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 インフィニティ ・ エリア

 9
 翌日、あの謎のメッセージに怯えながらも、一花は学校へと向かった。
 怖くないと言ったら嘘になる。しかし単なる悪戯の可能性も捨てきれないし、何より皆に相談したかった。
 それくらい一花は混乱していた。
 とても授業に出る気にならず、登校してそのままミーティング室へと向かう。多目的に用意されている部屋とはいえ、ほとんど使われていない空き教室同然の場所だから、授業中でも使っていないだろうと思った。
 入り口のプレートを『使用中』に変えて入れば、やはり誰もいない。
 静まり返った室内に身震いすると、持参したパソコンから管理用掲示板に『相談したい事がある』と書き込んだ。
 製作者サイドへのメッセージはインフィニティ・エリアのトップページからしか送信できない。もちろんユーザー登録者しか使えない。そして送られたメッセージはメンバー全員が見れるようになっている。
 一花は恐ろしさから、あのメッセージを削除できずにいた。
 メッセージと一花の書込みを見れば、皆にもどういう事か判るだろう。
 一花は机に突っ伏したまま、両手をぎゅうっと握った。
 送信者は一花を『これまで影から見つめていた』と書いていた。それは本当なのだろうか。そして今もどこかで見張っているのか。
 朝まで眠れないまま、何度も行き着いた考えがまた浮かんで、一花は自分の身を抱き締めた。

 1時間もしないうちに、メンバー全員がミーティング室へと駆けつけてくれた。
 項垂れる一花の周りに座った全員が重苦しい沈黙に包まれている。
 小さく「大丈夫か?」と声をかけてくれた小野里に笑顔を向けようとして失敗した。
「どういう、事なんですか?」
 苦い顔をした池田がぽつりと呟く。
 一花は黙したまま、ゆっくりと首を振った。
「よく、判らないの。昨日帰ったらメッセージが来てて……」
「つまり、夏目と小野里が昨夜メシを一緒に食って、そのあと駅まで帰ったのは事実なんだな?」
「ああ」
 西村の問い掛けに小野里が答える。
「……じゃあ、それを見てた人がイタズラで送ったってコト?」
 最もありえそうな答えを平野が口にした。
 一花だって、その可能性は考えた……しかし……。
「待ってください。インフィニティ・エリアは完全固定ユーザー制です。メッセージを送った人物が誰か判るはずでしょう?」
 自らセキュリティシステムを構築した池田が言うと、西村が早速、手元のパソコンで送信者の素性を調べ始めた。
「名前は……佐藤太郎になってた」
 俯いたまま一花が答える。
 眠れない夜のうちに、誰が送ったのかは調べた。こういうときの為に学生限定にしているのだから。しかしそれは徒労に終わった。
 名前は佐藤太郎。マルチメディア科webデザイン専攻2年生、となっている。でも、そんな人物が存在していない事は、同じ専攻の一花ならすぐ判る。
 学生名簿を基本にちゃんとデータと照合して使用許可を出しているはずなのに、存在していない人物がなぜメッセージを送れるのか。
 ハッキング? それとも単なるデータミス? ……判らない。
 いずれにせよ犯人はそれを悪用しているという事だ。
 余りに手の込んだやり方に、単なるイタズラでは無いものを感じて一花は震えた。
「なんだこりゃ、ウチの科にこんな奴はいないぞ」
 一花と同じ結論に達した西村が唸る。
「実際にいねぇ奴からメッセージが来てるって事か?」
「そんなコト、できるの?」
 立て続けに小野里と平野が声を上げた。質問をぶつけられた先、池田は眉を寄せて唇を噛んだ。
「……可能性だけを言えば、犯人がハッキングを仕掛け存在しないユーザーを登録した。もしくは、存在しない生徒のユーザー申請を人為的ミスで登録してしまった。後は、システムかデータにバグがあって存在しない生徒を登録してしまった。……理論上は、ですが」
 池田が『理論上』と言ったのを補足するように、西村が言葉を継いだ。
「犯人が夏目にメッセージを送るためにハッキングして登録したっていうなら判るが、あとの2つは、いくらなんでも偶然過ぎるだろう」
「でもさぁ、逆だったらありえるかもよ。テキトーに申請したら偶然、登録されちゃって。イタズラに使おうっと、みたいな」
 余り深刻に考えていないらしい平野が言うと、池田が爪を噛みながら、聞こえないくらいの小声で何かを呟いた。
 平野が言う通り、ただのイタズラであれば良い。しかし、神経質なほどの完璧主義な池田が作り上げたシステムにそんな穴があるのだろうか。
 昨夜から一時も気の休まらない一花は、眩暈を感じて俯いた。
「……夏目?」
「ううん、大丈夫」
 すぐに気付いて手を差し出してくれた小野里に、軽く頷いて見せる。
 またもや訪れた沈黙に室内が静まり返った。皆どう答えれば良いのか判らないのだろう。そんな重い雰囲気を蹴散らすように西村が大きく息を吐く。
「犯人と目的が判らない以上、ここで議論したって答えは出ない。とりあえず、ただのイタズラの可能性もある事だし、夏目の安全を最優先しつつ様子を見る。これでどうだ?!」
 ぐるりと皆を見回した西村に、それぞれが頷いた。
「夜は良いとして、登下校と校内にいる時は要注意だな。インフィニティ・エリアに書き込んでるって事は犯人は生徒の可能性が高い」
「では、そのつど予定の無い者が夏目さんの護衛につけばいいという事ですね」
 小野里と池田の言葉に、一花は顔を上げた。
 確かに、この一件はインフィニティ・エリアに関係しているし、犯人の事も凄く怖い。しかし……。
「皆にそこまで迷惑掛けられないよ。もう単位も取ってるし、私しばらく学校休む事にするから」
「夏目の家には昼間、誰かいるのか?」
 西村の問いに、躊躇しながらも首を横に振る。昨日から働き出したばかりの響子に、休んで欲しいとはとても言えないと思った。
「じゃあ決まりー。イッチーは俺らに守られてればいーの。余計な心配はいらないよん」
 パチンと手を合わせて跳ねた平野が、ふざけた調子で言う。軽く聞こえそうなそれは、一花が気にしないようにという平野の気遣いだと判った。
「ごめんね。ありがとう、みんな……」
 気を張り続けてきた一花は、自分が一人では無い安堵感に声を震わせた。
 俯いた視線の先、無機質な長机が涙でぶれる。抑えきれない雫は頬を伝って、ぽつりと落ちた。
「泣くなって。大丈夫だから」
 乱暴に頭を撫でた小野里が、自前の物らしいハンカチをよこす。一応畳まれてはいるものの、アイロンをあてていない皺だらけのハンカチが小野里らしくて可笑しかった。
「……しわしわだし」
「んなこと言うなら、返せ」
 泣き笑いで文句を言うと、撫でる振りで髪をぐしゃぐしゃにされた。
「やだ、止めてよ。直すの大変なんだからー!」
 一花と小野里の掛け合いに、周りが笑い出す。
 必死に髪を撫で付けながら、一花は仲間のありがたみを強く感じていた。

