インフィニティ ・ エリア
2
巨漢の西村は、その顔に満面の笑みをたたえながら自慢げにホワイトボードを指し示した。手には伸び縮みするタイプの差し棒が握られている。
(あんなの個人で持ってる人いるんだ……どこで買ったんだろう)
なんて、一花は違う視点で西村を見ていた。
示された場所には、お世辞にも上手いとは言いがたい文字で書かれた『インフィニティ・エリア計画』
「俺が考えたこの計画は、俺達の学校専用のコミュニティサイト『インフィニティ・エリア』を立ち上げようって事なんだ」
どうやら発案者は西村だったらしい。
「コミュニティサイト?」
池田が眼鏡の位置を直しながら呟いた。
続いて、平野がのんびりした口調で声を上げる。
「ガッコのサイトならあるじゃーん。誰も見てないけどー」
一花もその意見に頷く。
IT系の専門学校なのだから、一応、見栄えのする学校紹介用サイトはある。入学した学生には余り用が無いので、見ている人間はいないと思うが。
すると西村は力強く首を振った。
「違うっ。生徒専用のコミュニティサイトなんだ。例えば……違う科の意見交換とか、情報とか、近くの穴場紹介とか、そういう感じのサイトを作りたいんだ!」
「つまり、うちの学生専用の掲示板みたいなもの?」
一花が尋ねると、西村は一花をビシッと指差した。
「それだっ、夏目!」
相変わらずの大音量に飛び上がりそうになりつつも、的を射た事にホッとする。
「……で、それを俺達5人の共同卒業制作にするって事か?」
やや低い音程の声の主を見れば、小野里がパイプ椅子の上でやけに長い足を組んでいた。
(……なんだ、この人も計画の事知らなかったんじゃない)
と、そこに気付いて、なぜ一花を誘いに来たのが小野里だったのかを疑問に思った。
小野里の言葉に、西村はまたもや全力で首を縦に振る。
いちいちオーバーアクションなので見ているこっちが疲れそうだ。
「別に作るのは構いませんが、その程度でしたら何も僕達を集結する必要は無いでしょう。あなた一人でも可能だと思いますが?」
神経質そうに何度も眼鏡の位置を調整しながら池田が指摘すると、西村はニカッと笑う。
「ありがちなプログラムを組んで、ただサーバに上げるだけじゃ意味が無いんだ! 俺は全てゼロから挑戦する事に意味があると思っている!」
「ゼロから挑戦って?」
一応、促すように聞きながら、一花は挑戦という言葉に目をきらきらさせている西村を遠くに感じた。
(こんなスポ根でコンピュータの事を語られてもなぁ……)
西村はそんな一花の思いを裏切らずに、拳をぐっと前に突き出す。
「つまりっ、サイトを俺がプログラムし、そのセキュリティを池田に頼む。そして、サーバのデータやシステムを小野里に任せ、サイトの見た目を夏目に。平野にはキャラクタやアイコンなどを作成して欲しいんだっ!」
一番後ろに座っている一花まで、汗が飛んでくるんじゃないかと思うほどに気合いを入れて叫んだ西村は、呆然とする4人を前に、ふうっと大きく息をついた。
西村の熱すぎる演説を聞き終え、訪れた静寂にしばらく皆無言だったが、平野がこれまた酷く間の抜けた調子で首を傾げる。
「いーけどさー。今からやって間に合うのぉ?」
確かにそうだ。
一花はwebデザイン専攻だから、プログラムの事はよく判らないが、これから始めて卒業までに間に合うのかどうかが一番の問題な気がする。
「やるっ、やってみせるっ!! 気合いでどうにかなる!!」
(いきなり根性論って)
一花と同じように感じたのだろう、池田の硬直した背中が見えた。
「……ま、まぁ西村さんは気合いで何とかされるとして、小野里さんはどうなんですか? 僕としては最終的に出来上がらずに、卒業制作が未完成提出になるのはお断りですよ」
それには一花も同意する。
卒業制作の未提出や、未完成提出は、最終的な評価の減点対象になってしまう。今現在、内定が取れない一花はこのまま就職先が決まらずに卒業する可能性もあるわけで、卒業後の就職に響くような成績を取るわけにはいかなかった。
小野里は組んでいた足を外すと、やはり関心が無さそうに
「俺はヒマだから、構わない」
と呟いた。
結局、2ヶ月くらい開発を進めてみようという事になり、解散したのは5時過ぎだった。
池田が最後まで渋っていたものの降りると言わなかったのは、とどのつまり彼も一花と同じくヒマなのだろう。
学校から最寄り駅へと向かう道すがら、前を歩く4人をちらちらと眺める。
先頭で熱くプログラミングについて語る西村と、どう見ても話を聞き流してる小野里。
その後ろを俯き加減についていく池田。
反対に、夕暮れの町並みを楽しそうに眺めながらフラフラ歩いている平野。
(わたし上手くやっていけるのかなぁ……)
それぞれまるでタイプの違う、しかもちょっと変わった男子4人の中に1人だけ女子の自分。自慢にもならないが、一花は実に地味で普通な見た目に、平凡な性格の十人並み代表なのだ。
ヒマとはいえ、やはり降りた方が良かっただろうかと一抹の不安を覚える。しかし降りると言って、西村の熱い説得を受けるのは勘弁だった。
こっそり溜息をつくと平野がこちらを振り返って、ふにゃっと笑う。
「どしたのぉ、イッチー?」
「い、いっちー?!」
「うん。俺が付けたニックネームぅ。ちなみに西村が『ダイちゃん』で、小野里が『ナーリー』、池田が『イケちゃん』だよー」
「あ、そう……」
勝手にあだ名を付けるなと言いたいところだが、脱力して何も言えない。平野は空気が読めないタイプだと思った。
