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 月夜の王国3  驟雨と霊廟

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 シュウに手を引かれ木立の無い開けた場所に出たランは、薄曇りとはいえ日向の眩しさに目を細めた。いつの間にか、木々に覆われていた暗さに目が慣れていたらしい。
 瞬きをしながら周りを見渡すと、四方を森林に囲まれた小さな野原が広がっていた。もともとは人工的に切り開いたのだろうが、さほど人の手が入っていないらしく、背丈の低い野の花や、道端で見掛けるような雑草の類が生えている。野原の中心には、ランの背丈の倍はあろうかという石柱が立っていた。
 一見しただけでは何の為のものか判らないが、石柱にファイゴス王家の紋章が刻まれている事と、石柱の前に敷かれた大きな石板の上に少し萎れた花束が置いてある事で、ランはさっとシュウを見上げた。
「陛下」
「ん……これウチの墓」
 自分の考えをあっさりと肯定されたランは、もう一度辺りを見回す。石柱自体はかなり立派な物だが、置かれた場所が想像よりも遥かに素朴な事に驚いた。
「こちらが……」
 王家の墓が王城の中にあるという話は聞いたことがあった。だが、それもあくまで噂。王族が身罷られた時は、国をあげて慰霊の葬送式典が行われるが、その後の亡骸がどこへ埋葬されるのかは、盗掘を避けるために教会が公にしていなかった。
「うちの爺さんが即位するまでは、王城の外の国領にあったらしいんだけど、盗掘が後を絶たなかったみたいでさ。警備するのも大変だし、ここの土地が余ってたから、こっそり移しちゃったんだと」
「では、この森は王墓を隠すためにあるのですか?」
 いくら背の高い石柱だろうと、森の中に紛れてしまえば見えない。立地上安全と言えど、常に警備の者がいるわけでも無いので、わざと木々を伸ばし放題にしているのかと思った。
「んー……結果的にはそうなんだけど、ここはもともと森だったんだよ。で、死んだ後くらい自然の中で静かに眠りたいっていう爺さんの遺言で、不必要に整備するなって言われてるんだよね。まあ、墓がコテコテに飾られてたって気味悪いだけだし、俺も爺さんの意見に賛成だけど」
 シュウは口の端を上げると、繋いでいたランの手をそっと外し、バスケットの中から焼き菓子を三つ取り出して石板の上に置いた。蜂蜜と炒豆の混ざったような甘く香ばしい香りが立ち上る。
 墓前には花を捧げるのが通例であるのに、なぜ菓子なのだろうと思っていたランは、シュウが跪いたのに気づいて自分も慌てて膝を折った。
 今更ながら、場違いな自分を痛感する。知らずに誘われたとはいえ、親族と聖職者しか立ち入る事ができない聖域に、普段着とそう変わらない格好で来てしまった。
 ランはせめて祈りだけでもきちんと捧げようと、頭を垂れ瞳を閉じた。
 直接、謁見した事が無いと言っても、ここに眠るのは父や祖父、更に前の先祖たちが守り敬ってきた王だ。ランは臣下としての自分がシュウを思うのと同じように、尊敬と感謝の念を込めて祈りを捧げた。
 目を閉じ一心不乱に祈っていたランは、前から伸びた腕に突然抱え上げられ驚きの声を上げた。何事かと睨んだ先には、当たり前だが、したり顔のシュウがいる。
「陛下っ」
 驚きからくる苛立ちを声に乗せると、シュウは悪びれず楽しそうに笑った。
「だぁーって、ランってば祈りに夢中で、全然俺に気づかないし」
「あ、当たり前です。私のように下賎な者が立ち入った事自体が無礼なのに、おざなりに祈るなどできません!」
「またまたぁ。ランはすぐ自分を卑下するよね」
 からかい口調のシュウにむっとしたランは、大人気ないと思いつつも憮然とした態度で顔を背けた。しきたりや礼儀に頓着しないシュウは良いかも知れないが、先祖に失礼だし、周りがどう思うかは考えないのかと憤る。
 自分の立場や無礼はさておき、一度ガツンと苦言を呈するべきだろうかとランが悩み始めた時、小さく漏れた謝罪の言葉と共にシュウの唇がふわりと頬に触れた。
「陛下……?」
 ランはキスされた頬を押さえて、振り返る。いきなりの口付けは日常茶飯事だが、謝られた事に驚いた。
「ピクニックなんて言って連れ出したけど、本当はここに来たかったんだ。騙して、ごめん」
「えっ、いえ……」
