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 インフィニティ ・ エリア

 12
 犯人を捜すという一花の決意を平野と志織にも伝えたところ、絶対に一人で行動しないと約束するという条件付きで認めてくれた。
 池田が始めた管理者アクセスプログラムの変更は1週間もかからずに終わったのだが、不正アクセスの証拠は見つかっていない。未だに犯人がどうやって偽ユーザーを登録しているのかが判らない為、もう少し詳しく調べられるプログラムへの変更を行っている最中だ。
 肝心のメッセージは、一花が考えた通り、あれから4度送られてきていた。内容は前2回とほぼ同じ。小野里と付き合うのは止めろという一点張りだった。
 最初の頃は自分の身に起きた事が信じられなかったし、恐ろしくて怯えていたのに、何度も続くと感覚が麻痺してくるのか、最近ではメッセージがきても受け流してしまっていた。
 内容が変わらない事も一因かも知れない。
 だからといって安心できるわけでも無いし、気をつけなければいけない事に変わりないのだが、休日に出かけられるくらいには気分が軽くなっていた。

 真冬とはいえ休日の昼、沢山の人が行き来する駅前で、一花と志織は人待ちをしていた。
「あー、きたきた。もー」
 待ちくたびれたと言わんばかりに億劫な声を出した志織は、背伸びして手を振る。
 向こうから歩いてくる西村と小野里は色々な意味で目立っていた。
「おはよう」
 まだ午前中なので、一花が朝の挨拶をすると、いつもながら元気過ぎる西村と今にも倒れて寝そうな小野里が挨拶を返してくれる。
「おっす夏目、諸山!!」
「……あぁ」
 何の事はない、一花と志織が買い物へ行くのに、西村と小野里を付き合わせたというだけ。ダブルデートでも無いのに、一花はどきどきしていた。
 時々困る事もあるが、志織の押しの強さに感謝する。例のメッセージのせいで休日家に引き篭もっている一花を連れ出してくれたのも、護衛にかこつけて小野里を呼んでくれたのも志織だった。
「てか、なんなのアンタ達。まず西村、女の子とお出かけなんだから、少しくらいオシャレしてきなさいよ。何よ、その、子供の試合の応援に行く父親的スタイルは!」
「なにっ、俺が持っている服で一番いいやつを着てきたんだぞ?!」
 志織と西村の掛け合いに思わず吹き出す。
 西村はスポーツブランドのロゴが印字されたロングのダウンコートに、スウェットのパンツを履いていた。同じブランドのキャップも被っている。確かに、このままどこかの応援に行くと言われても納得しそうだった。
「次、小野里くん。仮にもイケメンなんだから、もうちょっとキレイな格好できないの? 髪はだらだらだし、背も高いのに猫背だし、シャンとしなさいよ!」
「あー、面倒くせーし、さみーし、眠いし……」
 目をしょぼしょぼさせている小野里はいつもと同じよれよれのジーンズにダウンジャケット。伸ばし放題の髪が酷く陰気に見えた。かなり寒いのか背中を丸めている。
 そんな格好にすら胸が高鳴るのだから、本当に恋は厄介だ。
 一花は、少しだけでも可愛く見えるだろうかと自分を見下ろす。チェック柄の入った紺色のショート丈ワンピースに、茶色のロングブーツ。少しグレーがかった白のファーコートを合わせた。余り服を持っていない一花の精一杯のコーディネート。
 そうっと小野里を盗み見たものの、当の本人は一花のファッションどころか周りの景色すら見ていないように、ぼうっとしている。小野里から「可愛い」なんて言葉が出ない事は百も承知だが、それでも少し落胆した。
 そんな一花を察したのか、志織が後ろからぐぐっと押してくる。
「ちょっと、志織?」
「ほーら見て見て、小野里くん。一花の服カワイイでしょー?」
 いきなり何を言い出すのかと慌てる一花を、小野里は一瞥した。
「ん。いんじゃね」
 ぼそっとそれだけ呟いて、また寒そうに身を縮める。
 どうでも良さそうな小野里に志織は不満げだったが、見て貰えただけで一花は満足だった。
「おう、夏目も諸山も可愛らしいな。まさに女子って感じだ!」
 隣で見ていた西村がニカッと笑う。
「西村には聞いてないっての! 他人褒める前に自分の格好どうにかしなさいよっ」
「えっ、これのどこが不満なんだ?」
「全部!!」
 八つ当たり同然に食って掛かる志織と、困惑する西村の言い合いが可笑しくて堪らない。一花はお腹を抱えて笑い出す。
 この時だけは、あのメッセージの事も、どこかにいるはずの犯人の事も、すっかり忘れていた。
 誰憚る事無く生活していた少し前の自分に戻れたような気がして、本当に嬉しかった。

