おわりに

最初にこの廃線跡を訪れたのは1990年代でしたが、そのときには、現在の道路になっている区間にも、 まだ赤錆びたレール等が残っていました。 今回、線路跡の半分は、歩車共存道路として生まれ変わっていました。けれども廃線跡 としての面影が急速に失われつつあるのは、少し残念に思いました。
廃線跡の赤錆びたレールや傾いた速度標等を見つけた時、「わび・さび」という日本人の感性に訴える ものがあるのだろうと思っています。

立川基地跡地は立川側は昭和記念公園等に生まれ変わっていますが、中神側は ここで紹介したように未整備のままで、立ち入り禁止区域になっていました。

立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業によって公園やその他施設等に整備されました。

”ランドリーゲート”という変わったバス停の名前は、近くに洗濯工場があったことに由来します。 ”LAUNDRY-GATEの想い出”という歌で有名ですが、 ”ランドリーゲート”という名前は、このバス停の区間表示にのみ残されているのです。

引込線廃線跡は昭島市に属していますが、同市は、このような線路跡地を再活用し、小公園や 道路に整備しています。同様に整備された場所に同市大神町の旧五日市鉄道大神駅周辺 (五日市鉄道廃線跡「拝島−立川」間を歩いて)があります。
また、同様な青梅線の引き込み線の廃線跡に福生市の 福生河原支線廃線跡があります。こちらもご覧ください。
廃線になって20年以上がすぎ、そこに鉄道や基地があったことすら知らない新しい住民も増えていく ことでしょう。同市のこのような取り組みによって、20世紀の遺跡を、21世紀になった今に、 さらに次の世紀にも伝えていくことでしょう。

分岐点で案内板の写真を撮っていると子供たちが聞いてきた。
「おじさんカメラマン?」
「いや、ちがうんだ。」
「そんなものを撮ってどうするの?」
「・・・・・。」
そこで遊んでいる地元の子供たちにとっては、そこに線路があったことなどは、あまり関心がない のかもしれないです。
今後、この廃線跡は地元の人にとっての生活道路や犬の散歩道として大いに活用されていくのでしょう。

このページを最後まで見ていただきありがとうございました。 ここで、この廃線跡を紹介したことが、意味のあるものであって欲しいと願って。

平成17年に昭島市は、市制施行50周年を記念して この廃線跡を ”中神引込線通り”と命名しました。
そして、廃線跡を整備した道路の道端には道路愛称名表示板が設置されました。

平成29年に、当地区で実施した立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業
(施工者:独立行政法人都市再生機構)で整備した「昭島市立むさしの公園」の
休憩施設として「廃線跡モニュメント」が設置されました。

その他の廃線跡

五日市鉄道廃線跡「武蔵五日市−武蔵岩井」間を歩いて

青梅線福生河原支線廃線跡を歩いて

小河内ダム工事運搬線の廃線跡

能勢電鉄「川西能勢口−川西国鉄前」間の廃線跡


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