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 薔薇洋館の主

 5
夜、みちるはお姫様部屋の窓から、夜空を眺めていた。
山奥の屋敷からは、星がよく見える。木々に遮られて満天というわけにはいかないけれど、周りに明かりが無いせいで限られた範囲でも驚くほど沢山の煌きが見えた。
上を向いたまま、今日の事を思う。
嵐のように訪れて去った六郷が、最後に残していったお願いの意味は未だに判らなかった。
……私がアキさん家をどう思ってるかを、アキさんに伝えればいいの?
それは容易い事だけど、なぜ他人の自分がそんな失礼な事をしなければならないのか。考えても答えは出てこない。だから実行に移せないでいた。
まぁ、六郷さんも気が向いたらで良いって言ってたしね。
みちるは考えるのを放棄して、また星々に目をやった。
東京育ちのみちるは、修学旅行などの行事以外で田舎に行った事が無い。もちろん天体観測なんてしたことも無いから、こんなに沢山の星を見るのは、ほぼ初めてだった。
ハマると夢中になると聞いた事はあるけれど、そう言った人の気持ちが判る気がする。
「やっぱり田舎に住もうかな……」
呟いた独り言が夜空に消えていった。
ふいに、後ろのドアが静かにノックされる。
「みちるさん、ちょっと良いですか?」
「あ、はい」
ドアを開けた向こうには当たり前だけど明典が立っていて、やや大振りな花瓶を抱えていた。中には色とりどりの花。
「実は母に渡して貰おうと思っていた花を、六郷さんに預け忘れてしまいまして。そのまま枯らすのも可哀相なので飾って頂けないかと」
「うわー……きれーい……」
沢山の花を見る機会が余り無いので、みちるは柄にも無く感動した。
「そう言って貰えると、生産者としても嬉しいです」
「これ全部、アキさんが育ててるんですか?」
草花に疎いみちるには、真ん中に活けられている数種類が薔薇という事以外判らないけれど、周りのフリフリのや、小さい花がいっぱい付いたのも、あの温室で栽培しているのだろうか。
「はい。薔薇は出荷用なんですが、後は自家用というか、母が花好きなので頼まれて育てているんです」
「……アキさんて、実は凄いんですね」
みちるは尊敬の眼差しを明典に向けた。働き者なのは知っていたけれど、実際に育てた花を目の当たりにすると、一層その凄さが判る。
じっと見つめられた明典は、恥ずかしそうに視線を逸らして、以前、一輪挿しが置いてあったサイドテーブルに花瓶を乗せた。
「みちるさん、窓開けておくと蚊が入りますよ?」
宝石みたいに沢山の色をちりばめた花に見惚れていたみちるは、明典の言葉に我に返る。気付けば、彼は開けたままの窓を見ていた。
「あ、その……星が、綺麗だったから……」
自分が乙女チックに星を眺めていた事が恥ずかしくて、みちるは苦笑いで誤魔化す。見た目も性格も、どちらかと言えばボーイッシュなみちるが、星や花に感激しているなんて、意外だと思われるに違いない。
明典はまっすぐ窓に近付くと、ガラス戸を締め鍵を掛けた。
「それなら、こんな窓からじゃなくて、ちゃんとした星を見に行きましょう」
「え?」
外に向いた姿勢で顔だけこちらを見た明典は、ふんわりと笑った。

