インフィニティ ・ エリア
6
1月の半ば。
成人式もつつがなく終わり、一花は最後の学期を迎えていた。
ほとんどの生徒はすでにある程度の単位を習得済みで、冬休み前に比べ出席している生徒の数も減っている。ほぼ毎日、登校しているのは、一花のように就職が決まっていないか、卒業制作を自宅で進めることができない者ばかりだった。
だいぶがらんとした教室を見て、一花は溜息をつく。
同じジャンルのものを、同じように勉強してきたはずなのに、就職が決まる生徒とそうでない生徒がいる。その差は何なのだろう。
極端に成績が悪いだとか、出欠が悪いだとか、えり好みしているとか。そういう理由があれば納得も改善もできるのに、一花の就職が決まらないのは全く判らなかった。就職担当の教師が首を捻るほどに。
それでも時はどんどん流れていく。
すでに新年を迎え、ほとんどの企業が内定者を選んだ今となっては、一花も在学中の就職を諦めざるをえなかった。
(…仕方無い、よね)
なんとなく定位置になってしまっている席に腰を下ろすと、相変わらず隣で作業をしている志織がこちらを振り返った。
「おは、一花。どしたの陰気な顔してー」
「んー。なんか就職ダメみたい」
備品のパソコンにぶつからないように、浅く机に突っ伏す。
すると、志織はからからと笑った。
「それを私に言うなってのー。私なんて就職どころか卒業も危ういんだからさ」
つられて一花も苦笑する。
春夏と散々遊びまくった……と本人が言う通り、志織の夏までの出席率は最悪で、秋から必死に出席して単位は何とかなったものの、今もやり残した課題に追われているらしい。
おかげで就職もままならず、課題が終わらなければ卒業させないと担任からきつい御達しが出ていた。
それでも、どこか余裕を感じさせる志織を、一花は羨ましい思いで見つめる。
「卒業制作、なんとかなりそう?」
今更、愚痴ばかり言っても始まらないので話題を変えると、志織は画面をチェックしながら左手をひらひらと振った。
「いーのいーの、未提出でも卒業できりゃこっちのもの。一花こそどうなのよ、あのイケメンくんと作ってるんでしょ?」
「小野里くんとだけじゃないよ。他のメンバーもいるし……」
インフィニティ・エリアの事は志織にも話していた。もちろん、同じ科の西村と池田が参加している事も伝えてあるが、志織にとって気になるのは小野里の事だけらしい。
「他なんてどうでもいいのよ。一花がイケメンくんとくっつくかどうかが重要なんだから」
「な、なによそれ」
志織の言葉に、自分の気持ちがばれていたのかと一花は驚いた。
「やだ、ホントに何も無いの? ……つまんなーい」
「もう変な事言わないでよね」
志織には小野里との事は何一つ話していない。具体的に何も始まっていないので話しようが無いともいう。
小野里の過去を聞いたり、手を繋いだりしても、相変わらず一花が想いを寄せているだけで何も変わっていなかった。
(あの日だって……)
元旦に初詣に行った時、偶然と混雑から手を繋いだものの、どぎまぎしている一花とは対照的に小野里は実に淡々としていた。
引っ張られるように待ち合わせ場所に到着すると、皆に気付かれないうちにパッと手を離され、密かにショックを受けたりした。
志織に判らないように、そっと溜息をつくと一花は持参したノートパソコンを開ける。今日は他のメンバーが誰もいないので、ミーティング室では無く、ここで作業をするつもりだった。
インフィニティ・エリアはすでにベータ版へと移行し、テストユーザーも徐々に増やしている段階だ。
デザイン面もほぼ完成しているので、少しずつ手直しするくらいで忙しい事は無い。しかし、掲示板というコミュニティサイトの性質上、どうしても管理者が必要なため、こうして時間がある時はチェックするようにしていた。
池田と小野里が隙の無いように作ってくれたおかげで管理は比較的楽だったが、やはり一時にどっとユーザーが増えるのは困る。だから現状、口コミで存在を広めて、ユーザー希望者にはサイト上から申請して貰うようになっていた。
一花は自分のパソコンに入っている管理用プログラムから、新たなユーザー申請をチェックし、生徒名簿データとの照合確認後、使用許可を出していく。
