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「三成よ、修練を終えたら暫しわれに付きおうてくれ」

刀を下げたまま訝しげな顔をする三成を連れて城下の外れに向かう
強い風の中、遅咲きの桜が丁度散っていく所だった

「見事なものだな」

目を細め桜に見入る三成に声を掛ける

「城の桜も良いが、こういったものも風情があろ」

適当な岩に腰を降ろし、風に散る桜を眺める

「ああ、確かに美しいな」

穏やかな気配を纏い桜を見やる三成は美しい

あの夏の日の、太閤との交わいを目にして尚そう思った
あの日から、毎晩の様に惨めな己を呪って泣いた
太閤を憎み、心の底から怨嗟を紡いだ

木の葉が色付く季節を、寒さに凍える季節を跨いでも消えない己の思いをいつしか受け入れた
戯れ言だとどれ程頭で思おうと、心までは偽れないことを知った

夜が来る度乱れる三成が浮かび身悶えた
己が太閤であったならと何度も何度もそう思った
新雪の様な肌に触れ、金緑色の瞳がわれを見つめ潤む姿を考えた

「三成、われは何があろうとぬしの側にあろう。いやなに、ぬしはきっと極上の不幸を降らせてくれようて」

「全てに不幸を降らせたい、だったか。そんなものはどうでもいいが、その言葉を違えるなよ」

「ヒヒッ、元より承知の上よ」

三成が満ち足りる為に太閤は無くてはならないものだと、醜く浅ましい心でやっと気付いた時に、太閤への怨嗟を紡ぐのを止めた
こんな身体で恋だの愛だのというのがそもそもの間違いなのだ
元より誰とも抱き合うことなど出来る筈もないと解っていたではないか
ならば三成の信頼に応えようと思った

「信用している。刑部」

せめて側にあり、報われない三成にこの命を捧げよう
笑い合える未来など初めからありはしないのだ
ならばこの時間だけで上出来だ
言葉を、笑みを、穏やかな時をくれた
われが命を賭ける理由としては、十分過ぎる程に満たされたのだ
毎夜毎夜太閤と共に居ることを考えただけで胸を掻きむしりたくなるが、それで三成が満たされるならそれでいいと思えるのだ

無垢な三成
穢れを知らない真白き男
どれ程太閤と交わろうと、いくら戦場で血に濡れようと、どこまでも清廉な魂
われの内の唯一の者

「その刀はぬしの様だな。どこまでも真っ直ぐに、穢れを知らぬ。どれ程血に濡れようと美しいままだ」

帰る道すがら前を歩く三成に声を掛ける

「誉めたつもりか?」

くつくつと笑い三成を見やれば満更でもなさそうな顔で薄く笑んでいた
それが泣き出したい程に胸に沁みた






泥酔した三成が訪ねてきたのはその年の夏も終わる頃だった

「やれ、どうした三成」

「半兵衛様はもう永くはない。秀吉様は残された時を共に過ごされるそうだ。ははは、私はもう用済みだ…」

きつく着物の袖を握りしめ、項垂れる三成は幼子の様だった

部屋の中に招き入れ座らせる
さしたる抵抗もなく、ふにゃりと踞った三成に浅ましい喜悦と深い悲しみを覚えた

三成の不幸に胸を痛めながら、太閤との交わりがなくなることを嬉しく思った
どれ程三成の幸福を祈ろうと、己の幸福もまた祈ってしまうのだ
そのことに背徳と罪悪を覚えたが、やはり己の心の偽りかたをわれは知らなんだままだった

