大久野〜武蔵岩井間



(写真9)大久野駅付近。空き地に枕木が積まれていた。
また、付近には鉄道柵が残されていた。


(写真9-1)大久野駅跡 「語らいとふれあい広場」になっている。(2005.6.25)


(写真9-2)大久野駅跡 「語らいとふれあい広場」入り口(2005.6.25)


(写真9-3)大久野駅跡 「語らいとふれあい広場」内部(2005.6.25)


(写真9-4)大久野駅跡付近 昭和の駅前の情景が残っている。(2005.6.25)


(写真9-5)大久野駅跡付近 幸神神社(2005.6.25)


(写真9-6)大久野駅跡付近 幸神神社のシダレアカシデ(2005.6.25)
国指定天然記念物 右の写真は解説板


(写真10)大久野駅方を望む。傾いた速度標があった地点。
画面中央のガードレール下であるが、まだ鉄道柵のみ残されていた。


(写真10-1)ガードレール下に残されている鉄道柵。(2005.6.25)


(写真11)中央が廃線跡。


(写真11-1)上の写真付近(2005.6.25)


(写真11-2)レールを用いた遺構 (崖崩れ防止のための建造物)(2005.6.25)


(写真11-3)境界杭 (2016.2.7)


(写真12)これより先は立ち入り禁止。(廃線跡歩きは、しばしば危険を伴う。)
元に戻って右側の道路へ迂回する。


(写真12-1)上の写真と同じ場所。(私有地につき立ち入り禁止)(2005.6.25)


(写真13)川を隔てた山の中腹に線路跡がある。


(写真14)大久野駅方を望む。


(写真15)武蔵岩井駅 セメント工場の自転車置き場になっている。


(写真16)武蔵岩井駅跡 (2005.9.18)


(写真16-1)武蔵岩井駅跡 (2016.2.7)
自転車置場は無くなり更地になっている。


(写真16-2)武蔵岩井駅跡 (2017.4.23)
新しい屋根付きの駐輪場になっている。


(写真16-3)武蔵岩井駅跡 案内板(2017.4.23)
駐輪場の右側に案内板が設置されている。

「ここに『武蔵岩井駅』がありました。
歴史
1925年(大正14年)五日市鉄道は『武蔵五日市〜大久野駅〜武蔵岩井駅』を開業しました
     (貨物、旅客営業開始)。
1940年(昭和15年)五日市鉄道は南武鉄道と合併しました。
1944年(昭和19年)南武鉄道は国有化され、拝島〜武蔵五日市〜武蔵岩井間が
     『五日市線』になりました。
1971年(昭和46年)武蔵五日市〜武蔵岩井間の旅客輸送廃止に伴い、
     大久野〜武蔵岩井間の路線も廃止となりました。
1982年(昭和57年)武蔵五日市〜大久野間の貨物営業廃止に伴い、
     路線全てが廃止となりました。

 路線廃止後、旧武蔵岩井駅にあったプラットホームは、
 旧日本セメント株式会社西多摩工場駐輪場として長年使用されてきました。
 その後、2016年(平成28年)に行われた勝峰山林道開設工事の実施に伴い、
 切妻屋根の老朽化も進んでいたことから、惜しまれつつも解体されました。」


(写真16-2)武蔵岩井駅跡 (2013.3)
車道から見た駅跡


(写真16-3)武蔵岩井駅跡 (2016.2.7)
車道から見た駅跡


(写真17)工場の奥の引き込み線跡? (2005.9.18)
引き込み線跡ではないとのこと。


(写真18)大久野駅方を望む。(2005.9.18)


(写真18-1)林道を作っています。(工事の看板)(2016.2.7)


(写真18-2)勝峰山林道(2017.4.23)
駐車場の脇に林道ができている。
この林道は、勝峰山周辺の山林を撫育管理し、林業の振興・普及を目的として
開設された林道とのことである。



(写真19)車道に戻り上流側を望む。(2005.9.18)


(写真19-1)硅石鉱山軌道跡の橋脚の遺構(2013.3)
この先の訪問記は、下記に掲載しています。
古い記憶の中の駅を探して (カテゴリー → 武蔵岩井)

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