ほとんどの作業をプログラムが行ってくれるので、一花はただ相違を確認してクリックしていくだけだ。
登録が完了すれば、自分の学生番号と申請したパスワードを使って、掲示板を使用できる仕組みになっている。
ユーザーが少ないなりにも次第に賑わってきた掲示板を見て、一花は少し嬉しくなった。
「ね、それ面白いの?」
かけられた声に振り向くと、志織がこちらを覗き込んでいた。
「まぁ……最近ユーザーも増えてきたし。たまに役に立つ事もあるよ」
「へー、そうなんだ」
これまで存在を話してはいたものの、全く興味を示さなかった志織が身を乗り出して画面を見ている。
「志織もユーザー申請する?」
「してみよっかな。見るだけで書かなくても良いんでしょ?」
「もちろん」
一花は志織が使っていたパソコンから、インフィニティ・エリアのトップページを開いた。そこから志織に自分で入力して申請して貰う。
すぐに管理者権限で許可を出すと、志織はしばらく掲示板に見入ってから
「一花、書き込んだから見てみてよ」
と言った。
「え、見るだけにするんじゃなかったの?」
「だって、意外に面白いんだもん」
含み笑いをしながら目配せする志織を訝しみながら、掲示板を見る。
『マルチメディア科の佐藤先生の髪がホンモノかどうか知ってる人いたら、教えてください』
「ちょ、ちょっと何よこれー! 他人の悪口は書いちゃダメでしょっ」
「悪口じゃないじゃないの。純粋な疑問よー」
お腹を抱えて笑う志織を睨むと、すぐに削除した。
消されるのを判っていて書いたらしい志織は気を悪くするでもなく、くすくす笑っている。
一花は志織を誘ったのを少し後悔しながら、管理の基準を決めないといけない事に今更気付いていた。
志織の悪ふざけの件があってから、一花はすぐにメンバーを召集した。
これからユーザーがどんどん増えるのを考え基準を決める事になったが、実際どんな書き込みがあるのか想像がつかないので、ある程度の指針を決めて、そのつど対応することで決着した。
ある意味、横の繋がりの広い志織に教えたせいか、最近では次々とユーザーが増えて、掲示板もだいぶ賑わっている。
他人の誹謗中傷、その他ネガティブな発言は削除対象にあたるものの、個人を褒める内容はそのままになっているので、各科の才能ある人や作品の話題が多かった。
その中に何度か小野里の名前を見つけ、一花はドキドキするのと同時に彼の格好良い部分を知っているのが自分だけじゃないと思い知らされた。
他意は無いと判っていても、評価している人が女子生徒だと気になる。
しかし当の小野里は他人の評価など気にならない風で、どんなに良い発言でも実にそっけない態度だった。
一花は彼の態度に根拠の無い安心を見出しつつ、自分にもチャンスは無さそうだと気付いて落ち込んだ。
数日後、またもや西村が「飲みに行こう」と皆を呼び出した。
完全な完成版だとは言えないが、ユーザーが増えても問題なく稼動しているインフィニティ・エリアの一つの区切りとするつもりらしい。
前とは違う居酒屋に、前と同じように座って一花は手元のグラスを見つめた。乾杯の音頭を待つグラスにはビールがなみなみと入っている。
(もうすぐ2月……)
3月の半ばには卒業式が控えている。
最近ではほとんど手直ししなくても良くなったインフィニティ・エリアは、そのうち西村が共同卒業制作として学校側に提出するだろう。
つまりそれは、開発の完了と、別れを意味していた。
「えっとそれじゃ、ベータ版の良好稼動を祝して乾杯っ!!」
むりやりな音頭に苦笑しながら一花はグラスを傾けて、一口飲んだ。
美味しいけれど……今日のビールは少し苦い。酔いそうだ、と思った。
あからさまに好き嫌いの多そうな池田が、おつまみの中から食べれるものを慎重に取り出しつつ、西村を見る。
「それで西村さん、いつ学校へ提出されるんです?」
池田の言葉に一花は身体を硬くした。
「うん、そろそろ良いんじゃないかと思っている。今日はそれを確認する為にも皆に集まって貰った」
顔を引き締めて皆を見渡した西村の顔には、いつも以上に自信が溢れている気がする。
少しずつの改変と管理が必要だとは言っても、根幹の部分はできあがっていて、これといった不具合も無いのだから当然だ。
