インフィニティ ・ エリア
4
すっかり馴染んでしまった仲間と共に、いつものミーティング室のテーブルに乗せた画面を覗き込む。
正面には西村が座り、両脇から一花と平野が顔を寄せていた。池田は一花の後ろで斜に構え、小野里は平野の後ろで大欠伸をしている。
「……動いてる?」
ごくりと唾を飲みながら一花が聞くと、西村は精悍すぎる顔を更にシリアスにしてマウスを操作した。
一瞬の静寂。
「だ、いじょうぶだと、思う」
唸るような西村の声に、身体中の緊張が一気に解けた。
安堵の溜息をついて振り返ると、あの池田でさえ口元に笑みを浮かべている。
「やったぁ、やったぁ、俺らすごぉーい!」
「おい、平野が歌舞伎みてーになってるぞ」
小野里の言葉に平野を見れば、真っ赤な髪を振り乱しながら部屋中をぴょんぴょん跳ね回っていた。
思わず吹き出して、お腹を抱える。
「やだ、もう、止めてよ。可笑し過ぎる」
続いてガハハっと笑い出した西村に、平野は口を尖らせた。
「何さ皆で、失敬だなー、ホント」
「でも……良かったね! 上手くいって」
何とか笑いをおさめた一花は少しだけ離れて、他のメンバーに向き直った。
突然の共同卒業制作開始から1月半。
完成とまではいかないものの、試作第1弾が出来上がり、皆の顔も晴れやかだった。
西村が計画を発表した時はまだ夏の装いだったのに、今では薄い長袖を着る季節になっている。時の経過を感じるのと共に、一緒に頑張ってきた仲間たちを思って一花は微笑んだ。
「それにしても、よく間に合いましたね。目標の2ヶ月は絶対に越えると思ってましたよ」
いつもより柔らかい表情をした池田が、小野里に視線を送る。
と、小野里はいつものように肩を竦めて受け流した。
「別に。単位もとっちまって暇だしな。後は西村が手伝ってくれたし」
「ま、少しだけだけどな」
座ったままの西村が苦笑いする。
それぞれが精一杯頑張ってできることをやり、試作完成にこぎ付けたのは事実だが、その中でも小野里の負担が大きかった。
今回の計画の一番の難関は、小野里の担当するサーバのデータと、管理用プログラムを連動させる事にあった……らしい。そっち方面に無知な一花には判らないが、小野里と西村、池田は何日か徹夜もしたようだ。
デザインしかできないのを申し訳なく思いながらも、一花はこの計画に参加できた事が嬉しかった。
「さーて、改善点もまだまだあるし、これからが本番だがとりあえずの打ち上げと行くかっ!」
「おーっ!」
喜びに瞳を輝かせた西村が叫ぶと、すっかりノリに慣れた一花は平野と共に片手を上へと突き上げた。
多少うるさくても大丈夫なところというので、西村の行きつけらしい居酒屋へと一花たちはやってきた。
小上がりのボックス席に通され、奥から池田、一花、小野里。向かい側に西村と平野が座る。
一花はふとした拍子に左肩に触れる小野里の腕を意識し、少しだけ鼓動を速めた。
お通しと共に出された生ビールを手に取ると、西村がこれ以上無いくらいの上機嫌でジョッキをかざす。
「インフィニティ・エリア、アルファ版完成を祝して、乾杯っ!!」
「かんぱーい」
一花も少しだけジョッキを持ち上げてから、口をつけた。
もともとビールはそれほど好きではないが、今日のは何故かとても美味しく感じる。
(計画完成の目処がついたから? ……それとも……)
視線だけを左に向ければ小野里の右腕に、文字盤がマリンブルーのクールな時計が見えた。
一花は左を意識しながら、お通しをつまんで「単に当たりの居酒屋だから」だと思い直した。
計画が始動してからメンバー同士で飲むというのは初めてだった。突然の提案に、どうなるか見当が付かなかったので、時間節約のために自重していたというのが理由。
それぞれ修学年数は違えど、全員最高学年だから成人しているわけで、こういった場は大歓迎だった。
西村が大きな声で何か言うと、平野がボケて笑いを取り、池田が鋭く突っ込む。一花はそれを見ながら、吹き出しそうになるのを必死で抑えていた。
最初は余りにも違い過ぎる皆に不安を感じた。でもこうして打ち解けて見れば、それぞれの個性が上手い具合に合わさって良い関係を築けている。
もう一口ビールを飲んでから、平野と池田の漫才もどきを見ていると、左からつんつんと肩を突かれた。
振り向けば小野里がメニューを開いてこちらを見ている。
「夏目なんか食べたいもんあるか? 追加頼むけど」
「あ……ごめんね。私が気付けば良かったね」
全員のペースを見て追加注文を頼もうとしていた小野里に詫びる。
特に差別意識は持っていないが、1人だけ女子である一花が気付くべき事だったかも知れないと思った。
「……別に。こういうの慣れてっから気にすんな」
「そ、か。ありがと、私はいいや」
一花の言葉を聞いて、小野里は適当に料理を注文した。
(小野里くん居酒屋でバイトでもしてたのかな。それともよく飲みに行くからっていう意味?)
