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 Bitter  ビター

 7
ひとしきり泣いた後、旭は何の反応も示さない桂吾をマンションへと連れ帰った。
玄関を入ってから何も言わずにバスルームに連れて行く。
服を着たままの桂吾を洗い場に座らせて、少し熱いくらいのシャワーを出した。
騒がしい水音と、もうもうとあがる湯気を確認してから、旭も桂吾の脇に座る。
マンションとはいえ、それなりに狭い浴室で身体を寄せ合って座る2人。降り注ぐお湯も温かいけれど、触れ合った肩も暖かかった。
何も言わずにどれくらいそうしていたのか、すっかり暖まった手が何かに触れる感触に旭は顔をあげた。
座ってからずっと微動だにしない桂吾が手を握ったのだという事に、少しして気付く。
旭は桂吾の手をそっと握りかえした。
「…旭さん」
「ん?」
床に叩きつけられる水音の向こうに聞こえる桂吾の声は、かすかに震えているような気がした。

桂吾はまるで懺悔するように、これまでの事を旭に語った。
母親の死と父親の再婚。家族への反発。
以前話した時のように事実を淡々と述べるのでは無くて、桂吾が感じたままを伝えてくれた。
「…親父が再婚するって言った時、反対はしなかった。どうせ同じ位のオバサンが相手なんだろうし、それまで俺が一人でやって来た家事全部代わってもらえるって事しか思わなかった」
桂吾の肩に寄りかかったまま、旭は頷く。
「そうしたら20歳も年下の女が来た…。歳が違っても上手くいってる夫婦なんてザラだって知ってるけど、うちは違う。ただ若いからってだけで熱上げてる親父と、金目当てで取り入った女。俺は家に帰りたくなくてバイトばっかりしてた」
「貯金はその時の?」
「…そう。歳ごまかして夜勤ガンガン入れて。なるべく家に帰らないようにしてた」
ふとした沈黙。桂吾が息を飲むのが解った。
旭は繋いだ手に力をこめる。大丈夫だから、と。
どんな辛い事だってきっと乗り越えられるから。どんなに傷ついたっていつか治るから。だから逃げないで…!
心の中で叫んだ。
桂吾はぎゅっと手を握りかえして口を開いた。
暖かい場所にいるのに、顔が青ざめていた。
「卒業式のあった日の夜、家で宴会があった。もう家を出ると決めた後だったから、最後くらい付き合ってやるつもりで参加した。親父は深夜の飛行機で出張する事になってて途中で出かけていった…おかしいと思ったのは親戚連中が帰った後。やけに眠くて…」
気がついた時には、もはやどうにもならなかったらしい。
自室のベットに縛り付けられた桂吾に、歳若い義母がしなだれかかっていた。
睡眠薬を飲まされたらしい身体は言う事を聞かずに、ろくな抵抗すらできないままに身体を奪われた。
「…あの人は…愛してるから許してくれって、泣いてた」
痛いぐらいに握り合った手が、はっきりと震えている。
色を失った顔をみつめる度にその痛みが伝わってきて辛かった。
もう言わなくていいと言おうとして、何度もその言葉を飲み込んだ。
桂吾はいま自ら過去に立ち向かっている。痛くても辛くてもあるがままを受け止めなければ彼は先に進めない。
それが解るから、桂吾が更に傷つくのを承知でただ頷くしかできなかった。
「辛かったのは…襲われた事じゃなくて。あの人があんな事するなんて、思ってなかったから…俺は…」
「好きだったの?」
旭の言葉に桂吾はハッと振り向いた。
驚いた顔をしだいに歪めて、旭の肩に顔をうずめる。
旭は繋いだ手を外して、そっと桂吾を抱き寄せた。
腕の中で嗚咽をあげるひとは、自分よりも全然大きいはずなのに何故か小さく感じた。
流れ続ける水音と押し殺した泣き声の中で、旭はずっと背中を撫で続けていた。

「思えば、初めて会った時から好きだったのかもしれない…。だからあの人と親父が一緒にいるところなんか見たくなかったし、金目当てで結婚したのも許せなかったのかも…」
「桂吾くんって潔癖なのね」
茶化して言うと、隣で横になっている青年はムッとした顔をして布団を引き上げた。
バスルームから出て濡れた服を着替えた後、お互いにどうしても離れがたくて結局布団を並べていっしょに寝る事になった。
「しょうがないだろ。純情少年だったんだから」
「純情? …それにしてはバーで会った時ずいぶん場慣れしてた風だったけど」
「あー。まぁテクの方はそれなりに」
「何が『それなりに』よ」
旭は声を立てて笑った。
桂吾が軽口を言えるほど元気になった事が、自分の事のように嬉しかった。
相変わらずムッとしてる桂吾に見えるように手を差し出す。もうすっかり馴染んだ掌の感触がそっと重ねられた。まるで約束事のように極自然に。
普通の男女の間にあるような激しい恋慕ではない、ゆったりとした信頼が2人の間に築かれているような気がした。
それをどういう関係と呼ぶのか旭は知らない。ただ、旭には桂吾が必要で、桂吾には旭が必要なのだと思う。今は。
いつか、そう遠くない未来。桂吾が自分の道を見つけ新しいスタートを切る時、素直な気持ちで彼を送り出せるように、強くなろうと思った。
「…旭さん、もう寝た?」
「……」
「面と向かって言えないけど、凄く感謝してる…ありがとう」
旭は手の中にぬくもりを感じながら意識を手放した。
眠りに落ちてゆくまどろみの中で、でももう少しこのままでいたいと思った…。

   

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