インフィニティ ・ エリア
5
アルファ版が完成してからの1ヶ月は、微調整と改変に明け暮れた。
大元の骨組みができあがったことで余裕ができたせいか、皆が一様に色々な機能を付けたいと言い出したからだ。
単純な作りだった掲示板には、書き込むと自動で所属の科と専攻が記載されるようになったし、選べるアイコンの数も30個に増えた。
管理プログラムからは、メンバー専用の掲示板とチャットに繋がるようになって、全員が揃わなくても伝言や簡単な会議ができるようにもなった。
そして季節は12月へと入り、一花の学校は冬休みを迎えていた。
冬休みとはいえ、未だに就職の決まっていない一花は関係なく学校へ通わなければならない。数日おきに行っては新しい求人が無いかをチェックし、良さそうなのがあれば申し込んで説明会や面接へと出向く日々だった。
おかげで冬休みだというのに、入れたバイトは年末年始の合わせて1週間だけという状態。親から小遣いを貰っていても、なかなか寂しい懐を考えて一花は溜息をついた。
他のメンバーは、それなりに忙しいらしい。
西村は先輩の起こした企業へバイトに行っている。卒業したらそのままそこへ就職するそうだ。実はインフィニティ・エリアのサーバもその先輩の会社から借りていたりする。
小野里は夏前の段階で就職が決まっていたらしく、研修と、短期バイトに行くと言っていた。
池田は翌春からIT系の大学に入りなおす手筈で、すでに合格していてヒマだからと家庭教師に行っているらしい。
平野は卒業したら放浪の旅に出ると言い張っている。本気で行くつもりか知らないが、冬休みはバイトを入れまくって旅費を稼いでいるとか。
全く先の見通しが立たないのは一花だけなので、少し落ち込んだ。
いつものように学校から帰宅し部屋へ戻ると、自分のパソコンからインフィニティ・エリアへと繋ぐ。
現状、西村の友達を中心にメンバー以外10人のユーザーでテストを行っていた。所詮は10人なので頻繁に書き込まれる事もなく、管理も楽なので一花もさらっと眺める。
それから一旦落として、管理用の別のプログラムから入りなおした。
メンバー専用の掲示板を開こうとして、手に汗をかく。自分でも馬鹿らしいと思いつつ、小野里の書き込みがあるのではないかと緊張した。
一月前は自分でもはっきりしなかったのに、今ではしっかりと彼を意識している自覚がある。
好きなんだろうと、思う。
どうでも良さそうなふりをしながら、黙って頑張る姿に惹かれていた。
どきどきしながら開いた掲示板に新しい書き込みは無く、一花は溜息をついた。
(もうすぐ、クリスマスなんだけど……な)
ぼんやりと外を見れば、冬空特有のどんよりとした雲が空を覆っている。
小野里のクリスマスの予定なんて知るわけがない。まして、彼女がいるのかどうかさえ、はっきり聞いていない。
開発に入れ込んでいた姿からは彼女がいるように思えないが、基本的に無口でプライベートを話さないから、確信は持てなかった。
もう一度、画面を覗き込んで、一花はそっとコメント欄をクリックした。
ずるいやり方だけど、誘ってみよう。
一花は震える指で『クリスマス暇だったら皆でどこか行かない?』と打ち込んだ。
つとめて自然に、明るく、いつものノリで書き込んだつもりなのに、気持ちがばれたらと考え不安になる。それでも消す気にはならなくて、そのままノートパソコンをバタンと閉じた。
ふっと意識が浮上して、一花は目を開いた。
きょろきょろと見回すと明かりを点けていなかった部屋は薄暗く、机の上のパソコンのランプだけがオレンジ色に光っている。
(……寝ちゃってたんだ)
書き込んだ後、何もする事が無いのでベッドに寝転んで雑誌を眺めているうちに寝入ってしまったらしい。ゆっくりと身体を起こすと、読んでいた雑誌が下へと滑り落ちた。
枕元の目覚まし時計を手にとって目を凝らせば、針は5時半を指し示している。
変な時間に寝てしまったせいで、ぼうっとするし身体もだるい。しかし時間的にそろそろ階下へ降りて母親の手伝いをしなければ、またお小言を言われるだろう。
一花は明かりを点けないまま机へと移動し、パソコンを開いた。
(どうせまだ誰も見てないだろうし、ちょっとチェックするだけなら時間、大丈夫だよね)
つけっぱなしで寝てしまったせいでスタンバイ状態になっているパソコンのキーをぽんと押すと、書き込んだすぐ後の画面のままだった。
もう一度、掲示板を表示しなおして自分の記事を見る……と、新規コメントが4件入っている。
大きく心臓が跳ねて、一気に目が覚めた。
