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 インフィニティ ・ エリア

 13
 休日明けの月曜、ミーティング室のパソコンの前で一花は意外な思いで画面を見つめていた。
 時間はすでに夕方近く。
 いつもなら、お定まりの内容で犯人からのメッセージが届いているはずなのに、今日に限って何も送られてきていなかった。
 もちろん送られてこない方が良いのだが、今まで続いていたものがいきなり止むのは正直、気持ちが悪い。
「イッチーと、ダイちゃん、ナーリー、しおりんで行ったんでしょー? 4人もいたから、犯人が尾行できなかったって事なんじゃないの?」
 髪を金髪に染め替えた平野が、パイプ椅子に反対に座ってのん気な声を上げた。
 女装の必要が無いと一花が言ったので、一度黒くした髪を直したらしい。しかし赤くするのはつまらないので、金色にしたと言っていた。そんなにころころと髪の色を変えられるものなのか判らないが、他メンバーの間ではカツラじゃないかという噂まで立っている。
「そうなのかなぁ」
 椅子の下の足をぶらぶらさせながら、一花が首を捻った。
 室内には、珍しくバイトが休みだという平野と二人きりだった。
「昨日、駅前で集合してるの見たけど、誰もイッチーをつけてる人なんていなかったしー」
「えっ!!」
 平野の意外な一言に、一花は声を上げる。思わず凝視すると、平野はイタズラが見つかった子供のように肩をすくめて、にっこり笑った。
「バイト先が、駅前なんだよーん。しかもビルの2階でガラス張り。駅前丸見えっしょ?」
「そうだったの?」
「うん。ロータリーの向かい側のビルに入ってる『Kalon』ていう美容室」
「へぇ……」
 これまで謎だった平野のバイト先だが、いざ聞いてみると妙に納得できる。美容室なら、奇抜な髪型でもおかしくは無いだろう。女装がアリかは別として。
 一花が『Kalon』の外観を思い出すため、頭に景色を描いていると、平野がぽつりと呟いた。
「あー、でも。40歳くらいの女の人が、イッチーたちのこと見てたかも?」
「それ多分……うちの母親だと思う」
 場所と外見から考えれば、それは間違いなく響子だろう。しかし、つい先日家まで押しかけてきた平野は、響子の顔を見たはずだ。もう忘れてしまったのだろうかと一花は内心首を捻った。
「あれ、そなの? ……全然雰囲気違ってたから気付かなかったよー」
「そう?」
 几帳面な響子は基本的に起きてすぐ化粧をする。だから平野が訪れた朝も、きちんと化粧をし髪もセットしていた。化粧でまさに『化ける』女性は多々いるとは思うが、平野の見た響子はどちらも化粧後だ。それなのに別人と思われるほど雰囲気が違うとはどういう事だろう。
 一花が不思議に思っていると、平野は一瞬何か思いついた顔をしたものの、結局言わずに微笑んだ。
「まぁ丸見えって言ってもー、斜め上からしか見えないからねぇ。人の動きは判るけど、顔まではちゃんと見えないしー」
「そっか」
 平野が何を思ったのか気にならないでも無かったが、言わないのだから大した事じゃないのだろうと納得した。
 差し込む西日が平野の髪に反射して、きらきらと光っていた。

 それから1時間もしないうちに、ミーティングルームには志織と西村が連れ立ってやって来た。小野里と池田はそれぞれ用事で来られないらしい。
 犯人からのメッセージを誘うために、わざと護衛を頼んでいる現状では、志織に送って貰う事もほぼ無い。一花はなぜ志織がミーティングルームに来たのか不思議に思った。
 それに……心なしか顔が赤い気がする。
(気のせい?)
