大学時代




トイレに・・・

    まだ大学に入って間も無いときのことだったと思う。近所でもあった自由が丘の駅前にある某デパートの4階、そこにあった本屋には
   よく足を運んでいたのだが、そのトイレに入ったことは、思いだす限りでは「あの」1回だったと思う。故にいつもそういった状況なのかは
   定かではないのだが、その中に1つある個室の前方左隅に、男性同性愛者向け雑誌でおなじみの「サブ」を発見した。さすがに自分も
   はじめてお目にかかるもので一瞬便意を忘れてしまった(ウソ★)。多分、これはたいていの人にある心理だと思うのだが(自信は無い
   (^^;)、ああいったものは、自分から率先して手に入れようとは思わないが、1度は見てみたいと考えるのではないのだろうか?といった
   まことに自分勝手な定説の元、そっと見始めた、ちなみに同じような場面に遭遇したとしても2度とその雑誌を開くことはないだろう。
    問題はその雑誌を一通り見終わった後、当初の予定通り用をすませ扉を開いたところ、そこには1組の父子連れが待っていた。父の
   方は自分とその雑誌を均等に一瞥し、その息子を自分から遠ざけるように個室へと誘導した。
    「このおっさんは間違いなく自分のことをその道の人だと思ってる・・・」
    誤解を解かなきゃ!・・・しかしここで「いや、自分のじゃないんですよ」と言うのも不自然だ、第一真実を隠しているようにもとれる。だ
   からといって言わなければ、彼の日記に「ホモセクシャルに会った」の1行が加わるのは間違いない。トイレごときで自分は四面楚歌だ。
    ・・・だが結局彼の日記を変えるだけの力は自分には無かった・・・



禁句ババ抜き

    自分は大学に入って最初の半年強ほど、小学校〜高校まで続けていたこともあって吹奏楽部に入っていた。
    その部活での夏合宿の中の話。
    どんな合宿でもよくあることだと思うのだが、自由時間にもなると1年生が集まって、何かゲーム等がチョットしたブームになり、合宿の
   終わりまでそれを続ける。で自分たちの学年が5・6人ぐらいしかいなかったため、トランプが主流になっていた。なかでも相当なブーム
   にまで発展したのが、「禁句ババ抜き」であった。(ちなみに言いだしっぺは自分)
    ルールは単純、普通のババ抜きなのだが、ある禁句(「外来語」「カ行」)等々を定めてそれを言った人へ即時ババ移動。気をつけな
   ければならないのは、たとえあがったとしても、その禁句が終了したという合図がない限り、言ってしまったらババが来てしまうということ。
   つまり1番にあがってもビリになってしまう可能性があるのだ。余談だが禁句を言うまいとして無言空間が続くと、非常に盛り下がる。
    事件は禁句が「ん」の時におこった。トランプはどんなゲームでもそれなりに強かった自分だったが、そのときも1番に上がった。だが
   前記した通り、例え1番にあがったとしても禁句にだけは気をつけなければ行けないのがこのゲーム。何とかゲームに自分を引き戻そ
   とする皆の会話に注意しながらの受け答え。そんな攻防が続き終盤にさしかかったころ、勝ちを確信していた自分は何を考えたか、お
   もむろに、捨ててあるカードの1枚を手に取り、それを畳の間に差し立て、それを人差し指で前後に弾きながらリズムにのって、
    「ぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜んぴろ〜ん・・・」
    その回の順位は勝手に想像してくれ。