誘われるまま外に連れ出されたみちるは、温室脇に停めてあった車に乗るように言われた。
……車は車だけど、これ軽トラよね?
東京の市街地では余りお目にかからない白いボディの、まさに軽トラの中の軽トラ。
さっさと運転席に収まった明典に「どうぞ」と言われて乗ったものの、ビニール張りの座席の硬さと冷たさに驚いた。
「あの……どこに行くんですか?」
夜道を軽快に走り出した軽トラは、みちるが降りてきた道路をぐんぐん登っていく。
「みちるさんが一昨日の昼に行った展望台です」
「え、だって道路は……」
「展望台から市内へ向かう途中の橋が流されてるので、屋敷から展望台までは行けるんですよ」
みちるは屋敷周辺の地図を思い描いて、納得した。
すっかり日の落ちた、真っ暗な山道をヘッドライトを頼りに進む。くねくね道でスピードは出ていないはずなのに、妙に速く感じた。
あの嵐の日に歩いたのはこんな道だったろうかと、みちるは助手席の窓から外を見る。暴風雨に晒されて周りを見る余裕も無く、ただただ下だけを目指して進んだ夜。まさか、行き着く先が来たはずの市内じゃなくて、妙な若い男が住んでいる不気味な洋館だとは思いもしなかったけれど……。
真剣な表情で運転する明典の横顔を見て、なぜか笑いが込み上げた。
屋敷に世話になってからというもの、次から次へと色んな事が起きて、悩んでる暇すらない。
これじゃ、ちっとも傷心旅行にならないじゃない。
隣で笑い続けるみちるに、明典は前を見たまま不思議な顔をした。

