社会人’20age




テストの解答

    大学を卒業して最初についた仕事は塾の専任講師だった。毎日何人もの子供を相手にするわけだから色々なことが起こる。中に
   は大人には想像もつかないようなことまで起こるから、楽しい仕事だったと思う。
    これは模擬試験の時の話。試験は監督から採点まで自分たちで行い、しかも次の日には全員に答案を返却できるように準備する、
   かなり大変な作業である。いかに効率よく作業するかを追及していかないと夜遅くまでかかっても終わらないはめになる。だから試験
   の監督中も採点作業をしたりするのだ。それは理科の採点をしていた時だった。自分は数学の講師だったんで、他教科の採点は限
   られた部分だけ採点する。
    こういった試験をすると、絶対解ける側からは想像もつかない珍解答がよく出てくる。チョットやそっとのものでは動じないつもりでい
   たのだが、専門の数学ではなく、その限られた理科の採点で自分のツボにハマる解答がでてきた!植物の一部の名称を答える問題
   で、確か「胚珠」というのが正解だったと思うが、彼の解答には堂々と、大きく、平仮名で、
    「み」
   と書かれてあった。
    これにはかなりやられた・・・思わず吹き出しそうになり、教室から出て、落ちついたところで戻るのだが、また教室に入ると何故か再
   発してしまう。その生徒の顔を見ないようにするのだが、こうなってしまったらそんなことでは治まらない。吹き出しそうになっては教室を
   出る、何度かそれを繰り返すとさすがに生徒が何人かこちらを気にする。「問題を解いてろ」と言っても説得力は全くない・・・
    ま、精神力の弱さを痛感した事件だったナァ・・・(^^;



コンタクトレンズ

    大学3年生(だったと思うが)の時に、中学2年生以来のメガネ生活にピリオドをうって、コンタクトレンズをつけることにした。それから
   4年間になるが、ずっとソフトコンタクトレンズを愛用していた。
    使ってる人は分かると思うが、ソフトコンタクトレンズは注意しないと裏返しにつけてしまうことがある。間違えても特に違和感が無いの
   が余計にタチが悪い(最も具体的にどんな障害が出てくるのかは分かってないのだが)。だから、レンズの中には文字を印刷してあって、
   それによって表裏の区別をつけるものが多い。自分が今使っているものもまさしくそのタイプになる、使用し始めて約半年である。その
   半年間使っているコンタクトレンズについて、最近発見したことがある。
    先ほども言った通り、このレンズはそこに刻まれている文字によって表裏を判別する。半年間、自分は「M18S」という文字を頼りにして
   レンズをつけていた。何となく分かっていただけると思うが、「S」の字が判別の鍵となる。実際、他の字なんかは見ていなかった。しかし、
   半年たってある事実に気づいた。「S」の字の真ん中がよ〜〜〜・・・・・・く見ると、何やら1本の線ではないのだ。さらによく見るとその線
   は「JIS」と書かれている・・・半年間、自分はJISマークをSと見間違えていた・・・
    以来、このレンズの表裏判別は「1」で「○81M」を判別することにした。(○→JISマーク)



朝の状景

    そりゃ朝が弱い人間は起きてからしばらくはわけのわからん行動をとってしまうさ、携帯電話を忘れたり、トイレに行こうとして部屋のド
   アあけたり・・・こんなモン、何年も続けていれば多少のことじゃへこまないよ・・・
    でもネクタイをベルト穴に通そうとしているところを突っ込まれたときはへこんださ・・・・・・