 結局その日の帰宅時は、平野が。明けて翌朝は、小野里が迎えに来てくれた。
 できるだけ大事にしたくない一花が、響子に告げなくても済むように駅までの送迎を願った為、駅から学校までの間を護衛してもらう事になっていた。
 まだ、いつものように気分の晴れない一花は、混んだ電車の中で隣に立つ小野里を盗み見て溜息をつく。
(こんな理由じゃ無かったら、小野里くんと一緒に登校できるだけで嬉しいのに)
「ごめんね、朝から……」
 背の高い小野里を見上げるようにして言うと、小野里は横目でこちらを見てから、右耳に掛けていたイヤホンを外した。
「気にすんな。それより夏目も聴くか?」
「え……ありがと」
 無言で渡されたイヤホンを左耳に掛ける。低めの音量で聞こえてきたそれは、激しい感じのロックだった。
(洋楽かなぁ?)
 テンポが速すぎて聞き取れないが、日本語では無い気がする。
 一花の疑問に気付いたのか、小野里が教えてくれた。
「最近よく聴いてるイギリスのバンド。夏目は洋楽とか聴かねぇの?」
「あんまり聴かないかも。視聴とか少ないから選べなくて」
 同じ趣味を持っていれば話が盛り上がるのに、残念ながら一花には洋楽の知識は皆無だ。知ったかぶりをする訳にもいかないので、素直に答えて内心項垂れた。
「……ふーん。今度貸してやろうか」
 何気ない小野里の言葉に、心が跳ねる。
「い、いいのっ?」
「別にいいけど。どうせ毎日会うしな」
「あ、うん。そだね」
 小声でぽつぽつと言いながら、一花はふと気付いた。
 例のメッセージの件が解決するまで、ほぼ毎日、小野里に会うことができる。昨日の話では、手の空いている者がそのつど対応する事にしたが、冬休み明けからバイトもせず、単位も内定も取っている小野里は基本的にヒマだ。一花の送迎回数が増える事は必至だった。
 左耳から流れ込んでくるギターの音を意識し、一花はゆっくり瞳を閉じる。
(卒業まで間もないけど、毎朝こうして一緒に学校へ行けたら……)
 イヤホンで繋がっている事で、二人の距離が縮まっていっている気がする。
 見知らぬ誰かに見られているかも知れない事すら、小野里といれば怖くないと一花は思った。

