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徳川が太閤を討ったと聞かされた時、一時思考が停止した

三成は、死んではいないだろうか
また動き出した頭で真っ先に考えたのはただそれだけだった

太閤を神の如く崇めていた三成
男娼になることもいとわなかった三成
太閤は三成の全てだった
何の比喩もなく、全てだったのだ
生きることに一つの執着も持たない三成の、唯一とも言える生きる意味だったのだ

降りしきる雨に不安が募る

己の頭を過った暗い影を打ち消すように、三成の元へと急いだ






「…三成」

太閤の体を抱き締めて項垂れる後ろ姿を見つめる
何と声をかければいいか分からなかった
うるさい程の雨音が、今だけは救いだった

「……三成」

雨に濡れた細い体
消えてしまいそうだと思った
名前を呼ぶことしか出来なかった
繋ぎ止めるように
微かな糸を手繰るように
繰り返し名前を呼んだ

「……刑部」

振り返ることなく三成がわれの名を口にする

「…私は、家康を許さないっ!」

震える肩
苦し気な声

「私は裏切りを、最も憎む!」

三成は徳川を認めていた
疎ましく思おうと、反発しようと、確かに認めていたのだ

その事実が余計に徳川を許せないのだろう

三成の大切な者を奪い、三成を傷付けた徳川が許せなかった
怒りと悔しさで体が震えた

三成を守ろうと誓ったのに、三成の心は残酷に切り裂かれたのだ

「殺してやるっ!殺してやるぞっ、家康ぅぅ―――!!」

激しく胸を締め付ける三成の慟哭
怨嗟の声はどこまでも哀しい

空っぽになった三成の、徳川へのその憎しみが生きる糧になるならばそれでいいと思った
生きていてさえくれればと、そう思った
傷付くばかりの三成に、一滴の涙を溢した

「…ぬしの願いを叶える為ならば、われも存分に力を奮おう。全ては義の為、ぬしの為よ」

嗚咽と怨嗟の声にまみれた三成の背に言葉を投げる

徳川を討つ為ならばどんなことでもしようと思った
三成の信頼を裏切った徳川を憎んだ

美しい三成
絶望のよく似合う男
三成を傷付けるばかりの世界など、滅べばいいと思った






太閤の葬儀はつつがなく終わった
哀しむ者
戸惑う者
憎む者
全てに等しく時は流れる

太閤が倒れた今、豊臣を維持するのは厳しかろう
たった一人の力で成り立っていたようなものだ

三成では太閤には足りない

三成は尽くす者だ
頂点を目指す心など微塵もない
有能な将だが、一軍を率いるには絶対的に必要なものが欠けているのだ
そんなことを思いながら、中庭に佇む三成に声をかける

「そのような所におらず中に入れ三成。風邪をひいても知らぬぞ」

「…刑部か」

ゆっくりと振り返り覇気の無い返事を返す
眠れていないのか深い隈をつくり、ふらふらとこちらに歩み寄る
青白い肌に以前よりも細くなった体
今の三成にはそのまま何処かへ行ってしまいそうな危うさがあった
縁側に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げる横顔は何を考えているか読めなかった

「やれ、三成。徳川を討つ為、まずどこを落とす?」

「どこでもいい。全て刑部に任せる。私は家康を殺せればそれでいい」

前だけを見つめる三成はまるで一振りの刃だ
太閤という鞘を無くし、ただ皆を傷付け、また己も傷付くばかりだ
われが三成の鞘に成れたならと、思わない訳がなかった

だが、死者には勝てぬ
死んでしまえばそれは思い出に変わり、いつまでも美しく色褪せないのだ

「…刑部、豊臣軍を去った者はどれ程だ?」

「なに、ほんの僅かよ」

「…貴様も去るのか?」

こちらを見ることもなく、感情の浮かばぬ顔で三成が呟く

「…貴様も、私を置いていくのか?」

太閤を失った喪失感は大きかっただろう
その言葉に三成の傷の深さを思った

「われがぬしの側を離れる訳がなかろう。以前にもそう言ったであろ?」

「…………」

「ぬしは何も案ずるな。われはいつでもぬしの側にある」

「…ああ」

安堵したように頷く三成に胸が痛んだ

徳川を憎むことで今の三成は成り立っている
己の全てをかけて徳川を殺すことだけを考えている
われにすら、すがるような言葉を紡ぐその心はどれ程に孤独だろう

憐れな三成
報われることの無い心
その哀しさが、絶望が、皮肉にもより一層美しさを際立たせる

「しばし眠れ三成よ。今からそのように張り詰めていては体がもたぬぞ」

「……起きるまで、側にいろ」

柱にもたれ掛かり目を閉じる三成は消えてしまいそうだった
糸が切れたように眠りに落ちた三成に上着を被せる

「泣くな、三成…」

白い頬を伝う涙に思わず手を伸ばしかける
触れる前に強く拳を握り締め手をおろした

「泣くな…」

触れてはいけない
温もりも優しさも、今の三成には必用無い
徳川を憎む心だけでいいのだ
ただ太閤の無念を晴らすことだけを考えていればいいのだ
今にも途切れそうな細い綱を渡るように生きている
せめて一人にならぬよう、これ以上傷付くことの無いよう、側にあればいいだけだ
三成の静かな寝息を聞きながら己の無力さを嘆いた






「…ん、刑部」

「よく眠れたか?」

掠れた呼び声に振り返る

「水でも飲むか?」

小さく頷く三成に湯飲みを差し出す
微かに触れた指先が熱かった
長い時間縁側に出ていたせいか、己が思うよりも体は冷えきっていたようだ

「…刑部、私は秀吉様の無念を晴らす。この命にかえても、家康を殺す!」

苦しさを吐き出すような声に空気が震える

「微力ながら、われも力を尽くそう」

「私は、刑部を選ばない。それでも…」

「三成、われはぬしの側にある。何があろうとそれは変わらぬ」

「………ああ」

己の幸福などいらない
だからどうか、三成がまた笑えるようにと願う
清く、無垢な三成に、これ以上の悲しみがないようにと祈る
こんなにも優しい者が、なぜ傷付かなくてはならぬのだ

愛しい三成

いっそその手を取って逃げ出したかった
だが逃げた先に何があるというのか
この憎しみの炎が消えたら、三成はどうなってしまうのか
先のことなど考えたくなかった
ただ三成が望む通りにしようと思った
三成が生きていてさえくれればそれで良かった

太閤はもう居ないのだ
われなどが三成の傷を癒せるとは思えなかった

「私は家康を殺す為なら修羅にもなろう。…刑部、死ぬことは許さない。決して私を裏切るな」

「…御意」

どこまでも優しい三成が憐れだった

三成の為になるのならば、この命などなげうっても構わない
だからどうか、また三成が笑えるようにと願う
今はただそれだけが全てだった






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