 祈りを中断させた事や、からかった事を詫びたのかと思っていたランは、唐突に知らされた散策の目的に内心、首を捻る。
「昨日なんだけど、母の命日でね。墓参りをしたかったんだ。でも一人じゃ怖くてさー。人気無さ過ぎて何が出るか判んないし、うつけな俺に怒り心頭の先祖が出てきたら困るし?」
 わざとふざけた調子でそう言ったシュウは、ははっと軽く笑った。
 個人差はあるだろうが、あと一年もしないうちに三十歳に手が届くシュウが、オバケだの幽霊だのを怖がるとは到底思えない。もし彼が本当に何かを恐れているのなら、それは哀しい過去を思い出してしまう事では無いのだろうか……。
 その恐ろしさは、ランにも痛いほどに理解できる。苦痛、慟哭、悲哀、無力、虚無……愛する者を失う辛さは、一言で表せるものでは無いし、経験した者でなければ判らない。
 同じように両親を失ったランには、幸いにして妹たちがいつも傍にいてくれたが、シュウは両親と兄をも失い一人になってしまっていた。十四年前、子供とも言えず、まだ大人にもなりきれていなかった彼は、どんな想いで家族を見送ったのだろう。
 他人事だというのに目頭が熱くなる。ランは浮いた涙が零れないように一度空を仰ぎ見てから、シュウに向けて笑顔を作った。
「私ごときの剣で闇が祓えるとは思いませんが、幽霊の類は信じていない者には見る事すら叶わぬと申しますから、打ってつけかも知れませんね」
 彼の負った傷を、わざとさらけ出す必要は無い。自分が傍にいる事でシュウが僅かでも救われるというのなら、それで良いと思った。
 ランの思惑に気づいたらしいシュウは、一瞬、眉を上げたものの、そしらぬ振りで手に持ったバスケットをぶらぶらと揺らす。
「あー確かに。ランって幽霊とか信じて無さそうだもんなー」
「信じようがありません。神教でも否定されていますし、幽霊が存在するのなら輪廻の輪が崩壊します」
 ファイゴス神教によって、死後、魂は神の元に還ると教えられてきたランは、その輪から外れた幽霊という概念を完全に否定していた。
 きっぱり言い切ると、シュウがぶっと吹き出した。
「くっ……何ていうか、凄くランらしい」
「それは、どういう意味でしょうか」
「ん? もちろん、尊敬に値するって意味に決まってる」
「……」
 幽霊がいるか否かという答えの出ない議論……というより、軽口を続けながら、二人はまた歩き出す。
 来た時よりもいくらか厚くなった雲の下、湿り気を帯びた風が野原の草花を大きく揺らした。

 シュウ曰く本来の目的は墓参りだったらしいが、ピクニックもするつもりであったらしい。てっきりそのまま帰るのかと思っていたランは、更に奥に行くと言われて目を剥いた。シュウは身内だから良いかも知れないが、霊場と等しき場所でそんな事はできない。しかしランの意見は即却下され、なんのかんのと理由をつけられては同行を余儀なくされた。
 誘われた森の奥は木々が一層深くなっていたが、細い緑道が続いている。という事は、この先に人が向かう場所があるという事だ。今更何があったとしてもランには余り関係無いが、この森の中で一番重要であるはずの王墓よりも奥にあるというのが気にかかった。
 ご機嫌なシュウの後ろを歩くランは、先ほどから吹き始めた風で乱れた髪を押さえる。ざわめきと共に揺れる梢を見上げた時、枝の向こうに木の葉より暗い緑色の何かがうつった。
「陛下、向こうに何かが……」
「ああ。あれは霊廟と言う名の物置」
「物置……で、ございますか?」
 霊廟と物置がどうして同一になるのか判らないが、どちらにしても通常、王墓の奥に置かれるものでは無い。疑問に思ったランが眉を寄せると、シュウがわざとらしくぴっと人差し指を立てた。
「ここで問題です。王家の墓はよく盗掘に遭いますが、その目的は何でしょうか?」
「は……?」
 とっさの事で反応できないランは、ぽかんとする。
「ラン、答えは?」
「あ、ええと……一緒に埋葬されている遺品、でしょうか」
 盗賊の目的はいつの世も金目の物だ。王の墓だろうが、庶民の墓だろうが、墓泥棒の目的に差は無いような気がする。
「正解でーす。よほど王族に心酔してる変態じゃない限り、他人の骨に用は無いからね。葬式の時に使った神器とか装飾品とかを売る為に墓暴きするって訳。でもそういうのって思い出の品だったりするから、遺族としては盗られたく無いでしょ」
「それは、そうですね」