 昨日、一花が帰った後、居残っていた志織に西村が事情を説明してくれていたらしい。
 西村からは「勝手に知らせてすまない」と謝られてしまったが、きっと一花から言う事はできなかっただろうし、やはり教室内にいる時も事情を知っている味方がいた方がいいとは思う。
 ……ちゃんと通じているかどうかは別として。
 いつもの彼女とは打って変わって厳しい表情をした志織が、休み時間の教室内をじろじろチェックしている。気分は名探偵といった感じ。
(西村くん何て説明したのかな……)
 絶対に離れてはいけないという志織の命に従い、隣に座った一花は警戒しまくりの志織を見た。
「あのさ、志織。メッセージ送った人が同じ科かどうか判らないし、そんなに怖い顔しなくても……」
「なに言ってるのよ、一花。佐藤太郎は同じ科になってたじゃない!」
(いや、それ、偽名だし)
 密かに心の中で突っ込んでみる。
 本人よりも、かなり大げさな反応の志織だが、それでも心配してくれるのが嬉しくて一花は微笑んだ。
 性格や行動が一花と全く違う志織は、どこか薄情な部分があるように思っていた。遊びに行った先でトラブルが起きた時など、せめて相談してくれれば良いのにと思った事が何度もある。
 校内外に把握できないほど友人のいる志織にすれば、偶然同じ科になっただけの一花は当座の友達なんだろうと思っていたのに……。
「志織、ありがとね」
「一花ぁ、私が守ってあげるからね!」
 いきなり抱きつかれて頬擦りされた。
 近くを通り過ぎた男子が、マズイものを見たと言わんばかりに視線を逸らす。
「ちょ、志織っ。ファンデ落ちるし」
 何とか押し返そうと腕を突っ張っていると、教室の後ろのドアの外から西村が手招きしていた。昨日集まった時と同じ、強張った顔。すぐさま良くない事が起きたんだと判った。
(……もしかして)
 志織が西村に気付いて手を緩めたすきに、一花は立ち上がった。

「またメッセージが送られてきました」
 ミーティング室に入ると、苦々しい顔をした池田がそう呟いた。
 それは誰もがうっすらと予感していた事。イタズラなどではなく、本当に一花をつけているのだとしたら、必ずまたメッセージを送ってくると思っていた。
 本当は見るのが凄く怖い。しかし…。
 一花は震える手を握り締めて、1歩踏み出した。
「見せて」
「おい、夏目が見なくても、俺が内容だけ教えてやるから」
 肩を掴んで止めてくれた西村に淡く微笑む。
「ありがと。私は皆がいてくれるから大丈夫。ちゃんと見ておかないと、犯人も判らないし」
 できるだけ軽く言って、今まで池田が座っていた場所へ移動した。目の前のパソコンは、管理プログラムがすでに起動されている。一花はいつもの手順でメッセージルームを開き、新着のものをクリックした。

『こんにちは一花さん。僕は一昨日あなたにメッセージを送った者です。
 僕が送ったメッセージ、読んで貰えたでしょうか?
 もしかして届いていないんじゃないかと不安になって、また送りました。
 前に書いた通り、僕はあなたを見つめています。
 だから、あなたが今日も小野里成と登校した事は知っています。
 もう一度、書きます。
 目を醒まして下さい。
 あなたと彼が近付くのは、許されない事だ』