20分ほど山道を登った所で一気に目の前が開けた。
一昨日タクシーで連れて来てもらった展望台の駐車場に着いたらしい。道路を挟んだ向かい側に、3時間も雨宿りした忌々しいレストハウスが見える。
当たり前だけど、あの時に切れた電話線も垂れ下がったままだった。
軽トラから降りて見渡すと、周りが意外に明るいと気付く。電話線と一緒に電線も断たれたのか、設置してある外灯は全て点いていないのに、前を歩く明典の背中がはっきり見えた。
風も無い静かな夜。かすかな虫の音と、カエルの啼き声。2人が地面に敷いてある砂利を踏む音だけが響いていた。
「真っ暗なのかと思ってたけど、けっこう明るいんですね」
せっかく連れて来てくれたのに、無言じゃ失礼だろうかとみちるが言う。明典はそこで初めて気付いたように空を見上げた。
「ああ、満月が近いからですね」
「え」
言われてみれば、確かに浮かぶ月は楕円形をしている。
月を見上げる事も久しくしていなかったと思い出したみちるがその美しさに見入っているうちに、明典はぐるりと空を見渡して、低く「うーん」と唸った。
「月光が強いので、星は綺麗に見えないかも知れませんね」
普段ほとんど星なんて見えない生活をしているみちるには判らないけれど、毎日見れる人にはイマイチなのだろうか。
「そうかな……ちゃんと綺麗に見えますけど。それに、もし星が見えなくても、月が綺麗だから良いじゃないですか」
少し離れているので、さすがに表情までは見えないけれど、明典は一瞬面食らって、それから笑ったような気がした。
「……そうですね」
海にある灯台を低くしたような形の展望台は、中の階段を上がると屋上に出られる作りになっている。
明典とみちるは階段の入り口で立ち止まり、中を見た。
外は月明かりで照らされているものの、階段は壁と屋上に覆われているので真っ暗だ。
「中全然見えないし、ここじゃなくて外で見ません?」
明典の後ろから覗き込んだみちるの声が、展望台の中に反響してやけに大きく響く。
「大丈夫。行きましょう」
振り返った明典は、こちらに向かって微笑むと後ろ手にみちるの手を取った。
……て、ええーーーー?!
恋愛対象でないとはいえ、いきなり異性に手を掴まれたみちるは動揺した。
しかも引き込まれた先は本当の闇。周りは元より、すぐ前にいるはずの明典も、自分の身体すらも見えなかった。
少し……怖い。
幽霊が出そうだとか、そういうことじゃなく、純粋に闇が恐ろしいと思った。黒い何かに全身を隙無く覆われているような錯覚。みちるは息苦しさを覚えて大きく息を吸った。
「アキさん?」
耐えかねて呟く。声が少し震えている事は、気付かないで欲しかった。
「ほら、上。光が見えるでしょう」
見上げると、屋上への出口だろうか、うっすらとした光が差している。
「……あれも、月の光なんですか?」
「多分そうでしょうね。ここの電源は落ちてるようですし、確か屋上にはもともと明かりが無かったと思います」
「へえ……凄い」
月の光がこんなに明るい物だなんて、初めて知った。20年近く生きてきたのに、身近にある物すらよく知らなかった事に改めて気付く。
明典が繋いだ手の親指で、みちるの甲をトントンとつついた。
「みちるさん?」
「あ、はい」
ぼんやりしていたみちるは、見えないのにパッと顔を上げる。
「ここから階段なので、気をつけて登って下さい。登りきった所は月明かりで見えると思うので、そこまでは手を離さないで」
「……はい」
手を繋いでいる事実をはっきり言葉にされると、尚更恥ずかしい。真っ暗で見えないから良いものの、みちるの頬は絶対に赤くなっているだろう。
金属製の螺旋階段を登る2人の足音が展望台に響く。みちるは引かれる方に足を動かしながら、この状況を客観的に考えた。
……この人は、どうしてこんなに良くしてくれるんだろう?
単に雨で迷っただけの他人に何日も衣食住を提供し、気を使ってくれて、わざわざ星を見せに連れて来てくれた。
最初の日は仕方ないにしても、翌日からは警察にでも連絡して救助ヘリを呼べば良かったんじゃないかと思う。ヘリポートもあるし、実際、屋敷が孤立しているのだから、向こうが忙しくたって来てくれる可能性は高かったはずだ。もしくは自家用ヘリを呼んで、後からみちるに経費を請求する事もできた。
それなのに、なぜ。……単なる気紛れ? それだけ?
明典が親切にしてくれる理由が判らず、みちるは首を捻る。
昼間、明典はみちるを「迷惑とは思っていない」と言った。失礼だけど嘘がつけなさそうな人だから、本音だと思う。でも、どうしてそう思えるのだろう?
無性に聞いてみたい。この期間限定の不思議な同居を彼はどう思っているのか。
そして、自分がどうしてここに来たのかを話してみたいと思った。
「着きましたよ」
一昨日来たときの倍はかけて慎重に階段を登りきった先の屋上は、夏なのにひんやりとした風が吹いている。本当にかすかな風なのに、肌寒いような気がして、みちるは半袖から出た腕をさすった。
「けっこう涼しいですね」
「ああ、それなら反対側に行きましょう。風が当たらないと思います」
明典の提案で風下に移動する。ちょうど階段の出口の裏にベンチが置いてあったので、二人でそこに座った。風に当たらなければ、寒いという程でも無い。
空を見れば、まさに満天の星。屋敷から見たのも綺麗だったけれど、夜空全体に散りばめられた光に圧倒された。