「夏目、どうだった?」
 志織を見つめていた一花は、西村の声にはたと我に返った。
 主語を抜いた会話でも、それがメッセージの事だと言うのは全員が判っている。一花は西村と志織に見えるように、ゆっくりと首を振った。
「それが、来ていないの」
「まじ?! 良かったじゃない一花!」
 心底嬉しそうな志織に、少し微笑む。
「……このまま、ずっと来ないなら良いんだけどね」
 これきりメッセージが届かなければ「あれはただのイタズラだったんだ」と笑える日が来るだろう。しかしなんとなく、そうはならない確信が一花にはあった。
 それぞれが一様に難しい顔をする。
 先ほどの一花と同じく、なぜ今回はメッセージが来ないのかを考えているらしい。
 腕を組んで首を捻り「うーん、うーん」と唸っていた志織が、誰にとも無く呟いた。
「私の書き込みを見て容疑者は一花と小野里くんが付き合ってると思い込む。で、一花にメッセージを送る……」
(容疑者って……)
 一花が内心でつっこんでいると、志織の向こうにいる平野がうっとりと顔を撫でた。
「容疑者って何かカッコイイ響きだねー。本物の探偵みたーい」
「そうかぁ?!」
 訳が判らないといった表情の西村に、一花も同意する。
 志織は周りのやりとりなど聞こえていないのか、独り言を続けていた。
「メッセージを送っても別れない。だから一花と小野里くんが一緒なのを見るとメッセージを送る。でも昨日は送って来なかった。……どうして?」
 それはもちろん犯人に聞いて見なければ判らないのだが、おどけた平野がサッと手を挙げた。
「はーい。二人きりじゃなかったからでーす」
 顔を上げた志織は、にやりと不敵に笑い、指を振る。
「甘い、甘いわ。ダブルデートかも知れないじゃないの」
「でもそれなら、二人きりのデートと違って、イチャイチャできないじゃーん。容疑者も安心、安心」
(イチャイチャって……!)
 ぎょっとした一花と西村が目をむいた。
 しかし、そういった事に慣れている志織には全く気にならないらしく、至って普通に平野の意見に頷いている。
「そりゃそうね。でも今まで来たメッセージだと、小野里くんが……ていうか、二人が近付くだけでも嫌そうだったじゃない?」
「まーねー」
 のんびりした平野の声を聞きながら、一花はこれまでのメッセージを思い返していた。内容は全て変わりなく、再三再四「小野里成には近付くな」と書かれていたはずだ。
 推理に行き詰ってしまったらしい志織は、長机に軽く座り、ぐうっと伸びをする。
「あーあ。内容だけ見るなら、小野里くんのストーカーみたいなのにねぇ。小野里くんには近付くなー、近付くなーってさぁ。女々しいっつうの」
(え……)
 一花は弾かれたように顔を上げた。見れば西村と平野の顔も緊張している。
 これまで全く気付いていなかった可能性に身体が強張った。だが、次の瞬間には有り得ないだろうと思い直した。
 最初に志織の書き込みがあったせいで、おそらく犯人はずっと一花と小野里の関係を誤解し続けている。実際、メッセージの内容にも、そう書いてあった。だからこそ小野里との事ばかりを書いてきているのだ。
 ゆっくり息を吐いて、首を振る。
(馬鹿馬鹿しい。小野里くんのストーカーな訳が無い)
 一花はまた最初から考えるために、思考をリセットしようとした。が、犯人からのメッセージの妙な点が気にかかる。
 メッセージの示す通り、犯人が一花のストーカーなのだとしたら、小野里以外のメンバーと二人きりで登下校する事だって面白いはずが無い。なぜそれには触れないのだろうか。
 「小野里に近付くな」ではなく「男に近付くな」と書けば、メンバー全員を排除できる可能性もあるのに。
 単純に、噂に上った小野里が最も危険な存在だと思っているだけかも知れないし、ストーカーをするくらいだから、思い込んだらそれ以外は見えなくなるような人間なのかも知れない。何も判らない以上、確証は何も無い……しかし……。
 一花は、犯人が小野里にこだわる理由を知りたいと思ってしまった。それが判れば、何かの手がかりになる可能性もある。
(……だけど、もしそれで、犯人の本当の目的が小野里くんだと判ったら?)
