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「三成」

まどろみの中で刑部の声をぼんやりと聞いていた

「やれ、起きろ三成」

秀吉様はどこだろう、半兵衛様も見当たらない

「徳川に攻め入るのであろ」

意識が覚醒する
そうだ、秀吉様は家康に討たれたのだ
あの雨の中、秀吉様の体が冷えていくのをはっきりとこの腕が覚えている

「刑部、私はどれ程眠っていた」

「なに、一刻ばかりだ」

軽く頭を振り刑部を見る

「太閤の夢でも見やったか」

薄く笑う刑部を睨み付けるとさもおかしそうにひきつった笑い声を上げた

「ぬしが幸せそうな顔をしておったのでな。そう怒るな。怒りは徳川の為にとっておけ」

家康

そうだ、私は奴を殺す為に生きているのだ
奴が秀吉様の天下を奪ったのだ

「刑部、私は早く家康を刻みたい。首尾は整ったのか」

「良い駒が揃い踏みよ。ようやくぬしの願いが叶う時が来たわ」

「そうか」

私の主は秀吉様ただ一人だ
秀吉様の治める天下以外あっていい筈がない

「三成、ぬしの心は太閤を求め、ぬしの怒りは徳川を見やる。われはぬしの降らせる不幸が見たい。だが徳川を討った後、ぬしはどうする」

「…」

ずっと目を背けていた
ただ家康を刻みたい
それだけを糧に秀吉様亡き後を生きてきたのだ
秀吉様の居なくなった心の穴は埋まらない
空しさだけが募るばかりだ

「…時間だ。行くぞ、刑部」

「御意に。…ああ、先のぬしの夢にわれはおったか、三成よ」

「…聞いてどうする」

「いやなに、ただの戯れ言よ。すまぬな、手間を取らせた」

静かに目を閉じた刑部から目を反らし、進むべき道だけを見た






風の強い戦場は心が落ち着く
ただ家康を殺す瞬間だけを思っていられる

「刑部、貴様と笑い合う未来を願ったこともあった。だがそれは秀吉様あってこその願いだ。今、それを願えば私はここに立っていられない」

真っ直ぐに前だけを見据え振り返らずに言葉を紡ぐ

「…三成よ、われはぬしの糧には成れなんだか」

刑部の乾いた笑い声が響く

秀吉様が居て、半兵衛様が居て、家康が居て、刑部が居た
遠い昔の様に感じるけれど、穏やかな時は確かにあったのだ

だからこそ秀吉様の天下の安泰以外を願ったのだ
自らの幸福を、笑い合える未来を

「いやすまぬ、今日は軽口ばかりが口をつく」

溜息混じりにそう言われ、穏やかだった過去を振り払う

家康を討つと決めた時に誓ったのだ
この手を取らぬと、私の未来などいらぬと
目を閉じ愛刀を構える

「行くぞ、刑部。早く家康を刻みたい」

「ヒヒッ、ぬしの降らす不幸が楽しみだ」

ひきつった刑部の笑いを背に一歩を踏み出す

「死ぬことは許さない」

「御意に」

ただ家康を討つことだけを考える
秀吉様の無念を晴らす為だけに



いつも側にあった
秀吉様を思っていた頃も
もがき苦しんだ時も
前を向き、秀吉様の力になろうと決めた時も

同じ思いで手を取ろうした瞬間は確かにあった
私は刑部を選ばない
それでも側にあった

ならば、貴様の望む不幸を降らせたい
感謝と贖罪だと言えば笑うのだろうか
全てが終われば、また笑い合うことが許されるのだろうか



戦場の風に血の匂いが混ざる
土埃と火薬の匂いがする
徳川の旗に集った者を憎んだ

「家康」

いくら斬っても届かない

「家康」

両の手を赤く染めても家康にはまだ足りない

「家康ー!!」

秀吉様は帰らない
初めから解りきっていたことだ

「貴様を、殺す!」

強い眼差しの家康を睨み付ける

「それでは駄目なんだ三成!」

「貴様が私に言えた義理かぁっ!」

重い拳を弾き返し喉元に迫る

「お前はもう忘れてしまっただろう。儂とお前、共に豊臣の軍にいた頃を」

「黙れっ!私の絆を奪っておいて何を言う!」

家康の悲しそうな顔が見える

喉元から吹き出す血が辺りを染める

「願わくば、ワシの代わりに導いてくれ。長い、穏やかな世に…」

ゆっくりと目を閉じる顔は穏やかだった

風は凪ぎ、戦場の声は遠い

「刑部、私は貴様の望む不幸を降らせられたか?」