「だったら、最初から一緒に埋めないで、霊廟に置いとけば良いやって考えたっぽいよ、爺さんが。神官に言わせれば、教会も神殿も霊廟も神の国に繋がってるらしいしね」
「……は、はぁ、なるほど」
 何とか平静を装って相槌を打ったものの、余りに合理的な考え方過ぎて、敬虔な神教徒のランはちょっと引いてしまった。
 聞けば聞くほど、シュウの祖父である十四代国王は変わった人であったらしい。騎士学校時代に習った歴史を脳裏に描いたランは、彼が執政者としてはかなり有能であった事を思い出した。
 執政者としては有能だが、手段を選ばぬ突飛な策を講じる国王……。
 ランに半眼でじっと見つめられたシュウは、ぱちぱちと瞬きをして首を傾げた。
「え、なに? ラン、どうしたの」
「いいえ、何も」
 シュウの性格は、隔世遺伝かも知れないと何となく思った。

 また歩き出したランの頬に、突然、冷たいものが触れた。ハッとして見上げた瞼と額に続けて落ちてくる水滴。
「雨……?」
 見れば、真上の空がいつの間にか黒い雲で覆われている。
「まずいな」
 同じく空を見上げたシュウの言葉に呼応するように、いきなり大粒の雨が降り出した。にわか雨などという悠長な表現では収まらないほどの勢いに、ランとシュウは顔を覆って走り出す。どこか雨の凌げる木陰は無いかと目を凝らしたランは、先を行くシュウに強く手を引かれた。
「ラン、こっちだ!」
 木々の奥、先ほど枝の間から見えていた深い緑色の屋根の建物が視界に映る。それが話していた霊廟だというのはすぐに気付いたが、きちんと見る事も、敬意を払う事もできないまま、庇の下に転がり込んだ。
 木々にぶつかる雨の音がびりびりと空気を震わせている。驚きと駆けた事で息を荒くしたランが顔を上げると、今しがた降り出したばかりのはずの雨足は豪雨さながらに酷くなっていた。
「陛下、ご無事ですか?」
 マントについた水滴もそのままに振り返ると、シュウは肩を竦めて、いつもの笑顔を見せた。
「平気。でも、困ったね」
 中に収めてある遺品を湿気から守るためにか、霊廟は石造りの高床式にしてある。おかげで、横殴りの雨でも無い限り、これ以上濡れる事はなさそうだった。だが、この激しい雨では移動する事もできない。目の前で降り続く雨はますます勢いを強め、跳ねた水しぶきが霧のように漂っていた。
「すぐに止むと良いのですが……」
 そうは言ったものの、低く聞こえる不穏な轟きと、昼とは思えない暗さが不安を掻き立てる。悪漢相手なら警護のしようもあるが、自然災害ではどうにもならない。もし、この豪雨で地滑りなどが起き、シュウの身にもしもの事があったらと思うと震えが走った。
「ま、大丈夫でしょ。とりあえず、お弁当食べよう。腹が減っては何とやらってね」
 ランの心配をよそに、シュウは鼻歌を歌いながらバスケットの中身を広げ始める。
 状況を理解しているのか疑問な態度に、苛立ちを覚えないでも無かったが、腹ごしらえをしておくに越した事は無いので素直に従った。
 人工的に磨かれているとはいえ硬く冷たい石床の上に、およそ不似合いなチェック柄の敷布とバスケット。少し湿ってしまったが、薄切りの肉やら野菜が挟み込まれたパンと、墓前に供えられたのと同じ焼き菓子を手渡されたランは、目の前の土砂降りと後ろの霊廟を見やって、居たたまれない気持ちになった。
「仕方ないのは判っているのですが……罰当たり、ですよね」
「あにが?」
 早速パンを頬張っているシュウが、不思議そうな顔をする。
 リスのように頬を膨らませ、きょとんとしている彼を見たランは、短く息を吐いた。
 ランが気にしている事を、信心があるのかすら疑わしいシュウに説明したところで判っては貰えないだろう。もう一度、溜息をついたランは、俯いてただ首を横に振った。
 パンを食べ終えた二人は、バスケットに入っていた小瓶のぶどう酒を分けて飲んだ。夏へ向かう途中の季節ではあるが、少し濡れてしまったのと、石床に直接座らざるを得ないのもあって肌寒い。僅かでも体温の上がるぶどう酒は、かなり有難かった。
 雨は未だ止まない。勢いが弱まる気配も無い。
 雨粒が地面に叩きつけられる音と、時々聞こえる雷に耳を傾けていたランは、間近に座っているシュウがぶるりと震えたのに気付いて顔を上げた。
「陛下、お寒いのではありませんか?」
「ん。だいじょーぶ、だいじょーぶ」