 待ち合わせをしてから、近くのデパートでお目当ての服や靴を見た後、志織は西村の服装を何とかしなければいけないと宣言し、無理矢理彼を引き連れて紳士服売り場へ向かっていった。
「お昼にレストラン街で待ち合わせね」
 と言い置いて去っていく後姿を呆然と見送った一花は、同じく隣に立っている小野里を見て気がついた。
(もしかして……小野里くんと二人きりにしてくれたのかな)
 程よく暖房の効いている店内なら寒くない。小野里は学校にいる時と同じように、ただぼうっとそこにいた。
「え、と。小野里くんは、何か欲しいものとか無いの?」
 突然二人にされた一花は、どうしたものかと考えた末に当たり障りの無い言葉を掛けた。
「別に。夏目は、もういいのか?」
「あ、うん。見たかったのは全部見たし、欲しいのも見つかったから……」
「じゃ、CDでも見に行くか。前に洋楽よく判んねえって言ってただろ?」
 最初のメッセージが来た翌日、一緒に登校したときの話を小野里は覚えていたらしい。一週間と少ししか経っていないのだから覚えていて当然なのだが、何事にも興味の無さそうな彼が、一花との会話を記憶していた事に驚いた。
 小野里にすれば、たまたま覚えていただけの話でも、一花には嬉しい。
「うん。ありがと」
 自然に出た笑顔を向けると、小野里も少しだけ笑ってくれた。
 本館の7階にあるCDショップまでは割と距離がある。渡り廊下とエスカレーターを乗り継ぎながら、一花は小野里とあれこれ話をした。
 本当にどうって事無いただの休日で、何でも無い単なる世間話。それでも例のメッセージに話題が行かないように気を使ってくれている小野里の優しさが嬉しい。
(……全てが解決したら……彼に気持ちを打ち明けよう)
 たとえ可能性が無いとしても、一花にとって小野里の存在がどれだけ大切かを伝えたい。それから、今こうして支えてくれている事への感謝も。
 まだ何も判っていない状態だが、きっと上手くいく。一花はそう信じていた。

 楽しい時はあっという間に過ぎる。一応、警戒して暗くなる前に帰宅した一花は、母親がまだ帰っていない事に顔を曇らせた。
 この歳で今更、出迎えて「おかえり」と言って貰いたい訳じゃない。単に響子の身体を心配しているだけ。
 また働きに出ると言った時は、バイトのような物だと説明していたし、始めの内は一花が学校に行っている間だけで早めに帰宅していた。それが、最近ではフルタイムどころか残業までしているらしい。今日だって休日出勤している。
 一花は響子の顔色が優れない事を思い出し、溜息をついた。