悪夢’日勝峠〜由仁町

    もう1週間以上程前の話になるのだが、友人の引越しの手伝いの為に当別から帯広まで往復することになった。土曜日に帯広へ行き
   一泊し、日曜日に帰ることになっていたのだが、どうも帯広へ行く時からエンジンの調子が悪かった。「マ○ダの車は熱に弱い」という友
   人の説に納得し(実際、エンジンを休めたら回復していた)、特に自動車工場で点検することも無く札幌へ帰ることにした。今から思えば
   これが全ての元凶だったのだろう・・・
    帰りは当別組のトラックと札幌組の自分の車で分かれ、札幌組は当別組とは別に日勝峠を通って帰ることになった。そして悪夢は日
   勝峠に入ったあたりから始まった・・・まず、自分の車に昨日と同様の発作が始まった。アクセルを踏んでも全然応えない、というよりも
   むしろ減速して行く。ギアを落としてだましだまし進むのだが、上り坂になるともはや30km/hで走るのもままならない、しかもどんどん減
   速して行く。ところどころでパーキングやコンビニにとまりエンジンを冷やしながら進んで行ったのだが、とあるドライブインのような建物
   のあるパーキングに入ったところ、実はそのパーキング、建物はしまっていて(日曜だったからだろうか?)除雪も全然されていない状
   況だった。もはやエンジンにほとんど余力が残っていなかったため、案の定、脱出できなくなる。しかもエンストしたのちエンジンがかか
   らなくなる、しかもその日は相変わらずも吹雪で視界が最悪の状況は変わらない・・・どうしようもない絶望感にさらされている中、帯広
   で入った温泉から、何故か携帯に電話が入った、「西田様の名刺入れと免○が脱衣所に残っていました」・・・とどめをさすのに十分で
   あった・・・
    何とかエンジンをかけ、通りかかった大型の車に引っ張り出してもらい、日勝峠を昇りきり、慎重に札幌に向けて運転していた。正直、
   日勝峠を昇りきったとき、無事に帰れると思って安心していた。しかし、悪夢の1日はこんなことでは終わらなかった。札幌まであと40数
   kmの由仁町のコンビニ、ついにエンジンが全く動かなくなってしまった。苦難を乗り越えて「帰れる」という希望をいだいていただけにショ
   ックだった。やむなく、すでに家についていた当別の友人に来てもらい、札幌まで車を引っ張ってもらい、何とか家に着いたのだった。正
   午に帯広を出発し、札幌についてのは深夜の1:30、予定よりも7時間程遅い到着だった。
    事件より1週間でようやく笑い話にできるようになった事件であった・・・(^^;



1人焼肉バイキングを超えるオチ

    「1人焼肉バイキング」
    すごいでしょ!? これ見ただけでお腹一杯でしょ??? いや、いそうでなかなかいないって! 俺、今まで25年間生きてきた中で2回
   しか見たことないもん・・・でもね、俺が言いたいのはこれじゃないのよ・・・
    仕事を辞めて旭川から札幌へ、長い失業時代を続けていたころの話。同じく失業中で公務員試験のため勉強中だった友人と2人で
   焼肉の食べ放題バイキングに行った(失業中の2人の野郎で焼肉バイキング、てのもチョットツライような気がするが・・・)。見たのよ・・・
    トイレに行こうと思い、席を立ち店員さんに「手洗いどこ?」、指示された方向へ進む。そのときに、髪はボサボサ、黒ブチ眼鏡、Dr.マ
   シリト張りの細い目の男の1人焼肉バイキング。当然、そこには人を寄せ付けないオーラが漂う。でも、そんなオーラを1番強く発してい
   たのはその目でも容姿でもない、彼の「真っ赤な」Tシャツの背中にでかでかと「太字ゴシック体白」で書かれていた一言、
    「1980年紅白歌合戦」(この時1999年)
    「何故1人で焼肉バイキング?」「テレビ業界の方?それとも紅白フリーク?」・・・神様、俺、どこに突っ込めばイインですか・・・?



外人サン

    ICQサーフを始めてから色んなネット仲間ができた、今はサーフは全然やっていないのだが、このおかげでICQの登録人数は70人程度
   になった(もっとも、挨拶等含めて言葉を交わすのは20人いないぐらいだが・・・) そしてこの中の2割弱ぐらいは外人が占めている。アメリ
   カ・マレーシア・韓国・中国・トルコ・イギリス・・・挙げればキリはないのだが、これも同様にまともに話すのは数人である。まして、時差があ
   るため、生粋のテレホ族だったころならまだしも、社会人となって深夜2時ぐらいの夜更しが限界となっている今となってはすれ違うメンバ
   ーも決まりきっている。それでも、久々にすれ違った外人サンと話ができるときってのは何となく嬉しくなる。
    久々にあった外人サンも反応はまちまちで、互いをあまり覚えてなかったり、その逆だったり。ある日、何ヶ月かぶりにあったイギリスの
   男性は自分のことをよく覚えていてくれた。むしろ自分の方が記憶が不鮮明だったぐらいで・・・(^^;
    さて、何故数ヶ月もICQ上で彼を見なかったのか? 当初の定説通り「たまたま」見かけなかっただけだと思ってたのだが、どうやら半年
   以上の長い間世界中を旅行していたらしい・・・全くもってうらやましい限りである(;;) そんでもって世界中の色々な風景をファイルで送っ
   てくれた(チョット重かったが(^^;) そのお返しにと、自分は松前城が桜に囲まれている写真を送った、そして彼が返した言葉・・・
    「Is this your home ?」