さが伺えました。マスコミも10数社にのぼり、NHK広島支局からも記者が来ていて、Aさんを熱心に取材していました。
 支援する会からは長年のご苦労をねぎらってAさんに花束を贈りました。Aさんは「松谷さんはじめ、松谷訴訟支援する会の皆さんがいたからここまで来れました。」と語っていました。
 Aさんは身体の調子が良くなく、外出すると翌日から数日間は寝込んでしまう生活です。何の心配もせずに治療に専念できるよう1日も早い認定が必要です。 Aさんも松谷さんも「たたかってきてよかった」と支援する仲間と喜びあえる判決を待っています。それまでどうかお元気で過ごしてください。

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 Aさんは、広島の爆心地から1.8キロメートルの地点で被爆し、現在も白血球減少症、肝機能障害に苦しみながら、寝たり起きたりの生活を1人でおくっています。
 Aさんは、「自分の症状は原爆の放射能に起因するものである」として、1985年に認定申請を行いましたが、厚生大臣は、Aさんを一度も診察することなく、主治医の意見も全く無視して、申請を却下したため、京都地方裁判所に提訴しました。
 京都の弁護団は、この裁判の重要性に共感して、現在、実働8名の弁護士が代理人となって訴訟にあたっています。
 京都の裁判でも、まず最初に東京への裁判移送が問題となり、一度は1989年に東京へ移送されました。ところが、長崎の松谷訴訟が長崎で審理されることになったことで、裁判官が、長崎と京都とを別に取り扱うことは平等に反するとして、東京へ移送された事件を「Uターン移送」することになり、やっと京都での裁判ができることになりました。
 内容の面でも、Aさんの症状について、厚生大臣は、「線量推定方式」からみて、白血球減少症や肝機能障害は起きないなどという、机上の計算式のみを根拠に、放射能による影響を否定しています。この点でも「松谷訴訟」と全く同じ事を言っていました。
 また、これまでの京都の裁判では、Aさんの主治医である鈴木憲治医師のほか、国側は古賀祐彦氏、藤田正一郎氏、原告側は安斎育郎氏、肥田舜太氏と「松谷訴訟」と同一の証人の取り調べを行いました。さらに、山口仙二さんに遠距離被爆者の実態、現在の認定基準がいかに実態に合わないか等について証言していただいています。このように、京都の裁判は、「松谷訴訟」の豊富な成果を大いに活用させていただいてきました。
 長崎と京都、勝訴をの願いは一つです。京都の裁判にもご支援、ご協力をお願いします。

弁護士 尾藤 廣喜


不当な厚生省の上告に対し、怒りをもって抗議し、ファックスまたは葉書で上告取り下げを要求しましょう。
宛先: 厚生大臣 小泉純一郎
    東京都千代田区霞ヶ関1-2-2
      03(3502)3090


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