1 ←  → 3  小説  index

 ガラスの靴の行方

 2
 ギュンターなる魔法使いが、家の内情を知っているという事に動転していたミュリエルは、呆然としたまま屋敷へと戻った。おかげで、この胡散臭い魔法使いを連れて来た言い訳を全く考えていなかった。
 王都を追われ隠遁生活をしているミュリエルには、行く末を誓う者どころか、若い男の知人すらいない。突然、見知らぬ男を連れ帰ったのでは家人たちが驚くだろうし、下手をすれば入れて貰えない可能性もある。本音ではミュリエルだって追い返してしまいたいが、他所で滅多な事を言いふらされるのが恐ろしかった。
 どう説明したものか、悩み続けていたミュリエルがぎくしゃくと彼を紹介すると、十年来のメイド頭であるドリーンは驚くほど親しげに応対をした。
 継母の策略に巻き込まれ、ミュリエルと共に本邸を追われたドリーンは、酷く用心深い。ミュリエルが毎日、礼拝に行くのにも難色を示す彼女が、すんなりと彼を受け入れた事に驚いた。
 自身を『ミュリエルの願いを叶える為にやってきた魔法使いだ』と真正直に言い切ったギュンターの言葉に、ドリーンは涙を流さんばかりに喜んだ。
 庭や馬の世話をしてくれている下男や、二人いるメイドたち、コックも同じような有様で、ミュリエルは薄気味悪く感じながら、ギュンターが彼らに警戒心を解くような術を施したのではないかと疑った。

 朝の礼拝を中断して戻ってきたおかげで、昼にもまだ早い時間。ミュリエルはギュンターを庭園でのお茶に誘った。
 彼と楽しく談笑しながらお茶を楽しみたいなんて気はさらさら無かったが、人払いをするには庭園が打ってつけであったし、何より若い男と密室に二人きりになる事は、淑女として好ましくない。
 ミュリエルはメイドに準備を頼むと、一度、自室へと戻った。
(……妙な事になってしまった)
 溜息を一つ落とすと、ミュリエルはベールとマントを外し、後ろで纏めていた髪を下ろす。生前、父が美しいと褒め称えてくれた母譲りの金の髪が、ふわりとなびいた。
 礼拝用の黒いドレスは、お茶に相応しいとは言えない。だが、父との約束を違えてからというもの、明るい色を着る気になれなかった。
 もう庭園へ通されているはずの彼を、これ以上、待たせるのは失礼にあたる……。
 着替えない理由を自分に言い聞かせたミュリエルは、庭園へ向かうために振り向いた。
 と、遠慮がちなノックの音が響く。
 素性の知れない人間を連れてきてしまった事に気を揉んでいたミュリエルは、何かあったのかと身を震わせた。
「……どうぞ」
「失礼いたします」
 静かに開いたドアから、ドリーンが顔を覗かせる。満面の笑みと、片手には目の覚めるような空色の衣服。
「ドリーン、どうかしたの? それは……」
「お召し替えでございます。お嬢様」
 きょとんとしたミュリエルは、ドリーンの笑顔と、青いドレスを交互に見比べた。
「え……?」
 状況を理解していないミュリエルの態度に、ドリーンは僅かに顔をしかめる。
「よもや、そのままお茶の席に出ようなどとは、思っておられませんでしょうね?」
「……」
 ぎくりと身を強張らせた。
「殿方とのお茶の席に、黒のお召し物では失礼というものです」
 確かに、ドリーンの言う事はもっともだった。黒は家族を亡くし、喪に服す者が纏う色。没した後、三月で魂は天界に招かれるという教えの広がるこの国では、三月以上黒を纏うことは異質であるし、他人との席では敬遠されていた。
 だが、父を失った大きな痛みと、その後の自分の愚かな振舞いに罪の意識を感じているミュリエルは、幾年も過ぎた今も、黒を纏い続けていた。
「……それは、判っているけれど……でも……」
 昔からのしきたりだと頭では理解できる。しかし気持ちが伴わない。
 項垂れるミュリエルを見たドリーンは、悲しそうに眉を寄せた。
「ああ、お嬢様。そのようにいつまでも塞ぎ込んでおられては、天の旦那様と奥方様が悲しまれますわ」
「しかし私は、お父様との約束を……」
「例えそうだとしましても、親というのは子の幸せを願うものです。お優しかった旦那様が、このようなお嬢様を望んでいるなどという事、あるはずございません!」
 はっきりと言い切られたミュリエルは、驚いて顔を上げる。半ば叫ぶようなドリーンの言葉尻が震えていたのに気付いて、ハッとした。
「ドリーン……泣いているの?」
 これまでどんな状況にあっても、厳しく優しく気丈に振舞っていたドリーンの意外な姿に、ミュリエルは思わず手を伸ばす。
 ドリーンは手に持ったドレスを握らせるように、ミュリエルの掌を両手で包み込んだ。
「おいたわしや……娘の盛りにこのような暮らしを強いられるなどと……」
「……ドリーン……」
 今にも零れ落ちそうな涙の粒が、ドリーンの瞳に浮かぶ。
 自分が感じ思うよりも、周りに心配をかけてしまっていた事に気付いたミュリエルは、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「お嬢様、どうぞ、かの紳士におすがり下さいませ。あの方は間違いなくお嬢様をお救い下さいます」
 すっかりギュンターに心酔してしまっているらしいドリーンに、困惑する。それもこれも彼の術なのか、あるいは彼自身に信頼に足る要素があるのか……。
 どちらにしても、先ほど会ったばかりの人をそこまで頼りにするわけにはいかない。ミュリエルは彼の味方になってしまったらしいドリーンを宥めるのに苦心した。