「初めから分かっていたんだ、私では半兵衛様の代わりにはなれないことくらい」

ぼんやりと一人言の様に話す三成は苦しそうに眉を寄せ、震える息を吐いた
太閤との交わいの中で見せたそれと重なり、三成からも己の不埒な感情からも目を伏せた

「それでも良いと割り切った筈だったのだ…」

こんなにも太閤を思い、全てを捧げる三成を哀れに思った
同時に、己もそう変わらないと心の中で自嘲した

「人は誰かの代わりにはなれぬぞ」

われが太閤になれぬ様に、三成もまた然り
心の中で思った言葉を発すれば、それは鋭く己の胸に刺さる

「黙れっ!そんなことは、私が、誰よりよく解っている…」

歯を食い縛り、肩を震わせ、静かな部屋に三成の慟哭が響く

「だがな、三成。ぬしは他になれぬが、ぬしの代わりもまたおらぬのだ」

己にとって唯一の者が苦しむ事がこんなにも胸を抉る痛みだとは知らなかった

「われにとってぬしはぬしよ、三成。ぬしの代わり等おらぬわ」

友愛と信頼の裏に邪な思いをひた隠し、それでも尚慰めの言葉を掛ける

「私は、それでも私は秀吉様に、そう言って貰いたかった…」

己の中の暗い森が育つ
幼き頃より育った森は、三成を得て一層暗く深く大きくなる

全てに不幸を願いつつ、三成を思う矛盾に目を瞑ってきた

どちらも真なのだ
われには己の心すらも意のまますることが出来ないでいる

「刑部、浅慮な私を笑うか」

「否」

「全てに不幸を降らせたいと言っていただろう」

「…応」

「刑部、私はあの方の手で殺されたかった…。初めから、先などないと知っていたんだ。ならば、せめて…」

三成の頬を涙が伝う
愛しい者の手にかかりたいと言う三成に心が千切れそうになる
嗚咽を上げることも、涙を拭うこともせずに目を閉じる姿は、神々しくも絶望的だった

「…そのようなことを口にするな。ぬしは太閤の唯一にはなれなんだが、太閤の信頼を今一番に受けているのは紛れもなくぬしよ」

三成の嘆き、苦しむ姿にこの身が砕けそうに痛むのに、今まで見やったどの姿より美しいと感じていた

三成は残酷なまでに不幸がよく似合う
何よりも誰よりも、三成の美しさを際立たせる

「三成、そう泣くでない。どうすれば良いか分からぬわ」

笑って欲しい等と、よもや己が他に対して思うことは有り得ないと思っていた
絶望に打ちひしがれる姿より、幸福に笑む姿を望む等と

「やれ、三成よ。われは不幸を降らせたい。だがな、ぬしが苦しむさまは喜べぬのだ。唯一われを嫌うことをせず、尚かつわれを信ずる等と、そのようなことを言う変わり者よ」

うっすらと開かれた金緑色の瞳にわれが映る

「われにとってぬしの代わりはおらぬのだ、三成よ。不器用で偏屈なわが友よ」

好いていると、そう言って抱き締められたならどんなに良かったろう
だがわれが望むは己の幸福よりも三成の笑みなのだ
長い長い間願い続けた、全てに等しい不幸と同じ程に、三成の幸福を願うのだ

「好きなだけ泣き、また初めからやり直せばよかろうに。ぬしと太閤にはこれから先幾らでも時はある。太閤はぬしを嫌ってはおらぬ。それだけは事実よ」

口にしたくない言葉を並べ立て、僅かにでも三成の光りとなれと思う
その為ならいくらでも己が傷付くことはいとわなかった
三成を労る己の言葉にいくら胸を抉られ様とかまわなかった

ワナワナと口元を震わせ、眉を寄せ、きつく目を閉じ、手を固く握り、堰を切ったように激しく泣く三成と心の内で共に泣いた

儘ならない己でも、三成が笑む為の道具になれば良いと思った
真も偽りも織り交ぜて、三成の為に言葉を尽くそう
せめてただ側で、笑む三成を見やれるならばそれで良い

美しいものに囲まれて、同じ思いを交わした者と笑い合い、いつまでも日溜まりの中にあって欲しい
それが己でなくとも、三成が笑むならばそれで良いのだ

それでも、叶うならば三成の降らせる不幸が見たい
願う心は等しく、どちらの真も宙ぶらりんだ

咽び泣く三成に触れることは叶わない
どこまでも穢れない三成はどうにもわれには眩すぎる
報われない己の感情等、三成の前では塵に等しい
ただ言葉を交わせるだけで心は晴れ渡り、柔らかな光が差すのだ

三成は今まで知り得なかったものをわれに与えた
どれ程他に不幸を望もうと、それが三成に手を伸ばすことを恐れる
ならば絶望が三成の首を締め上げる前に、いつも側で見守ろうと決めた
三成が死ぬことが無い様に、ただそれだけは起こり得ぬ様に
もしも己と三成が笑い合える未来があったなら、不幸を降らせたい等と思うことを止めても良いとさえ思えるのだ

われの全てを懸けて三成を守りたいと思った
清廉潔白なこの男はわれ以上に何も持ってはいないのだ

絶望の淵に立つ三成にどうか健やかな未来を願う

「われはなん時もぬしの側にあろう、三成」

例え報われることが有らずとも、それだけは違えることのない真実であれ






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