犬と私の一つの約束 3











北条に忍が戻ったと聞いたのは
小太郎が大阪を去ってから間もなくだった

出来ればうちに引き入れたかったんだけどね、と
困ったように半兵衛様が笑っていた

俸禄を渋って忍に逃げられるとはなァ、愉快愉快、と
形部も引きつった笑い声を上げていた

理解出来ずに形部に訊ねれば、
一月程前から風魔小太郎は行方が知れなかったのだと言われた

その言葉に愕然とした

小太郎の言葉が嘘では無かったと、
あまりにもひどい仕打ちをしたと、
後悔ばかりが押し寄せた




「小太郎…」

冷たい風の吹き抜ける川辺は人一人居ない
冷たさに身を竦ませぼんやりとたたずむ

小太郎が去ってからもう二月が経つ

今更名を呼んだところで姿を見せる訳が無い
それ位分かっていたが、やりきれなかった

一言だけでもいいから、謝りたかった

許されることでは無いかもしれないが、
それでも伝えたかった

「小太郎」

呼べばいつでも駆け寄ってきた
嬉しそうに尾を振り、大人しく足元に座っていた

その小太郎を追い出したのは自分だ
どれ程後悔でこの胸が痛もうが、
苦しさに押しつぶされそうになろうが、
自業自得だ

小太郎が北条に戻った後も、
北条がどこかと結託して豊臣を攻めたり、
豊臣の情報が漏れているということも無かった

共に居たのはたった一月だ
それでも、かけがえの無い時間だった

小太郎を信じてやれなかった自分を切り刻んでしまいたかった

それでもそれが出来ないのは、
秀吉様に、半兵衛様に、
御恩を返す為だ

その為に生きてきた私に、
死ぬ権利などありはしない

自分の身勝手から死の許可を貰えるほど、甘くは無い

生きて尽くす
今はそれだけを考えればいい

それでもふとした瞬間に小太郎を思い出す

文机に向かっている時に
湯に浸かっている時に
布団に入った時に
小太郎との温かな時を思い出す

自分の心が自分の物ではなくなってしまったようだった

「小太郎…」

自分の声があまりに切なく聞こえ口をつぐむ
一人きりのこの場所は
嫌でも別れを思い出していけない

唇を噛み締めて堪えたが
堪えきれずに涙が一つ頬を伝った

その時、強い風が吹き黒い羽が舞い降り
風魔小太郎が現れた

「っ、こた」

頬に触れた小太郎の手に涙を拭われる
懐かしさが、後悔が渦巻いて、言葉が出ない

止まらない涙を何度も拭いながら小太郎が首を振る
悲しそうに口を歪め、
優しく優しく頬に触れる

「すまないっ」

その手を掴み、頭を下げる

許されなくても、殺されてもいい
ただそれだけを伝えたかった

ぽんぽんと手を叩かれ、
手のひらを差し出す

《なかないで》

顔を上げれば困ったように首を傾げた小太郎に頬を撫でられる

《わらって》

手本でも見せるように口角を上げ、
包み込むように笑う

止まりかけた涙がまた溢れた

「すまないっ、すまない」

ぐしゃぐしゃに顔を歪め、
小太郎の手を握り締める

伝わる温度に夢でも幻でも無いと分かる

もう一度会えたことが、
触れてくれたことが、
笑ってくれたことが、
どうしようもなく嬉しかった

「小太郎っ」

なだめるように背中を撫でる手が、
懐かしい小太郎の匂いが、
優しすぎて涙が止まらない

「っ!」

頬に湿った生暖かい感触が当たり
驚きで涙が止まる

小太郎の顔が目の前にある

頬を舐められたのだと気付き呆然とした

「こた…」

《なきやんだ》

嬉しそうに頬を緩める姿に
犬の時にもされたなと思い出した

心配そうに周りをくるくると回っては
耳も尻尾も垂れ下がり、
困ったように覗き込む
そうして頬を舐め上げるのだ

《よかった》

心底安堵したような小太郎を抱きしめる

久しぶりに抱きしめたのは犬では無く、
初めて抱きしめる風魔小太郎だった

それでも何も変わらない香りが、
ぬくったい温度が、
大人しくなすがままの小太郎が
何も変わらないと笑ってしまった






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