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三成は穏やかになった
兵の調練の時や軍議の時は今までと変わり無く厳しいままだが、太閤や徳川そしてわれと言葉を交わす時に僅かに目元が弛む様になった
慈しむ様なそれは温かさを持っていた

「刑部、時間があるなら城下の桜でも見に行かないか」

二人で茶を飲む時間が近頃では日課になりつつある

「ああ、暖かくなってきおったゆえ、きっと今頃は見頃になっておろうな」

緩やかに流れる時を感じながらそう言えば、三成は空を見上げて息を吐いた

「もうじき満月になる頃だ。夜桜というのも良いかもしれないな」

「ヒヒッ、酒でも持ち行ってみるか。やれ、ぬしも情緒というものが解っておるな」

ニヤリと笑い三成を見やれば、愉しそうに遠くを見ていた

「まだ夜分には冷え込む。きちんと着込んで行かねばなァ」

「そうだな」

三成から何かをしようと言われるのは初めてだった
茶や酒に誘うのは常にわれであったゆえ、その申し出に心が弾んだ
祭りにでも行く幼子のように、早く夜が来いと思った

「では辰の刻当たりに酒を持って行く。準備しておけ」

「御意に」

はやる気持ちを胸に三成を見やれば、三成も嬉しそうな顔をしているのが解り余計に胸が高鳴った






表通りの飲み屋からは灯りが漏れ、大きな笑い声と喧騒が聞こえる
裏路地にでも入ればそこは暗闇なのに、表はどこまでも騒がしかった

「春の陽気に皆浮かれておるわ」

「冬も終わり、戦も無い。仕方の無いことだ」

「そうよなァ。そのお陰でわれらも花見をする暇があるというもの」

他愛ない話をしながら歩いているだけなのに、胸の高鳴りは止むことを知らず、心がふわふわと浮いている様な気がした
優しげな目をする三成を見ていると改めて己の思いを自覚する

三成が笑むとわれの心も安らぎ、悲しげな顔をしていれば胸が締め付けられる
われの中で三成はこんなにも大きい
こんな己でも誰かを想えることが嬉しかった
三成に出会えて良かったと心から思った







城下の外れに咲く桜の下に腰を下ろす

「覚えているか、昨年私を連れてきただろう」

「応。ぬしもここが気に入ったか?」

「ああ、貴様が教えてくれた場所だからな」

何気無い言葉に高鳴る心を抑えつつ盃を交わす

「今宵は良い風が吹く」

桜を背にする三成に魅せられる
何故この男はこんなにも美しいのかと思った

「やれ、星も輝いておるわ」

「ああ、まだ満月では無いのに今夜はとても明るいな」

「いやなに、夜桜が映える。愉快愉快、ヒヒッ」

ひきつった笑い声を上げれば三成がこちらを見た
言葉は無く、ただ柔らかな表情でじっと見つめられた

柔らかく緩んだ瞳
さらさらと風に流れる髪
闇夜に白く浮かび上がる肌

「刑部」

艶やかな唇がわれの名を呼ぶのをぼんやりとしながら聞いた

全てが夢のようだった

今こうして二人で桜を見ながら酒を飲み交わすことが、あまりにも幸福すぎて信じられなくなる
恋慕する相手に見つめられるなど今までに一度たりとも無かったことだ
蔑み、憐れみ、嫌悪の目にしか晒されたことは無かった

「貴様と居るのは悪くないな」

三成が目を伏せて笑う

「…われもよ。ぬしとおるのは悪くない」

この時間と引き換えに死ぬことになっても悔いはないと思った
三成は世辞も嘘も言えない男だ
われが一番よく知っている
だからこそ、その言葉が本心であることは容易に理解出来た
三成の言葉が、行動が、存在全てが甘く胸を締め付ける
苦しいのとも悲しいのとも違う、胸を内から掻かれる様なむず痒さと切なく息が詰まる感覚があった
想う心が違っていても、われの側は悪くないと言う
安心しきった顔で笑う
われが己の内で三成への劣情を募らせていることも知らずに、無防備に酒を煽り無垢な心を晒す
三成の全てが愛しかった