力強く輝くもの、淡く瞬くもの、白色の光、黄色、赤、青……。
今まで知らなかった世界に直に触れた気がして、震えた。
「……」
余りにも綺麗で、みちるは声も出せずにただ空を眺める。明典はそんなみちるを見て微笑んだ。
「良かった」
彼の小さな呟きに、さっきの疑問がまた脳裏に浮かぶ。
みちるは明典を見つめると、自身の事情も追及されるのを覚悟の上で口を開いた。
「アキさんは、どうして私に親切にしてくれるんですか?」
「はい?」
「だって、私がいる事だけでも面倒を掛けているのに、星を見せてくれたり、こうやって親切にしてくれるから……」
「いえ、みちるさんがいるのは面倒でも迷惑でも無いですよ……でも、そういえばそうですねえ」
昼に言っていた言葉を繰り返した明典は、今更気付いたように何かを考えだす。
何が「そういえば」なのか、みちるは更に疑問に思った。
「アキさん?」
「あ、すみません。特に理由は無いというか、みちるさんには色々してあげたくなるんですよね。それが自分でも不思議で……僕はどちらかというと他人を信用していない所がありますから」
「ええーっ?!」
明典が人間不信だなんて、それこそ信じられずにみちるは声を上げる。
「そんなにおかしいですか?」
「おかしいって言うか、そういうのはもっとこう、陰気で俯きがちで無口な人がなるものじゃないんですか」
余りにベタなイメージを出したからか、明典は面白そうに肩を揺らした。
「まぁ……一人暮らしのせいで普段は口数の少ない方だと思いますが、僕は自営業をやっていますし、24にもなればそれなりに協調性もありますから、表面上、仲良くすることくらいはできますよ」
表面上、なんていう言葉が明典から出ると思っていなかったみちるは、意外というより違和感を感じる。屋敷で見ている彼は穏やかで、ちょっと天然だけど優しくて親切な人だった。全然表裏が無いように見えるのに……。
「ちょっとビックリです」
「……学生の頃に家の関係で少し嫌な思いをしましてね。それから他人が少し怖いんです」
みちるは遠い夜空に向けた明典の横顔を見つめた。
具体的に何があったのか判らないけれど、日向寺の名が嫌いだというのは、そこから来ているのかも知れない。
「アキさんは、自分のお家が嫌いなんですか?」
みちるの問いに明典はふっと微笑んだ。
「まさか。家族は大切に思っています。ただ、もう少し目立たない家に生まれたかった気はしますけどね」
目立つ家……かぁ。
普通とは少し違うかも知れないけれど、一般人として育ったみちるには、その辛さが判らない。お金があれば苦労は軽減されるものと思っていたのに、明典の様子からすると、逆に大変そうだ。
「それでも……やっぱり、私はアキさんちが羨ましいです」
「え」
「だって、ちゃんと家があって家族がいるんだもん。離れて暮らしてても、お父さんとお母さんと弟さん達と、六郷さんもいるし……私には、もう誰もいないから」
一人で暮らしている東京のアパートが思い浮かぶ。ワンルームなのに広く感じるほど家具の少ないあの部屋には、みちるを待つ人なんていない。
「……みちるさん」
みちるはわざと元気良く立ち上がって、明典を振り返った。変に同情されたくなかったから、軽い調子で説明する。
「私、お婆ちゃんに育てられたんです。家出してたお母さんが突然、赤ちゃんの私を連れて帰ってきて、お婆ちゃんに押し付けるとまたいなくなったらしくて。だから、お父さんが誰なのかも判らないんです」
「そう、だったんですか……それで今お母様は?」
「亡くなりました。ずっと音信不通だったんだけど、私が中学の時に警察から事故で死んだって連絡が来て。お婆ちゃんも一昨年に亡くなったので、おかげで私は天涯孤独ってわけです。あ、でもお婆ちゃんが良くしてくれたから、不自由は無かったですよ?」
どうでも良さそうに、みちるは、あははっと笑った。
訳知り顔で寄って来る人達に何度と無く言った話をまた繰り返しただけなのに、何故か胸の奥がチクチクする。
明典はそうっと手を伸ばし、真向かいに立つみちるの手を取った。突然の事に少し緊張しながら、みちるは明典の手を見つめる。
「孤独じゃないですよ。みちるさんの中には、ちゃんとご家族がいるじゃないですか。事情はあるでしょうが産んでくれたお母様と、育ててくれたお婆様が、みちるさんに繋がっている」
「で、でも、それじゃ会いたくても会えないじゃないですかー」
優しかった祖母を急に思い出したみちるが、寂しさから憤慨すると、明典は顔を上げてにっこり笑った。
「そういう時は僕を頼ったら良い。同じ家にいるのだから、今だけは僕も家族でしょう?」
虚をつかれたように、みちるは目を見開く。受け入れられた嬉しさと共に蘇る記憶。

『……そういう時はさ、俺を頼ったら?』
『家族同然と思ってくれて構わないよ』

「どうして……」
「……みちるさん?」
「どうして同じ事を言うの?」
驚く明典を前に、みちるの瞳からは次々と涙が零れ落ちた。
あの人と出会ってからここに来るまでの思い出が、早送りで流れていく。
手を繋いだまましゃがみ込んだみちるは、自分を守るように身を縮めて、ただ一人の人の名を呼んだ。

   

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