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      インフィニティ ・ エリア
  
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 放課後、朝からバイトに出ている平野を除いた全員がミーティングルームに集まっていた。 
 小野里と西村は、一花が召集したのを何かが起きたせいだと勘違いしたらしく、心配してくれていた。 
 ぐるりとそれぞれを見渡して、静かに口を開く。 
「今日呼び出したのは、私なりの決意っていうか……そういうの聞いて貰いたいなって思って。それから協力して貰いたい事もあるんだ」 
「おう、何だ夏目。俺たちは仲間だぞ、何でも協力するに決まってるだろう!」 
 西村の力強い言葉に微笑む。きっとそう言ってくれるだろうと思っていた。以前だったら鬱陶しいと思っていた西村の男気が、今ではとても頼もしい。 
 黙ったままの小野里も、目を合わせて頷いてくれた。 
「結論から言うとね、私、犯人を捜そうと思うの」 
「……本気か?」 
 少なからず驚いたらしい小野里が、思わず聞き返す。一花は顔を上げ、真っ直ぐ見つめたまま首を縦に振った。 
「うん。池田くんとも話してたんだけど、イタズラとかじゃ無いと思うし。でも2回メッセージが来ただけだから、警察に言っても……って感じだし」 
 犯人がインフィニティ・エリアを通してメッセージを送ってきているせいで、メンバーにはそれが単なるイタズラでないと判る。しかし他人から見れば、2回おかしなメッセージがきただけの事。通報したところで取り合ってもらえないのは判っていた。 
「しかし、探すと言ってもどうする?」 
 腕組みした西村が難しい顔をしながら唸る。 
 あらかじめ決めていたかのように、池田が管理ページを表示したパソコンを指し示した。 
「まずユーザーだけでは無く、管理者のアクセスチェックプログラムを導入します。犯人がどういう手段で架空のユーザーを作成しているのかが判らないので、インフィニティ・エリア全体のログが必要だからです」 
 先ほどの一花の憤りを考慮してくれたのか、池田はあえて極秘にせずに管理者のアクセスをチェックするらしい。 
 小野里も西村も異存は無いと頷いてくれた。 
 一花は池田の言葉を継ぐように口を開く。 
「あと、来たメッセージしか証拠が無いから、もう一度みんなで良く見て気付いた事があったら教えて欲しいの。私宛だけど、気付いてない事があるかも知れないし。それに、護衛はこのまま続けて貰えないかな……迷惑になるのは、判ってるんだけど……」 
 誰かに頼った経験が余り無いので、思わず言葉が尻すぼみになった。
  
『イッチーは気にしすぎ。謙虚は美徳だけど、俺たちに関しては無用だよん』
  
 朝、平野に言われた事を思い出して、そうっと目線を上げる。 
 恐る恐る見つめた先の小野里は軽く苦笑いすると、一花の頭にぽんぽんと手を置いた。 
「気にすんなっつったろ。迷惑なんて思って無ぇよ」 
「全くだ。俺たちは同士だぞ、夏目! 仲間のために動く事は喜びだっ」 
 相変わらずの西村に微笑む。 
 暑苦しい西村と一緒にされたくないのか、真顔でそっぽを向いている池田も、口元がほんの少し上がっている気がする。 
 ここにいる小野里と西村、池田……そして、いないけれど女装までしてくれた平野に向かって、一花は頭を下げた。 
「みんな、ありがとう!」
  
 平野には後で頼むとして、他メンバーは集まっているのだからと、早速メッセージの検証を始める事にした。 
「両方表示しますので、各々気付いた事や疑問があれば言って下さい」 
 池田の言葉に全員がパソコンを覗きこんだ。
  
『はじめまして一花さん。僕はあなたを誰よりも大切に思っている者です。 
 これまで僕はあなたを影から見つめているだけに徹して来ましたが、 
 今回の事は納得できないのでメッセージを送りました。 
 いま学内ではあなたと小野里成が付き合っているという噂が流れていますね。 
 でも僕はあなたが誰とも付き合っていないと信じています。 
 それなのに、どうして今日、彼と駅前の店で食事をしたのですか? 
 しかも地元の駅まで一緒に帰宅するなんて。同じ路線だとしても許されない事です。 
 どうか目を醒まして下さい。彼に近付いてはいけない』
  