「三成よ、ぬしは美しいな」

「…酔っているのか?」

「これしきでわれが酔うものか。やれ、業病を患う者にも隔てなき変わり者め」

「刑部は刑部だ」

「…そのようなことを言ってくれるぬしの心が美しいと言っているのだ」

「刑部、貴様が言ったことだ。私は私だと、言ってくれただろう」

「…そうであったな」

冷たい風は止むことが無く吹いているのに、内から温かさが滲んだ
その温かさが滲むのが、心なのか体なのか解らなかった






ゆっくりと盃を重ねる度に、次第に頭が蕩けてくる
ふわふわと心地好い感覚の中で、三成を見つめた

赤く染まった頬に据わった目
二人とも酔っているわとぼんやりと思った

「…秀吉様のお心はどうしたら晴れるのだろうな」

一刻ばかり経った頃に三成が一人言の様に呟いた
悲しさも寂しさも無い顔で、ただ心から案じているだけだった

「時折苦しそうな顔をなさるのだ。…私では力になれない」

「…そうよなァ。太閤が自らの心に折り合いをつけねばならぬことよ」

己の胸の痛みに目を伏せる

三成が誰を想おうと関係無いと決めたのに、痛む心に己の小ささを知った

「私には刑部が居てくれた。だから私は生きていられる。では、秀吉様はどうしたらいい?大切な者を失ってなお、生きるにはどうしたら…」

三成の言葉に呆けていると、包帯に涙が吸い込まれたのが分かった
胸が苦しく、目頭が熱い

己は泣いているのか、と痺れた頭で思った

痛む喉からゆっくりと息を吐き、不自然にならぬ様に横を向き涙を隠した



われがおったゆえ生きていられると言う
太閤を案じながら、その自身があるのはわれが居たからだと言ってくれる
堪えきれないものがあった

声を押し殺さなければみっともなく嗚咽をあげていただろう
声を思いを噛み締めて泣いた
三成への思いが募った

何か言わねばと思いながら、今言葉を発したら嗚咽を堪えきれないと、何も言えなかった

「秀吉様のお側にも、私にとっての刑部のような者がいれば、きっとお心も安らぐだろうに…」

三成はわれの欲していた言葉をくれる
過去の、消し去った筈の己の、願い続けて叶わずにいつの頃からか怨嗟に替わったそれを
聞きたくもないと嘲笑したその言葉を
大切な者へと送られる心からの言葉を
今更だ

だが、確かに心に響く

忘れた筈の願いを、この男は叶えてくれたのだ
われは、三成にとっての大切な者になれたのだ
何よりの幸福だ

皆に不幸を願う裏の心
欲しても手に入らずに呪ったもの
今この時われの心は、過去の己は、三成の言葉に救われたのだ

「…それは、太閤にしか決められぬ。だが三成よ、ぬしのその想いは確かに太閤の糧になろうて」

「…刑部、泣いているのか?」

「いやなに、ぬしの太閤を想う心に涙腺が弛んだのよ。太閤は良い部下を持ったものよな」

「…私は良い部下ではない。秀吉様を案じているが、今は刑部の涙に胸が痛む。なぜ泣く?」

「先に申した通りよ」

「ではなぜ私を見ない」

「…涙を見られるなど、われにも恥はある」

「刑部」

三成の瞳が真っ直ぐにわれを射抜く

「私は刑部の側に居る。刑部が何を思おうと関係無い。側に居る」

強く胸に響く
沈めた思いが揺さぶられる

「…われ相手にそのようなことを言うでないわ。ぬしの優しさは全て太閤に向ければ良い」

「言ったはずだ、貴様が何を思おうと関係無いと。…秀吉様を確かに気にかけるが、それ以上に刑部が気にかかるのだ」

揺らがぬ瞳で、確かな声で、この男は今何を言った
太閤よりもわれを気にかけるなどと、戯れ言にしても酷すぎる
仮にそれが本心だとしたなら、それこそわれは一体どうすればいいというのだ

