3月17日に福岡高裁で、弁護団と裁判所、国側との打ち合わせが行われました。その結果、
1.上野陽里氏(京都大学名誉教授)の証人尋問はしない。
2.双方が4月末までに書証(証拠書類など)を提出し、5月末までに準備書面を提出する。
3.次回法廷を6月27日(金)の13:30〜15:30に開き、この日を結審とする。
ことが決まりました。
3月6日・福岡で、9日・長崎で「被爆と核実験被害の告発、被害者援護連帯、核兵器のない21世紀のための国際シンポジウム」が開かれました。松谷英子さんはパネリストの一人として登壇し、被爆の実相を語るとともに「国のまちがった被爆者行政を改めさせるために、皆さんと共にたたかい続けます」と決意を述べました。長崎集会では松谷訴訟弁護団の原章夫弁護士が、松谷訴訟の持つ意義と結審延期となった裁判の現状を報告しました。
以下は、福岡集会の基調報告の抜粋です。
福岡県の私たちがとくに重視しなければならないのは、福岡高裁でたたかわれている長崎原爆松谷訴訟であります。今日、原告の松谷英子さんも来ておられますが、この裁判は松谷英子さんに原爆症を認定させるという課題を超え、被爆者のわずか0.6%しか認定されていない原爆症の認定基準を改めさせ、被爆者にたいする国家補償の責任を明確にし、政府の被爆者行政を抜本的に改善させるという大運動に発展しています。福岡高裁の判決期日はいくらか延期されることになりましたが、今年中に判決が下されることは間違いありません。長崎原爆松谷訴訟の勝利のために、地元の私たちとしては、特別の力を傾注しようではありませんか。
3月1・2日、静岡市と焼津市で「3・1ビキニデー集会」が開かれました。支援の訴えのため、松谷英子さんと支援する会事務局、長崎市役所従業員組合の代表が参加しました。
松谷さんは1日のビキニデー集会で、日本被団協の小西悟事務局次長と登壇して支援を訴えました。2日は原水協集会の分科会で、多くの青年を前に、被爆体験と裁判に対する思いを語りました。別の分科会でも他県の代表が松谷訴訟の支援を訴えてくれました。
期間中に寄せられた署名は225筆、入会者は16名でした(その後7名分が届く)。
その夜、3月2日に55歳の Birthday を迎える松谷さんの誕生日イブをホテルの松谷さんの部屋でしました。静岡のおいしいお茶と買ってきたケーキを食べました。この事も今回の旅でとても良い思い出となりました。(松谷さん、若い!)
次の日、荷物持ちとして松谷さんについて行った分科会で思いがけず、多くの学びができました。原水禁運動の伝統と歴史を学び、今まで自分の中でぼんやりとしていた平和運動への様々な想いがはっきりと形のあるものとして見えたと思いました。ここでも若い世代の力と活躍ぶりが大きく取り上げられて、21世紀へこの運動を受け継いでいく1人として、新たな決意を胸にしました。『これからは、松谷訴訟の支援の輪を広げ、高裁勝訴を勝ち取って、子どもたち(いもづる団)と共に平和を身近に学びながら、いっそう平和に寄り添って生きていきたい』という想いを強く胸に刻むことのできた素晴らしい旅であったと思います。
いもづる団 園田愛