 言いようの無い苦い思いが心の中に広がる。
 錯覚だとは判っていても、自分の身を守るために被害者を小野里にすり替えようとしている気分だった。そして、彼に自分と同じ恐怖を味わって欲しくないとも思った。
「その、夏目が良ければだが。別の男との噂をわざと流してみれば判るんじゃないのか?」
 一花と同じように考えていたらしい西村の呟きに、肩を震わせる。
 いまいち事情が飲み込めていない志織がきょろきょろと皆を見渡した。
「えっ?! 容疑者って、一花じゃなくて小野里くんのストーカーなの?」
「んー……表向きはイッチーだけど、よく考えたらホントはナーリーのかも知れない可能性が無きにしもあらず?」
 驚いて声を上げた志織に、平野が説明する。
 二人の会話をどこか遠くに聞きながら、一花は搾り出すような小さな声で呟いた。
「そんなはず無いよ。犯人は私を見てるって言ってるんだもの。小野里くんは、関係無い……」
「相手は軽度とはいえ犯罪者だぞ。目的の為なら嘘もつくだろう。それに……はっきりさせないと小野里自身が更に危険な場合もある」
 西村の太い、どっしりした声が静かな室内に響く。
 一花は考えてもいなかった事を言われ、目を見開いた。
「小野里くんが危ない?」
「もしも犯人が夏目をカモフラージュにしているとしたら、何も知らない小野里に近付きやすくなるとは思わんか。まぁあいつは男だし、そんなにヤワじゃないだろうがなぁ」
 ぎくりと身を強張らせる。嫌な汗が背中を伝い落ちた。
 西村の言う通り真の目的が小野里なら、犯人は恐ろしく頭のいい人間だと思う。そんな奴に立ち向かい、正体を暴く事ができるのだろうか……。
 一花はこれまでとは違う恐怖が足元から這い上がってくるような気がした。
 何も言えず、ただ青い顔をしていた一花に代わり、平野があっけらかんと結論を述べる。
「ま、とりあえず。しおりんにまた噂を流して貰ってぇ、それで出方を見たら良いんじゃない? ……イケちゃんはともかく、ナーリーにははっきりするまで内緒が良いかなぁ?」
 平野が伺いを立てるように視線を送った先の西村は、かすかに頷いた。
「そうだな。で……」
 言いかけた西村の言葉を、一花が遮る。
「ダメだよ。そんな事して、犯人が私のストーカーだったら、相手の人が危険だもの!」
 自分が狙われているのは、本当に怖い。
 しかし、小野里が狙われているのかも知れないと思った時に一花は気付いた。自分の大切な人が危険に晒されるのは、もっと恐ろしいという事に。
 犯人がインフィニティ・エリアに向けてメッセージを送っている以上、偽の相手もメンバーの中から選ぶのが一番良い。という事は、小野里だけではなく他のメンバーにも更に危険が及ぶ可能性がある。
「……」
 気まずい空気に包まれた室内に、からからと明るい笑い声が上がった。
「もー、イッチーてば男らしすぎ!」
「平野くん……」
「あのねぇ。イッチーが皆を思ってるのと同じくらい、俺らもイッチーのコト思ってるし心配なワケ。だからお互い様、気にしない。ね?」
「そうだぞ夏目っ! 俺たちは仲間だからな!!」
 二人の言葉に思わず涙が浮かぶ。
 わざと軽く言ってくれているのだろう平野と、いつも揺るがない態度の西村に、一花は心から感謝した。
 と、突然駆け寄ってきた志織に力いっぱい抱き締められる。息が詰まり目の前に星が飛んだ。
「し、志織?! ……ちょ、く、苦しいってば!」
「一花ぁー! もーなんて良い子なのアンタはー!!」
 感動しているらしい志織は手加減無しにきつく締めてくる。耐えられなくなった一花は、もがきながら無理矢理志織を引き剥がし逃げ出した。が、不満顔の志織が追いかけてくる。
「やだもー、なんで追いかけてくるの?!」
「逃げるなぁー。この想いをハグで表すのよっ」
「いらない、いらないってば」
 四角に並べてある長机の周りををくるくる回る一花と志織を見て、西村達が笑い出す。
 薄暗くなり始めたミーティングルームには、それからしばらく笑い声がこだましていた。

 もうすっかり日の暮れた歩道を、一花と平野が駅へと向かっている。あと一月半もすれば春一番が吹くはずなのに、そんな気配など微塵も感じられないほど空気は冷え切っていた。
 いつもの帰り道、見慣れた平野と二人なのに、何か違う気がして一花は彼を盗み見た。
 余りにじっと見過ぎたせいか、気付いた平野がわざとらしく首を傾げる。
「なぁに?」
「ん……平野くんは良かったのかなぁって思って」
「噂のコト?」
 あれから、一花と志織のコントのようなやり取りがあった後、協議の結果……というか立候補によって、一花の噂相手は平野に決定していた。
「うん。あ、迷惑とかそういう事じゃなくて。平野くんの、その、人間関係とか困ったりしない?」
 はっきり「恋人はいないのか」と聞く事もできず、かなり回りくどい言い方をすると、平野は可笑しそうにクスクス笑う。
「別に困らないよん。今は彼女もいないしねぇ」
「あ、そなんだ。えと、変なこと聞いて、ごめんね?」
 聞いてはいけない事だったかも知れない。上目遣いに謝った一花に、平野はまた笑った。
「イッチーこそ、困るんじゃないのー?」
 茶目っ気を滲ませた平野が、含みのある質問を口にする。
 一花は内心で焦りながらも、どう答えて良いのか判らずに誤魔化した。
「え、こ、困らないよ全然」
 普通を装ったものの、無意識に視線を逸らしてしまう。
(……もしかして、ばれてる?!)