『こんにちは一花さん。僕は一昨日あなたにメッセージを送った者です。 
 僕が送ったメッセージ、読んで貰えたでしょうか? 
 もしかして届いていないんじゃないかと不安になって、また送りました。 
 前に書いた通り、僕はあなたを見つめています。 
 だから、あなたが今日も小野里成と登校した事は知っています。 
 もう一度、書きます。 
 目を醒まして下さい。 
 あなたと彼が近付くのは、許されない事だ』
  
 別にただのメッセージで、パソコンに表示されただけの文章なのに、一花は得体の知れない恐ろしさを感じて震える。 
 悪意の無い淡々とした文面だからこそ、相手が誰なのか全く判らなかった。 
 しばらく全員が無言でメッセージを読んでいたが、小野里がぽつりと疑問を口にした。 
「噂って何の事だ?」 
「噂?」 
 西村が振り返ると、小野里は始めのメッセージの4行目を指差した。 
「俺と夏目が付き合ってるって噂になってんのか?」 
「……あー、それ。志織が勝手に話を作って、インフィニティ・エリアに書き込んだの。だから、噂にはなってないと思う、多分」 
 どうして志織がそんな事をしたのか問われるんじゃないかと、どぎまぎしながら一花が答える。問われて答えたところで小野里への想いが露見するわけじゃないのに、なぜか焦った。 
 小野里はそんな一花には気付かず、眉を寄せて考え込む。 
「そんな書き込みあったか?」 
「いや、知らんな」 
 小野里と同じく書き込みを見なかったらしい西村が首を振る。一花も実際に読んだわけでは無いので池田を見ると、いつもの仕草で眼鏡を押し上げて、しぶしぶと言った風に説明を始めた。 
「その書き込みでしたら、プライバシーの侵害に関わるので僕が削除しました。確か……夏目さんがお休みされた翌日ですから、その最初のメッセージが来た日の昼ですね」 
「……てーことは、コイツはその書き込みを見たってわけか」 
 小野里の呟きに池田がハッと顔を上げ、パソコンを引き寄せる。そのままマウスとキーボードを交互に何度か操作すると、食い入るようにディスプレイを見つめた。 
「ありました。あの日の10時51分にアクセスしています。諸山さんの書き込みが9時45分、僕が削除したのが12時2分ですから、これに間違いないと思います」 
 一花の方に画面を向けた池田は、全員に見えるように身を引いた。アクセス履歴の文字列の中、10時51分のところに『削除ユーザー』と赤字で表示されている。 
 あのメッセージが来た後、送り主である佐藤太郎の登録は削除されていた。2通目の高橋はじめも同様に。これ以上の悪用を食い止める為の措置だった。 
 じっと画面を見つめていた西村が唸る。 
「削除してしまった以上、接続元は判らないのかっ?!」 
「いいえ、残っています。削除されるのはユーザー名とアクセス権限だけなので」 
 横から腕を伸ばして、池田が画面を切り替えた。英数字の羅列の中、10時51分のところにも接続元がしっかりと残されている。 
「……学内じゃ、無いんだね」 
 一花の言葉と同様の疑問を全員持ったらしい。それぞれが難しい顔をした。 
 学内からの接続であれば、接続元にローマ字で書かれた学校名が入る。しかし、佐藤太郎の接続元は見たことの無いものだった。 
「これじゃ、どこか判らねぇな。誰か判るか?」 
 見回した小野里に、首を振って見せる。他の二人も判らないようだったが、池田が顎に手を当てて何かを考え込んでいた。 
「池田くん?」 
「あ、すみません。てっきり学内からだと思い込んでいたので……それにしても、学外から接続元を隠さないでアクセスしてくるなんて一体……」 
 誰かに説明するというよりは、自身の疑問を口に出しただけのような池田は、また無言になり険しい顔をした。 