 結局、夕飯は一花が適当に作った。響子は8時を過ぎてから疲れた顔で帰って来た。
 夕飯を食べていないという響子に、スピード料理と言えば聞こえのいいワンプレートの夕食を出す。いつもならそのまま2階に上がるのだが、一花はそのまま向かいの椅子に座った。
「……ねぇ、お母さん。今の仕事そんなきついの?」
 いくら娘とはいえ、お互いに成人しているのだから余り立ち入りたくは無い。しかし、そんな事を気にしていられないほど響子の顔色が酷かった。
「え。そんな事は無いわよ?」
 以前に比べて細くなった頬のライン。元々太っていないのだから、今は少し痩せすぎと言ってもいいくらいだ。
「でもさ。ちょっと働きすぎじゃない? 別に干渉する気は無いけど、凄い顔色悪いし」
 ハッとして視線を彷徨わせた響子は、自分の顔に手をあてて、わざとらしくにっこり笑った。
「今日は外回りで寒かったのよー。でも、一花ちゃんの言う通り、少し仕事はセーブするわ。ついつい夢中になってしまうの、悪い癖ね」
「身体壊さない程度に頑張ってよ」
 昔から一つの事に入れ込み、周りが見えなくなるところがあったのを思い出して、一花は苦笑する。
 合わせて微笑んだ響子は、一瞬視線を落としてからパッと顔を上げた。
「そういえば、今日デパートの前で一花ちゃんたちを見たわ」
「えっ、いたの?」
 別にやましいところなんて無いのに、なぜか恥ずかしい。
「ええ。デパートの近くの喫茶店で打ち合わせがあったのよ……一緒にいたのが、学校のお友達?」
「……うん」
 俯き加減で返事をした。
 デートを見つかった訳じゃない。それに響子が一花の恋心を知っているはずも無い。それなのに気まずかった。
 お互いにしばらく黙り込んだ後、響子が探るように一花を見た。
「ふぅん。どちらかの子が、彼氏、なんじゃないの?」
「そっ、そんなんじゃないよ。全然っ!」
 小野里への想いを見透かされた気がして、一花は思い切り否定する。
 一瞬面食らった響子は、少し肩の力を抜いて微笑んだ。よその親よりも心配性な響子には、一花に彼氏がいるのか気になって仕方ないらしい。
「お母さんとしては、あの背の大きい子の方が良いわねぇ。落ち着いてそうだし、一花を守ってくれそうじゃない?」
 西村と小野里では、西村の方が大きいはず。正確な身長は知らないが、背が高く、筋肉質で肩幅も広い西村は、立ち上がった熊に似ている。
(……まぁ、守ってはくれそうだけど……)
 西村は仲間として大切な人だが、小野里へ想いを寄せている一花には、とても異性として意識できない。
 一花はぼんやりと父親の顔を思い出し、実の親ながら、母親の好みのタイプが読めないと思った。
「だからー、そういう人達じゃないの。ただの友達」
 追求されても、それ以外に答えようが無い。一花はさっさと話を切り上げようと、席を立った。
「そう。私はてっきり志織ちゃんと髪の長い子が付き合っていて、一花と背の高い子と、皆でデートかしらって思ったのに」
 響子の残念そうな声に、ぎくりと身体を震わせる。
「……まさか。志織と小野里くんが付き合ってる訳、無いし……」
 ありえないと判っていても、声がかすれた。
「あら、美男美女でお似合いだと思うけれど」
 憶測でも若者の恋愛話が楽しいのだろう。響子は口元で、ふふっと笑った。
 パッと見は陰気だし面倒臭がりで無口だが、小野里は努力家で優しい。顔もスタイルも良い方だから、社会人になってきちんとした身なりをすれば、相当にモテるはず。
 対して一花は、どこもかしこも十人並み。今日のように着飾ったところで中身が伴わないのだから、どうしようも無い。しかも、就職すらきちんとできていない有様だ。
 始めから判っていたのに、つり合っていない事を突きつけられたような気分になる。
「……先に、お風呂入っちゃうね」
 一花は振り返らないまま言うと、返事も聞かずにダイニングを出た。
 悲しさ、悔しさ、切なさ、全部がごちゃごちゃに混ざったような気持ちが心に渦巻いている。
 そのまま真っ直ぐ廊下へ向かった一花は、響子がうつろな疲れた視線で背中を見つめていた事など、気付きもしなかった。

   

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