家康の血に濡れた私を見て一体何と言うだろう
全てが終わった筈なのに、胸の穴は広がるばかりだ

「三成っ!」

衝撃が走る

突き飛ばされたと理解した時にはすでに手遅れだった

「っ、刑部?」

最期の力を出しきり沈黙する本田忠勝の武器が、刑部の胸を貫いていた

「刑部っ!」

駆け寄り力なく垂れ下がる腕を掴む
これはなんだ
なぜ刑部が倒れている

「刑部!」

うっすらと開いた目が私を捉え僅かに口元が動いたが、声にならずにつぐまれる

「いくな…」

ゆっくりと閉じていく瞼に掠れた声をかける
いつもの軽口はどこへいった
ひきつった笑い声は

「刑部」

静かに目を閉じるこの男は誰だ
死ぬなと言った言葉に了と言ったではないか

「私の元から去るな―――!」

まだ温かい身体からは赤黒い血が流れ出ている

「何故だ…」

刑部の死に顔はうっすらと笑っている様に見えた

「一体私が何をした…」

家康を討った
全て終わったと思った
家康の懐刀のこと等考えもしなかった
戦国最強と呼ばれた男

憎い
幾千に刻んでも足りないほどに
だがもう、全ては終わってしまった
刑部の命と引き換えに、本田忠勝はもう居ない

「何故私から全て奪う…」

少しずつ冷たくなっていく刑部の身体を抱き締める
温もりが逃げないように強く強く胸に抱く

「刑部…」

一度でも、生きている内にこうしたかった

「刑部…」

生きていれば、また笑い合える日が来るかもしれないと思った

「刑部…」

死ぬのは私だった筈だ

「…」

秀吉様が亡くなった時よりも、胸の穴は暗く大きい

声に成らない嗚咽を上げ、より一層強く抱き締める
抱き締め返すことのない身体は木偶の様にダラリとして、思い出の中の刑部さえ掻き消そうとする

何故私を庇った

全てに不幸をと願っていただろう

最期に何を言おうとした

私は貴様の望む不幸を降らせられたか

一つも言葉にならない声で呼び掛ける
答える言葉もここにはなく、冷えた戦場の風が温度を奪っていくばかりだ



気付けば辺りは闇に飲まれ、人の声は消えていた
涙すらも枯れ果て、掠れた声を上げる

「刑部、私は…」

敵も味方も誰が生き残ったか等に興味はなかった
刑部も家康も死んだのだ
他に誰が生き残ろうと、私にとって何も変わりはしない

「もしかしたらと…」

全ては終わったことだ
悔やんでも憎んでもどうしようもないことだ

「また、昔の様にっ…」

刑部の身体は冷たく、まるで人形にでも成ってしまったかの様だった
それでも、共に秀吉様に仕え、戦場を駆け、暖かな日溜まりの庭で語らい、月を眺め酒を煽った筈の刑部なのだ
穏やかな心で時間を共にした、刑部なのだ

「死ぬことは許さないと言った筈だ…」

秀吉様も死に、家康も死に、刑部も死んだ
私の未来など潰えたのだ
皆、もう居ないのだ

「刑部」

何の理由もなくなった
ならば、自分の好きにしようと思った

「…」

願ったものとは違うけれど、願った心は一緒だ

「…感謝、している」

選ばないと伝えても側に居てくれた

どんなに泣き叫びたかったか知らないだろう
私を強く望んでくれたら全てを投げうって逃げてもいいと、思ったことさえあったのだ

「すまなかった」

乾いた血糊が張り付く愛刀を見つめる
共に幾らの戦場を駆けただろう

(その刀は主の様だな。どこまでも真っ直ぐに、穢れを知らぬ。どれ程血に濡れようと美しいままだ)

私がまだ秀吉様を思っていた頃、刑部が穏やかな顔でそう言った
過ぎ去った遠い過去なのに、こんなにも鮮明に覚えている

「…共に居よう、刑部」

刀に写った自分はうっすらと笑っていた

胸に鋭く刺さる痛み

流れ出る自分の血は温かかった

朦朧とする意識の中で刑部の手を取る

「…ずっと、好いていた」

ふわふわとまどろみの中に居るようで、瞼を開けていられない
それでも、最期まで刑部の顔を見ていられたからいいと思った

とても、幸せな気分だ
もはや何の悔いもない

「刑部…」

抗えぬままに目を閉じる
遠くで風の音が聞こえた気がした






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