西村と池田は終日空いていて、平野はずっとバイトでダメ。最後に書き込まれている小野里のコメントには、24、25日は昼勤で夜なら空いていると書かれていた。それから、クリスマスではなく年明けに皆で初詣に行かないかという事も。
24日の昼勤の後なら空いているという部分を見て、一花は胸をぎゅうっと押さえた。
(……多分いないんだ、彼女)
ほっとするのと同時に、その空き時間に会いたいと思った。
でも一花には誘う勇気が無いし、何よりもまだ卒業制作が終わっていない段階で気まずくなるのは避けたい。初詣に行けるだけでも良いと思う事にして、新しいコメントを書き込んだ。
結局、そのまま何事も無くクリスマスは過ぎて年末になった。
単身赴任していた一花の父親、亮平も4ヶ月ぶりに帰宅し、一花は久しぶりの家族水入らずの年末を過ごした。
明けて元旦。
新年の清々しい気持ちとは別に、午後から皆で行く初詣を思って一花はそわそわし通しだった。
新春にありがちな、おめでたい雰囲気を前面に出したバラエティ番組を眺めながら、和室に置いたこたつでミカンを食べていると、向かい側に座っている亮平がちらりと時計を見た。
禿げてはいないものの、ところどころ白いものが混じり始めた髪に、ややぽっちゃりした体型。本当に人の良さそうなという表現がぴったりの顔をしているのに、保険会社のやり手支店長だというのだから不思議だ。
「一花、そろそろ用意したらどうだい? 午後から友達と出かけるんだろう?」
「まだ大丈夫だよ。待ち合わせ1時だし」
見れば時計は9時半を指している。
本当はすぐにでも用意して出かけたいのだが、早く行っても誰も来ないだろうし、一花が今日をとても楽しみにしている事を両親に悟られたく無かった。
理由は特に無い。なんとなく恥ずかしいだけ。
亮平は自分もミカンを剥きながら、うーんと首を捻った。
「お父さんの予想では、そろそろお母さんが来て『早く用意しなさい!』って言うと思うけどねぇ」
「えー、でもまだ早くない?」
「私が言うのも何だけど、お母さんはせっかちだからなぁ」
お互いの性格をよく判っているらしい亮平の言葉に、一花も納得する。
その時ちょうど続き間のLDKから顔を出した響子が
「一花ちゃん、早めに用意しなさいよ」
と言った。
一花と亮平が顔を見合わせて吹き出すと、響子は訳がわからない表情で首を傾げた。
成人式用に安く譲って貰った振袖を、一花は初めて着てみる事にしていた。
どうせ10日後には着る事になるのだし、予行練習になるからと響子を説き伏せて手伝って貰った。
こういうときに高校できちんとした着付けを習っていて良かったと思う。もちろん響子ができるのだから一花はできなくても良いのだが、やはり判っていて着せて貰うのでは完成までの時間が違うのだ。
「できたわよ」
帯を調整していた響子の声に振り向くと、嬉しそうに目を細めてこちらを見ていた。
「ど、どうかなぁ」
「素敵よ、とっても」
おずおずと姿見の前に移動して、前や後ろを何度か確かめる。
5歳上の従姉から譲って貰った振袖は、薄いクリームベージュに淡い紫の挿し色が入っていて、一花のお気に入りだった。赤やピンクほど甘くなく、青や緑ほど落ち着いてもいない。
ショートカットのせいで髪のアレンジが限られる一花でも、この振袖なら可愛く見せてくれる気がした。
遠慮がちなノックの音に振り向けば、ドアを少し開けて亮平が顔を出す。
「うちのお姫様は変身しましたかな?」
「ばっちりよ、あなた」
嬉しそうに答えた響子がドアを開けてみせると、亮平は少し驚いてから相好を崩した。
「馬子にも衣装って言わないでよね」
「まさか」
照れた一花が憎まれ口をきいても、亮平はただニコニコしている。
張り切って振袖を着る事にしたので、神社まで亮平に送ってもらう手筈になっていた。
慣れない草履に四苦八苦しながらも何とか車に乗り込むと、見送る母親に手を振って家を後にした。もちろん遅くならないうちに帰ってくるよう言われている。
駅前から離れて家が見えなくなった辺りで、一花は少しだけ溜息をついた。
着物が苦しいのもあるが半月以上会っていない皆に……というか、小野里に会うのは緊張する。振袖の袂をいじりながら、彼が着物姿の自分をどう思うのか気になった。
(……どうせ「別に」って言うんだろうけど)
そっけない小野里の言葉なんて簡単に想像がつく。それでも少しでも良く見られたいと頑張る自分を、一花は自嘲した。
亮平と会話しながらしばらく行くと、目的の場所の近くに出る。ちょうど家と学校の中間くらいにある神社は、初詣客でごった返しているようだった。あと200メートルというところで警察が混雑緩和のために道路を封鎖しているらしい。