それにしては「別に」と呟いた時の表情が気になった。でも、聞けない。
わざと明るく平野に話しかけながら、一花は心の中にもやもやが溜まっていくのを感じた。
2時間ちょっと飲んで、一花は違う店へ移動するという男子と別れ帰宅する事にした。
まだ8時半だというのに、携帯には母親からの着信履歴が5件も入っている。
居酒屋に入る前に飲んで帰る事はメールしたはずなのに、見ていないのだろうか。見ていても母親の事だから確認の為に電話してきそうだと思って、うんざりした。
帰ってからしつこく文句を言われては敵わないので、一応、自宅に電話をかける。
2コールもしないうちに出た響子は息も荒く
『なんで電話出ないの!』
と叫んだ。
「気付かなかったんだよ、ごめんね。今終わったからこれから帰る」
ほろ酔いなのを悟られないように気丈に言うと、響子は静かに溜息をつく。
『もう暗いから誰かに送って貰いなさい』
「ん、うん、大丈夫。……同じ方向の人がいるから」
一花は通りを1人で歩きながら、嘘をついた。
『じゃあ気をつけて帰ってきなさいね』
「はぁい」
返事をするやいなや即電話を切って、大きく息を吐いた。
見れば高校生らしき子たちが楽しそうに笑いながら脇をすり抜けていく。
(全くうちのお母さんは、心配しすぎだって)
学校近くの居酒屋から駅までは大通りの1本道だし、そこから5駅目で降りれば、すぐ目の前に一花の家はある。今は建て替えて名残など無いが、曾祖母が商売をしていたとかで駅前に家があるからだ。
酔っているせいで少しだけぶれる思考。
いらいらしながらも歩みを進めると、後ろから声を掛けられた。
「夏目」
驚いて振り返る。
少しだけ音程の低い声は、小野里のものだった。
「小野里くん……どうしたの?」
「いや、やっぱ俺も帰ろうと思って」
走って追いかけてきたのか、小野里は長い髪をかき上げて、ふうと息を吐いた。
その仕草に心臓が跳ねる。
「そっ、そうなんだ。じゃ、駅まで一緒行く?」
「ああ」
動揺していることを悟られないように、さっさと歩き出すと小野里も黙ってついてきた。
2人きりになるのは、最初の頃ミーティング室で話した時以来かも知れない。
横を歩く小野里を盗み見れば、相変わらず何を考えているのか判らない表情で黙々と歩いている。
(……何をしゃべったらいいのかなぁ)
彼が楽しんでくれるような気の利いた話題でもあればいいのにと思いつつ、小野里のプライベートなど一切知らない一花は何も言えなかった。
「平気か?」
「はぇ?」
突然ぽつりと聞かれた問いに、思わずおかしな声が出た。
「夏目けっこう酔ってたぽかったから、大丈夫かと思って」
「あ、うん。平気平気! ちゃんと歩けてるしっ」
平気な証拠にわざとらしくぴょんぴょん跳ねて見せると、小野里が苦笑する。
つられて笑った一花は、小野里の少し後ろで、ゴージャスな巻き髪の女性が驚いた顔をしているのに気付いた。
間違いなくこちらを見ている女性に一花が首を傾げる。
気付いた小野里が後ろを振り返った。
「ナリ!」
小野里が何か言う前に、その女性は小野里を呼び、嬉しそうな笑顔でこちらへと駆けてくる。
(今……小野里くんの事、名前で呼んだよね?)