 小野里への想いが知れているかもしれないと、一花はうろたえる。
 一重の細い目を更に細くした平野が何かを言い掛けた時、まさに妨害するようなタイミングで着メロが流れ出した。はっとした一花は、慌てて自分の携帯を取り出し、相手を確認せずに通話ボタンを押すと耳にあてた。
「も、もしも……っ」
『夏目?』
 携帯から聞こえる声に、心臓が大きく跳ねる。
(お、小野里くんっ!)
 目を見開いて硬直した一花は、顔が火照るのを感じた。平野の存在をすっかり忘れ、両手で携帯を抱え直す。
「な、なに?」
 以前、ふたりで夕飯を食べた時に一度かかってきた事はあるが、あれは直前にメールをしていたから、それほど驚かずに済んだ。まさか小野里から、こんな風に何の前触れも無くかかってくるなんて、予想もしていなかった。
 ありえない事態に、一花の心臓が激しく鼓動を刻む。
『いや、何か諸山がまた書き込んでんだけどな、どういう事か判るか?』
「あ、あー。それね。ええーっとー……」
 どうやら志織が早速、平野との噂を書き込んでくれたらしい。相変わらず事務的な通話内容に落胆しつつ、一花は小野里にどう説明したら良いのか頭を悩ませた。
 犯人の目的がはっきりするまでは、小野里に知らせるわけにはいかない。かと言って、犯人が見る間も無く削除されるのも困る……。
 何も良い言い訳が見つからず、黙り込んでしまった一花の手から、携帯がするりと抜き取られた。
 驚いて見上げれば、ウインクした平野がストラップを摘んでいる。しかもそのまま勝手に通話を代わってしまった。
「はいはーい。愛の伝導師ケンちゃんでーす」
「平野くんっ?!」
 何をする気なのかと慌てる一花は、無言で出された手の平に制され、口をつぐんだ。
「うんうん。ああ、それそのまま放っておいてぇ……ん、いーのいーの。えー、それはどうかなぁ。ナーリーはどう思う? ふぅーん……」
 一体何を話しているのか、携帯ごしでは小野里の声まで聞き取れない。よく判らない不安を抱え、成り行きを見守っていた一花は、思わせぶりな平野と視線がぶつかり怯んだ。
「……なに?」
 小野里には聞こえないように小声で問いかける。平野は無言でにやりと笑うと、携帯を持ったまま一花の目線まで屈んだ。
「ねぇイッチー。俺らって超仲良しだよねー?!」
「え? ……まぁ、そう、だね」
 唐突な質問に、一花の頭は疑問符で埋め尽くされる。一体何の事か尋ねる前に、平野はさっと背筋を伸ばして視線を逸らした。
「だぁーって。聞こえたっしょ。後は明日にでも直接本人に会って確認して下さーい。じゃーねー」
 早口に言い切ると、平野は一花に確認せずに終話ボタンを押した。
 返された携帯を受け取った一花は、呆然と平野を見上げる。含み笑いをする平野は酷く楽しそうだ。
「平野くん?」
「だいじょーぶ。ナーリーには消さないように言っておいたから。あ、もちろん理由も言って無いよ?」
「あ、うん。ありがと……」
 本当に聞きたかったのは、その事では無いのだが、一花が問いかける前に平野はさっさと歩き出してしまった。
(一体何だったの?)
 平野の会話と、思わせぶりな視線の意味が判らないまま、先を行く平野の後ろをついていく。
 ご機嫌な平野に対して、判らない事だらけの一花。諦めに近い気持ちから出た溜息は、白く煙ってから掻き消えた。

   

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