「んー、これ以上は行けそうも無いなあ」
亮平の言葉に一花は首を振った。
「ここまででいいよ、お父さん。送ってくれてありがと」
何とか隙間のできた路肩に停車すると、亮平は細い目をもっと細くして
「カボチャの馬車はお役に立てましたかな?」
と冗談を言う。
「もう、それシンデレラじゃない。帰りはタクシーで帰るから気にしないで」
「はいはい」
着物を引っ掛けないように気をつけてドアを開けると、今度は引き摺らないようにゆっくりと降りる。ドアを閉めて歩道から振り返ると、亮平は助手席の窓を開けた。
片手を上げて送り出そうとした一花は、歩道を歩いてきた男性を目に留めて振り向く。
ひょろりとした長身に眼鏡、パーカタイプのブルゾンと擦り切れたジーンズ。
「小野里くん!」
一瞬でかあっと顔が火照る。
対する小野里も、一花を見つけて驚いた顔をした。
「な、つめ?」
久しぶりとか何とか言えばいいものを、心構えもできないまま会ってしまったので、一花はただ呆然と小野里を見つめた。
「……一花、お友達かい?」
遠慮がちに掛けられた声に驚くと、一花はまだそこにいた亮平に向き直る。
「う、うん。ま、待ち合わせしてた人っ」
落ち着く間もなく慌てて答えた。
小野里は車中の亮平が誰かすぐ気付いたようで、開いていた窓に近付くとぺこりと頭を下げた。
「初めまして、一花さんと同じ学校の小野里と言います」
「こちらこそ。私は一花の父です。いつも一花がお世話になってるようで……」
彼の態度が気に入ったのか、亮平は路駐している事も忘れ小野里へ笑顔を向ける。
一花はとっさに小野里の背中を押して、車道から離すと、窓から亮平を覗き込んだ。
「ありがと、お父さん! は、はやく行かないと駐禁とられるから、もういいよ!」
この場で小野里に根掘り葉掘り色々と聞かれては困る。
亮平は必死な一花に苦笑すると、小野里には判らないように片目を瞑って合図を送り、車を発進させた。
(ぜ、絶対に誤解してる……!)
突き当たりの道で曲がって見えなくなるまで、一花は自分の家の車を呆然と見送った。
「……着物、着たんだな」
ぽつりと漏れた一言に振り返ると、小野里がこちらを見ていた。
「あ、うん。せ、成人式だけじゃ勿体無いから」
前から考えてあったもっともらしい理由を口にする。
「良いんじゃね、似合ってるし。夏目はそういう色が合うよな」
いつも通り淡々と言われたのに、嬉しくて泣きそうになった。
礼を言うのも忘れて俯くと、小野里は黙って右手を差し出した。下に向けた視線の先、大きめの掌を見て一花は首を傾げる。
「え?」
「ここはまだいいけど、この先すげぇ混んでるから、着物に草履じゃはぐれるだろ」
しばらくぼうっと小野里の言葉を反芻して、やっと思い当たった一花はバッと顔を上げた。
(て、て、て、手を繋いで行くって事っ?!)
驚いた一花が見つめた先には、いつも通りのちょっとだるそうで無表情な小野里。
「あ、え、えっと……」
これまでまともに男性と付き合った事がない一花には、手を繋ぐというだけでも大事だ。どうしたらいいのか渋っていると、待ち切れない小野里がさっさと一花の手を取って歩き出す。
駅から歩いてきたらしき小野里のひやりとした指先を感じて、一花は鼓動を速めた。
「手そんなに汚くねぇから大丈夫だって。夏目って潔癖症か?」
「い、いや。そういうことじゃなくて……」
とまどっていた理由を間違って解釈した小野里に答えるも、繋いだ手にどきどきしっぱなしで言葉が尻すぼみになる。周りのざわめきにかき消された一花の声は小野里には聞こえてないようだった。
引っ張られるようにして神社に近付くと、小野里の言った通り人で溢れかえっていた。
自然に肩が触れるほど寄らざるをえなくなる。
一花は次第に暖まっていく手のぬくもりを感じながら、こっそりと小野里を見上げた。
「ん?」
視線に気付いた小野里がこちらを見たので、笑ってごまかす。
「明けましておめでとう、って言うの忘れてた」
「ああ、そうだな。おめでとう夏目」
「おめでとう小野里くん」
ぎゅうぎゅうに混んでる参道で挨拶した二人は、どちらともなく苦笑した。
皆と待ち合わせした奥の鳥居までは、もう少し。
(就職と、卒業制作の完成と……小野里くんとの事。3つもお願いしたら神様は怒るかな)
ほんの少しお賽銭を奮発することにして、一花は人に流されるように前へと進んだ。
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