呆然と小野里を見上げると、見たことが無いほど苦りきった顔をしていた。が、すぐにこれまた見たことも無いような甘い笑顔へと変わる。
(え…え…?)
訳がわからずに小野里と女性を見比べる。
小野里は一花がいることなど忘れたかのように微笑んで、女性を見つめ優雅に会釈をした。
「桃子さん、お久しぶりです」
「やだ、ほんとにナリ? ……随分変わっちゃったわねぇ」
ぐっと小野里に近付いた女性は、女の一花から見てもかなりの美人だった。
歳は20代半ば。白い小顔にばっちりメイク。茶色の巻き髪とむせ返るようなコロン。突き出た胸とくびれたウエストを目立たせる為か、白のぴったりしたスーツを着ていた。
そういった知識の少ない一花でも、彼女が水商売をやっているに違いないと確信できる。
小野里はそんな彼女に臆する事も無く、ふふっと笑った。
「今は、ただの学生ですから。これからお仕事ですか?」
「そうよ。あ、そうだ、偶然会えたんだし名刺あげる。気が向いたら連絡して?」
桃子と呼ばれた女性は小さなブランドのバッグから名刺を1枚出し、小野里に渡す。
礼を言って素直に受け取った小野里に微笑むと、桃子は片手を上げて、来たときと同じように雑踏の中へと駆けていった。
あっという間に見つけられなくなった桃子を見送ると、一花はぼんやりと小野里を振り返った。
「ただの顔見知りって言いてぇけど……前働いてたとこの客なんだ」
「お客さん?」
桃子に会ってから格段に機嫌の悪くなった小野里は、眉間にくっきりと皺を寄せながら言った。
もともと低い声が、もっと低くなった事に一花は内心怯える。しかし、それでも小野里と桃子の関係が気になった。
人もまばらになってきた駅のホームで、2人はベンチに座って次の電車を待っている。小野里にとっては残念な事に、9時を過ぎると途端に本数が少なくなるせいで、あと15分も待ち時間があった。
(本当は聞いちゃいけない事なのかもしれない……)
付き合っているわけでもない、友達かどうかも判らない。まして、一方的になんとなく気になるというだけのあやふやな一花が聞いていいのだろうか。
恐る恐る小野里を見ると、彼もまたこちらを向いてふっと溜息をついた。
「別に、隠してるわけじゃねぇんだけど。俺専門入る前、ホストしてて。そん時の客」
「……ホストぉ?」
一花は気の抜けた声を出した。
驚いて見た先には、髪を無造作にだらっと伸ばして、よれよれの長袖Tシャツに、裾の擦り切れたジーンズを穿いている男がいる。
(嘘でしょー、小野里くんがホスト? ……いや、絶対にムリだし)
考えていた事がはっきり顔に出ていたのだろう。一花の顔を見た小野里は違う意味でムッとした。
「言っとくけどなぁ、けっこう人気あったんだぞ」
「嘘だぁ」
笑いながら言うと、小野里もふっと肩の力を抜いて苦笑する。
「夏目は偏見とか無いのな」
「え?」
意味が判らずに聞き返すと、小野里は微笑んだまま静かに首を振った。
「俺、親がいねぇからさ。学費稼がなきゃなんなくて。高校の先輩の紹介で始めたんだよ」
どうして親がいないのかは、聞いてはいけないと思った。
今は離れて暮らしているが、5年前までは両親のもとで不自由無く育った一花のような子ばかりじゃない。世の中には色々な事情を抱えてる人も多いのだから。
小野里が話してしまわないように、一花は先手を打って話題を変えた。
「てことはさー、小野里くんて歳いくつなの?」
ベンチに座って子供のように足をぶらぶらさせながら聞くと、小野里は少し面食らってからニッと笑う。
「いくつに見えるよ?」
「えー、私と同じくらいにしか見えないし」
「そりゃねえだろ。高校出て働いてから3年専門に居んだぞ」
「じゃあ、35」
面倒くさくて適当に答えると、小野里は呆れ顔をした。
「ブー、不正解」
おどけながら一花のおでこを指で弾く。突然の痛みに額を押さえると一花は抗議の視線を向けた。
「ちょっと、いったいし!」
座ったまま前かがみになった小野里は、膝の上に腕を乗せて一花の顔を覗き込む。
「24」
「はぁ?」
「……24歳だよ」
そう言って笑った小野里に、一花は息を呑んだ。
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