ブレーカー

    運良く大学合格を早めに決めることができた自分は、さっそく部屋探しをすべく、受験以来再び東京を訪れることにした。大学の学生
   課で部屋の紹介をするというので指定された日・場所に行く。その時は自分・母・母の友人(東京在住)の3人がいたのだが、何しろ自分
   は高校で親元を離れたにせよ、1人暮らしははじめて。そして、母も子供のましてや東京での部屋探しなど、どうしてイイかわからない。
    結局、その母の友人に全てをまかせて、1つの部屋を搾り出した。判断基準として値段・通学手段を重視したのだが、選んだ部屋は
   幸いにも値段のわりに広かった。ま、古かったのはあったのだが、時間も無かったし、特に不満な点も無かったんでそこに決めた、ちな
   みに案内には「築15年」とあった。
    数ヶ月後、誤ってブレーカーが落ちたことから、この部屋の真実を知ることになった。そのブレーカーには「昭和48年調査済」というシ
   ールがはってあった。自分はその時、昭和51年生まれの18歳だった・・・
    まあ、生活に支障があったわけではないので、特に追求はしなかったが、こういうことはよくある見たいなので、部屋探しのときは慎重
   に・・・



ゴキブリ’DREAM

    自分は昆虫が大嫌いだ。蝶を見ても気持ち悪いだけで、綺麗だとは決して思わない。恥ずかしいはなしだが怖いと思うこともよくある。
   そして北海道には一般的にゴキブリはいない、ウレシイ限りだ。
    そんな自分が、東京に来て、天下無敵の昆虫「ゴキブリ」に出会った・・・「神出鬼没」「早い」「飛ぶ」「デカイ」、最悪の生物だ。友人と外
   に食事に出かけ、帰ってきたら数匹の彼等に部屋を占領されたこともあった。
    そのゴキブリが出てきた夢の中でも、最も印象に残っているものがある(というよりも明らかに人生のワースト5位ぐらいには余裕では
   いる悪夢である)。
    部屋にはビッシリのゴキブリ・・・当然逃げようとする。しかし、そんなときに限って、夢の中の部屋は以上に広くなってる・・・走っても走
   っても外に出れない。夢なのにはっきりとあせってる感覚がある。ようやくゴキブリも少なくなってきた、しかし目の前にいたゴキブリを新
   聞紙(だったと思う)ではたいた瞬間、最後にして最悪の惨劇が目の前に広がった・・・真心で捕らえたゴキブリの背中がぱっくりと割れ、
   その中から言わば「子ゴキブリ」が数え切れないほどわいて出てきた・・・
    その後、夢はどうやって続いたのか覚えてないが、言えることは、その地獄から解放してくれたのが目覚し時計であるということである。



帰省

    大学最初の夏休み、当時自分は「東京〜函館の移動はJRの方が飛行機より安い」と勘違いしていた。ちなみにJRの場合、学割を使
   って片道約18000円・7.5時間、これが飛行機でスカイメイトを使うと片道約16000円・1.5時間・・・この上なく愚かな勘違いだった(^^;
    そんなワケでその時も実家から東京まで友人とJRで帰った。JRで帰る際には、まず函館から特急で盛岡まで行き、そこから新幹線に
   乗り換えて東京にたどり着く。先にも述べたように、乗り継ぎ時間等を考えると7.5時間かかるわけだから正直かなりの覚悟がいる。とこ
   ろがその時は、その覚悟を嘲笑うかのように、通過するはずだった青森で地震発生、特急が止まってしまった。1.5時間列車内で待たさ
   れた上で結局運休になり、結果高速バスで青森〜盛岡を移動。このバスが補助席までいっぱいでメチャメチャ辛かった(ちなみにその
   補助席に座っていた・・・)。そして悲劇はこれだけでは終わらない!何とか無事盛岡までついたのだが、指定席を取っていた新幹線も
   運休になっていて、結局、自由席で後の新幹線に乗るのだが、帰省ラッシュの時期、簡単に座れるわけがない、案の定立ったまま盛岡
   から仙台まで乗車するはめになった、「バスの座りごこちが悪い」などといっていたチョットがかなり昔のように思えてくる。結果、約半日
   かけて東京に着いた・・・
    今思うと1番怖いのは、その鬼の移動自体よりも、新幹線指定席料金等の返還を受けて「これで食費が助かる」と思ってた1人暮らし
   の学生根性ムキダシの自分自身だったのかもしれないね・・・(^^;