 そういった事に詳しくない一花は、考えるのを池田に任せ、もう一度メッセージを読み返す。 
 ただ怖れていた時には気付かなかった事実が、こんな短い文面からも判る。 
 犯人は、一花の家を知っている事。小野里が同じ沿線に住んでいるのを知っている事。登下校時に後をつけてきている事。 
(あれ……) 
「どうして、学校の事は書いてないのかな?」 
「ん」 
 一花の疑問に、小野里が眉を上げた。 
「このメッセージって、登下校の事だけしか書いてないから、どうしてかなって。あんまり考えたく無いけど……犯人はずっとどこかで見張ってるんでしょ。だとしたら、学内で私が皆と一緒にいる事も書いてきそうじゃない?」 
「そういや、そうだな」 
 一度目のメッセージの後、防犯のために一花はこれまで以上にメンバーと共に行動している。なのに2度目でも、その事には触れていない。 
 わずかな沈黙の後、考え込んでいた西村が思いついたように顔を上げた。 
「学内では夏目を見張っていられないんじゃないのかっ!?」 
「……どういった理由で?」 
 冷ややかな池田の視線に合い一瞬言葉に詰まったものの、西村は思いつく限りの可能性を上げていく。 
「例えば……ウチの生徒じゃない奴。補講と課題が溜まっていて授業をサボれない奴。平野みたいにバイトで学校に来れない奴。後は、そうだな、別棟の課の奴なら、目立つから無理じゃないか?」 
 意外に色々な可能性がある事に気付いて、一花はますます混乱した。すぐに犯人に近づけるとは思っていなかったが、ここまで広範囲だと手がかりにならない。 
 難しい顔をしている一花に気付いた小野里が、パソコンから離れ、わざと音を立ててパイプ椅子に座った。 
 静かなミーティングルームに響いた音に、ハッとする。 
「とりあえず、その2つだけじゃ全部は判んねぇだろ。後は池田のチェック待ちだな」 
 小野里は新たなメッセージが届く可能性を指摘しなかった。そんな彼の気遣いが心を暖かくする。 
(……小野里くんが、皆が、勇気をくれるから) 
 一花は誰にも見えないように、ぐっと拳を作った。 
「多分だけど、新しいメッセージが来ると思う。それで犯人が判るかも知れないし、警察に頼む事になるかも知れない。だから、今まで通りに送迎をお願いしたいの……!」 
 ただ怯えているだけでは犯人の思うつぼだ。向こうがメッセージだけで意志を伝えて来るのなら、それを逆手に取ればいい。わざとメッセージが来る状況を作り、待つ。それが一花の作戦だった。 
 一花が護衛を続けて欲しいと言った本当の意味を理解し、池田が眉を寄せる。 
「夏目さん!」 
 二人だけの時に言われた事が判らないわけじゃない。危険かも知れないというのも承知の上だった。 
「危ないのは判ってるよ。それに、まだちょっと怖い……でも悔しいんだもの! 皆であんなに頑張って作ったのに、こんなことに使われるなんて。このまま終わるなんて、嫌だ」 
 悔しさに涙が滲む。 
 大変な事もあったけど楽しかったこの数ヶ月を思い出して、一花はぎゅっと目を瞑った。 
「うおぉぉー、夏目えぇー!」 
 地鳴りのような声と共に、肩をがしっと掴まれる。驚いて顔を上げると、西村が男泣きしていた。 
「に、西村くん?」 
「感動したっ、感動したぞ! この俺が夏目の盾となるっ。犯人には指一本触れさせん!!」 
「そ、それは、ありがと」 
 薄ら笑いを返した一花は、西村の向こうにいる小野里と池田が疲れたように肩を落とし、苦笑いするのを見た。 
(……きっと犯人を見つける。皆の為にも) 
 一花は強く強く決意した。 
 
    
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