 一花は恐怖で早くなる鼓動を抑えるように、わざとゆっくり読み返して、そのままノートパソコンを閉じた。
 込み上げる吐き気と眩暈に固く眼を瞑る。
(わかっていたこと、きっと、また来るって思っていたこと。だから何でもない、大丈夫)
 強く自分に言い聞かせ、椅子を反転させた。
「今回も、佐藤太郎から?」
 気丈な振りで聞けば、少しだけ肩の力を抜いた池田が簡潔に答えてくれた。
「違います。今回は『高橋はじめ、デザイン科イラスト専攻2年』となっています。平野さんに確認したところ、やはり実在しない人物です」
「そっか……」
 自分の声がどこか遠くで聞こえる気がする。
 大きく溜息をついて項垂れると、西村が珍しく掠れた声を出した。
「夏目は心当たりが無いんだろう?」
 俯いたまま、かすかに首を縦に振る。
 いくら思い返しても、それらしい人物の見当はつかなかった。最近変わった事や誰かに見られている感覚にも覚えが無い。
 ごく自然に訪れた沈黙に、池田の呟きが聞こえた。
「……おかしい」
「え?」
 顔を上げた一花に合わせるように、全員が池田を見つめる。
 イライラと爪を噛んでいた池田は自分が発した言葉に気付いていなかったのか、注目された事に驚き身を強張らせた。
「イケちゃん的におかしい所ってどこ?」
 場の重い空気とは対照的に、平野が軽く聞くと、池田は息を吐いて肩を落とした。
「……はっきりしているのは、犯人が夏目さんにメッセージを送る為に、わざわざ偽ユーザー登録をしているという事です。認めたくはありませんが多分ハッキングか何かの手段で。しかし、犯人はなぜそんな回りくどい事をするんですか? 実際に夏目さんを追い掛け回しているのなら、当然、携帯番号やアドレスを知っているはずです。ハッキングできるほどの知識と腕があり、且つ夏目さんを見張っているのなら、容易い事です。それなのに直接メッセージを送らずにインフィニティ・エリアを経由させている。この意味は?」
「んなこと知るか。実際やってる奴に聞かなきゃわかんねぇだろ」
 池田の疑問を、小野里があっさり切り捨てる。しかし池田は珍しく食い下がった。
「もちろん推測の域は出ません。でも、犯人が『わざと』インフィニティ・エリアを使っているとするなら、それは僕たち全員へ宛てたメッセージという事なんじゃないですか?」
 いつもより音量の高い池田の声に、全員が息を呑んだ。
 つじつまは合う。もし犯人が言う通り一花を見張っているのだとしたら、現状、一番身近にいる男子はこのメンバーだという事を知っているはず。文面で矢面に立たされているのは小野里だが、インフィニティ・エリアへメッセージを送れば、全員が目にするのだから。
「つまり……犯人はわざと全員が見るように仕向けて、小野里を含めた俺たちを牽制しているという事か?!」
「可能性の一つですが」
 かすかに怒気を含んだ西村の言葉に対して、池田が答える。  黙って話を聞いていた平野は、顎に手をあてて少し首を傾げた。
「ていう事はー、イッチーを護衛するのって逆効果? だったりして?」
「あ……」
 ハッとして顔を上げると、こちらを見ていた小野里と目が合う。平野よりも先にその結論に気付いていたのか、沈痛な面持ちの小野里はさっと視線を逸らして、ぽつりと呟いた。
「かもな」
「そうは言っても、夏目を一人にするのは論外だぞ!」
 はっきりといらだっている西村が声を上げ、室内はまたいたたまれない沈黙に包まれた。
(どうしよう……やっぱり私………)
 「しばらく学校に来ない」と言う為に一花が口を開きかけた時、突然、平野が大声を上げた。
「あーっ! 俺いいこと考えちゃったっ!!」
 静まり返った場に響いた声に、それぞれが驚いて平野を見る。
 池田は相当びっくりしたのか、胸を押さえて声の主を睨んだ。
「もう、なんなんですかっ、いきなり!」
「ごめごめー。とりあえず明日のお迎えは俺にまっかせなさーい。後、帰りはイッチーのクラスの……なんだっけ、しおりん?にお願いすればオールオッケー」
「し、しおりん?!」
(って、志織のこと?)
 にっこり笑って右手の親指を突き出した平野は、呆然とする皆を尻目にばちっとウインクする。アメリカナイズされたその仕草が妙に似合っていた。
 緊迫した状況に似つかわしくない平野の鼻歌に、一花は脱力し突っ伏した。疲れと共に吐き出された溜息は、やけに大きく聞こえた。

   

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