 シュウはいつも通りにへらへらと笑ったが、その顔はいつにも増して白い。
 身を乗り出したランは無礼を承知でシュウの肩口を掴み、その冷たさとしっとりした感触に驚いた。
「濡れているではありませんか! 今まで、気付かずに申し訳ありませんっ」
「いやいや、ランのせいじゃないし」
 同じ状況で雨に当たった自分がそれほど濡れていないので、彼も大丈夫だろうと思い込んでいた。だが、マントを着込んでいたランと比べ、シュウはシャツを着ただけの薄着。濡れ具合も、冷えも、格段に酷いはずだ。
 シュウがマントを着けていない事を失念していたランは自分を恥じ、唇を噛む。急いで纏っていたマントを外すと、彼の身体を包むように羽織らせた。
「本来であれば御身に触れさせるべきでない安物ですが、緊急事態ゆえご容赦下さい」
 地味で簡素な作りではあるが、多少の雨風除けくらいにはなる。降雨で巻き起こる風を凌げるだけでもマシだろうと思った。
「ダメだ。それじゃ、ランが冷えてしまう」
「私はそれほど濡れておりませんし、元来暑がりですから平気です」
 とっさにでまかせを言う。実際のランはどちらかというと寒がりだった。
 その言葉を聞いたシュウはさっと表情を険しくし、ランの手を掴むと強く引き寄せた。
 座っているシュウの胸に倒れ込むような形になったランは、突然の事に驚き目を見張る。慌てて飛び退こうとすると、頬を掴まれ乱暴に口付けられた。
「……嘘つき。ランは寒いの嫌いだろう」
「な……」
 ごまかそうとしたランに向けて、シュウが意地悪い笑顔を見せる。
「残念だけど、ランの事なら大抵知ってる」
 ただ冷え性を言い当てられただけなのに、心の内まで見透かされているような錯覚を覚えたランは、カッと頬を染めた。恥ずかしさから身じろぎをして距離を取ろうとしたものの、男の力に敵うわけも無く、逆に腕の中へ引き込まれてしまった。
 背中から抱え込まれるように、腕が巻き付く。マントを掛けたシュウがランを抱き締めるのは、暖を取る方法としては理にかなっている。しかし臣下としても、女としても承服しかねる状況だった。
 響く遠雷と、止む様子の無い雨。
 空を見上げる余裕も無いほど、ランは緊張していた。
 次第に温まってきた身体にほうっと息を吐いたシュウが、ランの肩に頭を載せる。
「陛下?」
 どことなく甘えるような仕草に、ランが内心で困惑していると、耳のすぐ傍で苦笑する気配がした。
「……まずいなぁ」
 何がどうまずいのかは敢えて聞きたくないが、ランはこれ幸いとばかりに離してくれるように願う。
「で、では、お離し下さい……!」
「それは、ダメ」
 あっさりと却下されたばかりか、更に腕の力が増す。服越しとはいえ、背中にぴたりと触れる身体に、冷や汗が流れた。
「……夕べは焼き菓子作るのに時間がかかって、ランと逢えなかったから、寂しくてさ。朝は朝で、母の親戚が訪ねて来るし」
 ふと、あの焼き菓子の甘い匂いが鼻を掠める。墓前に供えられた菓子と萎れた花束を思い返したランは、振返り、間近のシュウを見つめた。
「菓子は陛下がお作りになられたのですか? それに、ご縁戚の方が来られたのなら、何故……」
 その人と参らずに、自分を同道させたのか……。
 最後まで言い切れなかった問いに、シュウは気付いたらしい。ほんの少し、哀しげな笑みを見せた。
「あの菓子は母の好物で、作り方を知ってるのが俺だけだからね。あと墓参りには、婚約者を連れてきたかった……て言ったら、信じる?」
 冗談めかしてはいるが、普段とは違う声音にランは息を呑む。半年という時を経た今でも、変わりなく自分を想ってくれている事を嬉しいと感じる反面、未だ気持ちに応えられない辛さが痛みとなって胸に沁みた。
「……」
 ランが何も答えられないのを見越していたのか、シュウは喉の奥で低く笑う。
「まぁ、どちらでもいいけど……言葉が無理なら、身体に聞いてしまおうか?」
「は?」
 不穏な雰囲気を察し、とっさに身構えたものの、後ろから抱え込まれていてはどうにもならない。
「というか、もう限界。我慢できない」
 ぎゅうっと力いっぱい抱き締められたランは、腰の辺りに想像もしたくない感触を覚え青ざめた。
「ーっ!!」
 声無き叫びを上げたランの項に、シュウの唇が触れた。

   

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