太閤を深く恋慕し、神の如く崇め、男娼になることもいとわなかった三成が、われなどを太閤よりも気にかけるとは
抱き合うことも許されぬ体で、皆に疎まれることしかないわれなどを一番だと言うのか

何度も何度も想像した
三成の肌に触れることを
われを見つめ潤む瞳を
手と手をとり笑い合う未来を
他を思う三成に胸を痛めながら、己との幸福な未来を描いた

三成がわれを見ることなど有り得ないと思っていた
叶わない夢物語と解りきっていたからこそ、安心していられた

「…われは良き友を持ったものよな」

三成は自らの想いに気付いているのだろうか
そしてわれの想いには

無自覚なら良い
気付く前に去ればいい

だがもし気付いていたら、われの言葉は深く三成を傷付けるだろう
しかし、われと笑い合える未来など有り得はしないのだ

三成はもっと幸せにならねばならぬのだ

「刑部は私を救ってくれた。気付いていないかもしれないが、私は確かに救われたのだ。ならば、友として、私も刑部の力になりたいのだ」

泣き出しそうな顔に、目を伏せる

本当に嘘のつけぬ男だと思った
苦し気に、震える声で友と呼ぶ
涙の溜まった瞳、しかめられた眉、それでも泣くまいと堪えられた唇
そんな顔をされたら、誤魔化せなくなってしまう
なりふり構わず抱き締めてしまいたい
全て暴いて、晒して、ずっと二人だけで過ごせたら

「三成、ぬしはわれの唯一よ。それだけは死ぬまで違えることはない…」

涙で歪んだ視界でも、三成だけははっきりと分かる
涙の溜まった瞳も、驚いたような表情も、その後の花が咲く様な柔らかな笑みまでも

「…刑部」

確かに繋がったと思った
触れ合うことがなくとも、こんなにも心が満たされることを知った

「私は…」

「三成よ、もうそろそろ戻るとしよ」

三成の言葉を遮り立ち上がる

「何も言わずとも良い…。何があろうとわれはぬしの側に居る。それだけのことよ」

はっきりと言葉にされてしまえばわれは三成の手を取るほか無くなってしまう
われの不幸に三成を巻き込みたくは無かった

もうしばらくだけでも、このままで居たかった

先の短いわれよりも、共に長い時間を過ごすことの出来る者と、温かい生涯を送って欲しい
われには三成を幸福にすることは出来ぬ
三成の長い生涯には付き合えぬのだ

だからどうかもうしばらくの猶予を
三成が早に心変わりをすることを願う

われは友だと心から思える日が来るようにと切に思った






帰る道のりは長く感じられた
冷たい風が吹き抜ける中、ただ黙って歩いた

三成がわれを望んでくれたという歓喜と、巻き込めぬという躊躇い
己の内の葛藤
昨年は己と笑い合える未来を夢見た筈のこの道で、今はただ三成の幸福を願うばかりだった
われとではない健やかな未来を
長い時間を共に歩んで行ける相手と温かな生涯を
どうか、三成の未来が明るいものであれと


さらさらと風に靡く銀糸の髪
闇夜に映える白磁の肌
頼り無く折れてしまいそうな華奢な体
純真無垢なその魂
愛しい愛しい三成
唯一無二の宝だ

優しさを、言葉を、心をくれた
友であり、恋情を抱く相手でもある
この身が塵と消えようと、最期の一瞬までも三成を想うのだろう

大切な大切な三成
どうか三成が傷付くことの無いように心を砕こう
まだまだ長い時を生きる三成
その未来に、どうか幸多からんことを


春の香りのする風に涙が飛ばされる

「刑部、私は良き友を持った」

「…われもよ」

振り返り、優しげに笑う三成に笑い返す

優しい友に、傷付くばかりの焦がれる者に、精一杯の優しさを贈りたい
われがされたように、その心を温めたい
あくまでも友である為に
三成の幸せの為に
己に出来ることならば何だってしよう

「…好いている、三成」

己にも聞き取れない程のささやきは、やはり届くことは無く、大阪の闇に吸い込まれ消えた

表通りからは明るい笑い声が響いていた






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