見れば池田は黙って頷き、平野はご機嫌でグラスを空けている。小野里はいつも通りにどうでも良さそうだった。
「わ、私も、良いと思う」
普通の態度を装って言葉を紡ぐと、一花はそのまま俯いた。
どんなに開発が伸びたとしても2月半ばには終了し、3月には卒業する。そして皆それぞれの進路先へと分かれて行く。最初から判っていた事。
でもやっぱりどこか寂しい。
誘われた時には、こんな気持ちになるなんて考えもしなかった。まして、小野里に恋心を抱くなんて。
寂しさを紛らわすように、残りのビールをぐいっと空けて、一花は大きく息をついた。
小野里が少し驚いた顔でこちらを見ていたが、あえて無視する。
全員の意見が一致したと思ったらしい西村は、ごほんと咳を1つして頷いた。
「それじゃあ、インフィニティ・エリアを卒業制作として提出する事にする。協力ありがとう、皆」
「おつかれさまぁー、って完成しちゃった後はどうするのぉ?」
ほんのりと頬を染めた平野が指摘すると、西村はもう一度、頷く。
「提出はこれまでの進行を記録したものとデータ。それから、担当教諭には特別にインフィニティ・エリアを閲覧して貰う事にしようと思う。その後は、これまで通りサイトを使える状態にして残しておこうと思うんだ」
「え……このまま?」
一花が目を瞬かせながら聞いた。
「皆がもし良ければだが、卒業まではこのまま管理を続けて、俺たちが卒業後は後輩の有志に頼んで行こうと思うんだ」
てっきり完成提出後は全て止めるのだと思っていたので、西村の思いがけない言葉にぼんやりする。
「つまりインフィニティ・エリアを学内コミュニティサイトとして引き継いでいくという事ですね?」
「それ、すっごく良いアイデアじゃーん!」
池田と平野がそれぞれ声を上げる中、西村はぐっと腕を上に突き出した。
「それでこそ、学問の集大成というものだっ!」
「……なら、できるだけ手直しは続けないとな」
会話に参加していなかった小野里がぽつりと漏らした呟きを聞き、一花は密かに胸を撫で下ろした。
(あと1ヶ月は、一緒にいられる)
卒業する時にこの気持ちを告げるのか、諦めるのか。
一花は大きくなり過ぎた想いを持て余していた。
「おい、大丈夫か?」
覗き込んだ小野里の顔を見つめると、一花は気の抜けた顔でへらっと笑った。
「へーきへーきぃー……」
呂律と共に、視点も定まらない。せっかく間近にいるというのに、小野里の顔がぶれて見える事にムッとする。
乾杯の時の最初の1杯を勢いよく煽ってしまったせいか、一花はこれまでに無いほど酔っ払っていた。
すっかりできあがってまともに歩けない一花を見かねた小野里が、帰り道についてきていた。
「……ったく」
短く息を吐いた小野里に腕をとられる。
されるがまま身体を預けた一花は、けらけらと笑った。
「わー、小野里くんと急接近ー」
「酔っ払いと接近しても嬉しくねぇよ」
「ちぇー」
ふわふわと覚束ない思考ながらも、小野里に拒否された事に気付いて寂しくなる。
半ば物のように抱えられ引き摺られているという表現がぴったりの一花は、なんとか足を動かしながら、触れる小野里の腕にうっとりと目を閉じた。
「おい、寝んな!」
「やー。小野里くんの腕、気持ちいい」
無防備な顔を小野里に向ければ、サッと顔色が変わるのが見えた。それから深い皺を眉間に刻んで歩みを速める。
「ああもう、これだから……」
「何?」
イライラして物言いたげな小野里を見ると、珍しく大きい声で
「なんでもねぇよ!」
と返された。
酔っ払いの介抱など面倒くさくて仕方が無いのだろう。
イライラの理由は十分判っていて申し訳なくも思ったが、それでもこうしていられる事が嬉しかった。
(……1ヶ月でも良いから。もうちょっとだけこのままでいたい)
そっと小野里の腕に手を添えて、一花はささやかに祈った。
その時、自宅近くを寄り添って歩く2人を見つめる瞳があった事など、一花は全く気付かなかった。
そしてそれが一花のささやかな希望を砕く事になるとは夢にも思わなかった。
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