「お待たせして、申し訳ありません……」
 様子のおかしいドリーンを落ち着かせるのに時間を割くはめになったせいで、結果的にギュンターをかなり待たせてしまった。女の仕度は時間がかかるものと相場は決まっているが、それにしても待たせ過ぎたと感じたミュリエルは、恐る恐る顔を上げて彼を見た。
「……」
 ここに来るまで、相当のおしゃべりだった彼が何も言わない。やはり怒らせたかと身構えたミュリエルは、呆然とこちらを見つめる瞳とかち合い、首を捻った。
「……あの、ギュンター様?」
 ミュリエルの声にハッとした彼は、ガーデンチェアから立ち上がり、困ったように頭を掻いた。
「ああ。いや、すみません。私とした事が驚いてしまいました」
「え?」
 庭に何か驚くような物があっただろうかと、後ろを振り返る。だがそこには、小さな屋敷に合わせてこぢんまりと造られた庭園があるばかりだった。
 前に向き直ったミュリエルは彼が苦笑している事に気付き、おろおろした自分を恥じた。
「……精霊の話も、あてにならないと思ったのですよ。百聞は一見にしかずとはこの事だ。あなたがこんなにお美しいなんて、彼らは言っていなかった」
「!」
 家族や使用人以外から褒められた事の無いミュリエルは、とっさに口をつぐみ頬を染める。社交界などではざらにあるお世辞なのだろうが、言われ慣れていない彼女には刺激が強すぎた。
 がちがちに固まってしまったミュリエルに、ギュンターが寄り添い手を差し伸べる。
 それが貴族式のエスコートだと言うのは、幼い頃に見た両親の姿で知ってはいるが、いざ自分がされると恥ずかしくてたまらなかった。
 促されるまま、不自然な動きで向かいの席に着いたミュリエルは、折を見て現れたメイドからお茶を受け取り、人払いを頼んだ。本音を言えば、二人きりにされたく無かったが、込み入った話をする以上そうも言ってはいられない。
 他に人のいなくなった庭で正面から見つめられたミュリエルは、視線を避けるよう僅かに顔を逸らした。
 普段、外で他人と接する時につけているベールが、今は無い。黒いドレスですら礼に欠けると言われるのに、ベールの着用が許されるはずも無かった。
「黒も悪くは無いが、やはり色のある方が良いですね。よくお似合いですよ、そのドレス」
「……あ、ありがとう、ございます」
 視線を合わせないままぎこちなく礼を言う。ドリーンに泣かれてしまった手前、拒否しきれずに、ミュリエルは青いドレスを身につけていた。
 金色の髪は一度結い上げ、そこから垂らしてある。緩く波打っている長い髪は、それでも背の中ほどまで達していた。
「あなたのように若く美しい女性が、黒のお召し物ばかりでは寂しいでしょう。それに女性が着飾る事は、周りの者をも幸せにするのですよ」
 普段のミュリエルを知っているかのような口ぶりに、顔を上げた。
「あの、それも……」
「ええ。精霊から聞きました。喪が明けても黒ばかり着ていると、嘆いていましてね」