「なになに。元気ないじゃーん。どしたのぉ?」
それでも一応、心配してくれているらしく、こちらを覗き込んで来る。
まさかはっきりと「皆が濃過ぎて心配だ」とは言えないので、一花は曖昧にごまかした。
「あー……発案は西村くんなのに、どうして小野里くんが誘いに来たのかな、と思って」
直接本人に聞けば良さそうな事をとっさに口に出す。元々、一花は嘘をつくのがかなり下手だった。
無関係の平野がそんな事を言われても困るだろうし、きっと「直接聞けば?」と流されると思っていたら、意外にも平野はちょっと考えてからぽんと手を打ってにっこり笑った。
「ぴんぽーん、判ったぞー。ダイちゃんがナーリーに、イッチー誘って来てって頼んだに違いないよ」
「……なんで?」
専攻は違っても同じ科で同じ校舎にいる西村が、なぜわざわざ別の科の小野里に頼むのか、さっぱり判らない。
不思議な顔をすると、平野はちょっと背をかがめて一花の耳にだけ聞こえるように小さく言った。
「だってぇ、ダイちゃんが誘いに行ったら、イッチー絶対に断るでしょう?」
「……」
確かに。
全く面識の無い小野里が来たから、一応、話だけでも聞こうと思ったが、これが西村だったらあっさりすっぱり門前払いしただろう。
もちろん池田が来ても同じ。2人はどうしたってマルチメディア科の変わり者だから、余り関わりたくないというのが本音だ。
対して、目の前の平野では面識が無くても、見るからに何か違う風貌をしているので、やはり断る可能性は高かったと思う。
つまり西村は一番断られない可能性の高い小野里をチョイスしたという事なのだろうか。
(……てことは、西村くんて自分がちょっと浮いてる事に気付いてるの? そんな細かい事に気付くようには見えないけどなぁ)
ちらりと先頭の西村を見る。
そこには相変わらず力を込めてプログラムを語る上下黒ジャージの男。一花は見えないように軽く首を振った。
「ダイちゃんは、ああ見えても実はよく気が付く人だと思うよー、なんとなく。ただすぐ暴走するみたいだけどぉ」
「へぇ」
デザイン科で面識の無い平野は、西村のどこを見てそう言うのだろう?
霊感?
ありえすぎて、ちょっぴり笑ってしまった。
平野の言うとおり西村が本当に気遣いできる人だったとしても意外だが、ぼんやりしてそうで色々と見ている平野もかなり意外な気がする。
(やっぱり……ちょっと変わったメンバーだなぁ)
最後尾をとぼとぼ歩きながら、一花は暮れ始めた空を眺めた。
「そういうわけで、これから帰りが遅くなるかも」
いつもの夕飯時、口をもぐもぐさせながら向かいに座る一花の母親、響子(きょうこ)に言うと、一呼吸置いてからくすっと笑われた。
今日あった出来事を最初から最後まで全部話したのだが、展開とメンバーに対する一花の主観が可笑しかったらしい。
「まぁ良いんじゃないの。ちょうどバイトもしてないんだし。一花ちゃんの良い経験になると思うわ」
「そうかなぁ。あのメンバーのくどさに疲れる気がしなくもないけど」
そう言うと、響子はまたくすくす笑った。
その笑い声に合わせて、響子の巻き髪がかすかに震える。
数年前までキャリアウーマンとして活躍していた響子は、専業主婦になった今でも毎日きちんと化粧し髪をセットしていた。
一花は隔世遺伝で祖父に似ているせいか地味な顔立ちをしているが、響子は祖母似らしく目を引く美人で、それは歳を経た今でも変わらない。
美しくきちんとした母は、一花の憧れでもあり、少し妬ましくもあった。
一花と自分用に2人分のお茶を淹れながら、響子はちらりと一花見る。
「他は男の子なんでしょう? 余り遅くなるようなら、ちゃんと送って貰うのよ? 日が落ちた後は不安な事も多いんだから……」
「またぁ。お母さんは心配しすぎだよ。私だってもう二十歳なんだし、子供じゃないんだよ」
「……一花ちゃんが何歳になったって、お母さんは心配なの」
「はいはい」
いつも繰り返される会話に溜息をつく。
響子の心配性に一花はほとほと困っていた。専門学校に入ってからはそれほど言われなくなったものの、やはり心配なようで時々こうしてお小言めいた事を言われる。まだ二十歳の一花には、それが幼い子供のレッテルを貼られているようで嫌だった。
「ねぇ、お父さん次いつ帰ってくるの?」
なんとか話を逸らそうと話題を振ると、響子は湯のみを見つめて少しだけ悲しそうな顔をした。
「また忙しいようよ。今月は無理だと言ってたけれど、来月もどうかしらね」
一花の父、亮平(りょうへい)は、大手の保険会社に勤めている。もう5年ほど前から支店長として九州に単身赴任しているのだが、かなり多忙のようで2月に1度帰って来れば良い方だった。
家族いっしょに暮らしていた時には子供から見ても恥ずかしいほど愛し合っていた父と母が、今別々に暮らしているというのは、一花に想像できないほど辛いことなのだろう。
「ふぅん。まぁお父さんが無理だったら、逆にお母さんが行けば良いじゃない。時間はあるんだし」
「……そうね、お父さんが浮気してないか抜き打ち検査に行かなくちゃ」
やんわりとフォローすると、響子も察したのか、苦笑しながら冗談を言う。
「やだぁ、あんなおじさんがモテるわけないじゃない!」
「あら、それでもお母さんはお父さんを愛しているんですっ」
昔は二枚目だったらしいが、すっかりメタボなおじさんになってしまっている父親を想像し、一花は笑い声をあげた。
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