 やはり彼は全てを知っているらしい。余りに魔法使いのイメージとかけ離れていたせいで疑っていたが、秘密を知っている以上、本物だと認めざるを得なかった。
 重く悩ましい気持ちが、溜息となってこぼれ落ちる。
「先ほど、ギュンター様は私の夢を叶えて下さるとおっしゃいましたけれど、今の私には叶えたい願いなど何も無いのです。ただ静かに祈りを捧げる生活が続いて欲しいだけ。そんな私に精霊は何をせよと言うのでしょう?」
 無意識に放って置いて欲しいという気持ちが滲み、非難がましい物言いになってしまった。
 ミュリエルは気まずさから首を回し、遠くまで広がる麦畑を見下ろす。あの畑の遥か向こう、馬車で数日北に向かった地に王都はあるはずだった。
 もう還らない日々。全てを取り戻し、本邸へ帰ったとしても、大好きだった父はいない……。
 浮かんだ憂いの表情に気付いたらしいギュンターが、悲しそうに微笑んだ。
「あなたに希望するものが無い事も聞き及んでいます。だからこそ精霊は、あなたに夢を与えたいのだそうですよ」
「夢?」
「そうです。今は無くとも、昔は叶えたい夢があったでしょう。それを叶えてさしあげたいのです」
 ふわりと蘇る思い出。まだ父も健在で、二人きりの家族ではあったが幸せだった少女の頃、ミュリエルの夢は立派な淑女として社交界に出る事だった。
 心美しい令嬢と王子が舞踏会で出逢い結ばれる物語を読みふけり、縁戚の女性たちが夜会へ出掛けていく様を羨ましい思いで眺めていた。自分もとびきり美しく着飾り、いつの日にか舞踏会へ赴く。そして殿方に見初められ、一生を幸せに暮らすのだと心に決めていた。
 貴族の娘ならば誰しもが抱く憧れ。ミュリエルは無垢で幼かった自分に、温かさと愚かさを見出した。
「……そんな事をしても、何にもなりませんわ。今更、社交界に出向いて何が変わりましょうか。それに、社交界への出入りには招待状の他に、家の紋章か、その写しが必要なのです。私は……持っておりません」
 どうして持っていないのかという事も、失くした状況も、ギュンターは既に知っているのだろう。だが口にするのも辛いミュリエルは、あえてはぐらかした。
 項垂れるミュリエルの手を、彼の掌が優しく包む。
「紋章など、どうとでも致しましょう。その為に私は馳せ参じたのですから」
「でも……」
「余り深く考えずに、一時の夢物語だと思っておけば良いのですよ。心美しい貴女に打たれた精霊が、ささやかな贈り物をくれた、とね」
 耳に心地良いギュンターの声は、知らぬうちにミュリエルの警戒心を解いていく。
 心の奥底に届いた言葉に頷きながら、ミュリエルはこれも彼の術なのだろうかと、考えても詮無い事を思っていた。

   

1 ←  → 3    Copyright (C) chihiro sasa all rights reserved  小説  index