二人ぼっち
5
鳥の声で目が覚めた
辺りを見ればまだ薄暗く、まだ誰も起きていないであろうことが容易に分かる
隣に三成の寝顔がありひどく驚いたが、昨夜三成の部屋でそのまま眠ってしまったのを思い出し、
ため息混じりに苦笑しながら頭を掻いた
「おはよう、三成」
さらさらとした髪を撫でてやれば、その目尻に涙が光るのが見え、息を飲んだ
「…泣かないでくれよ」
白い頬に手を添え、その涙を指先で拭う
今までもワシが気付かないだけで、三成はこうして涙していたのだろうかと思うと、
どうしようもないやるせなさがじわじわと胸を締め付けた
初めて三成の涙を見たのは交わった時
快感に身を委ね、嬌声を上げながら、好きだと言って涙を零した
喜びと、幸せが溢れた
次に三成の涙を見たのは秀吉公を討った後
悲しみと憎しみを宿した瞳で、悲痛な怨嗟の声を上げ、殺してやると涙を零した
苦しさと、悲しさが溢れた
最後に三成の涙を見たのが今
眠ったまま、キラキラと光る涙を零した
もどかしさと、やるせなさが溢れた
「ワシには、何でお前が泣いているのか分からないんだ
…言葉にしてくれなければ、ワシには分からない」
だから、起きて教えてくれよ…
そう思いながら、三成の手を握った
長いこと日に当たっていないせいで、まるで死人のように青白い肌
細く、冷たい、悲しい手
三成が今何を考えているのか、何を思っているのか、
何も分からないことが寂しい
美しい瞳が開かれることが無いのが、硬質な声が聞こえないことが、
眠ったまま動くことの無い姿が悲しい
何度も三成が目覚める夢を見ては、もしかしたらとこの部屋に駆け込んで
眠ったままの三成の側で一人声も無く涙を零した
何度も関ヶ原で三成を殴り倒した自分が笑う夢を見た
夢じゃないぞ、とひどく穏やかに自分が笑うのに怖気が走った
じっとりと背中に嫌な汗をかき、絶望に打ちひしがれた
これは全てが現実で、三成は未だ目を覚ますそぶりも無く、
ワシは天下を取り東照権現などと呼ばれ、家臣からは世継ぎはまだかとせっつかれ、
吐き出せない弱音も苦しさも胸の内に積もり積もっていくばかりだ…
もし今ここに忠勝が居てくれたなら、きっと泣いてしまっていただろう
目覚めない三成のことも、毎日の様々な政務も、家臣の小言も、
一人きりで耐え忍ぶにはあまりにも重すぎた
自分が始めたことなのだから最後までやりきらなくてはいけないと分かっている
だが戦場を共にした仲間は城から消え、今では国の経済を、政治を行う者が中枢となり
日々政務に励み、国の基盤を作ってくれている
そのことに感謝を覚えるが、どうにも腹の内を見せ合うことを嫌う部分がありやりずらい
心を見せ合うことの出来る者が皆無に等しくなった城の中は、
自分の居城だというのにひどく居心地が悪く感じてしまうのだ
こんなのは甘えでしかないと分かっているが、
どうにもこうにも重苦しく、うまく息が出来なくなる
陸に上げられた魚のように、息をしようとぱくぱくと口を開いてみても苦しさばかりが入ってくる
この数年間で積もり積もったそれらに、今度は世継ぎの話
今まで何度も三成を殺せということを暗に言われた
それを全て突っぱね、世話をする女中以外この部屋には絶対に寄らないようにと言い聞かせた
敵大将を生かしておくなど狂気の沙汰だ、
権現様はおかしくなってしまわれたのだ、
云々かんぬん言われたが、自分が悪く言われることならばいくらでも耐える事が出来た
ここに忠勝が居てくれたなら、息抜きがてら茶を飲んだり、
背に乗せてもらえたりするのだろうなぁ、とぼんやりと思うことが増えていき
一人深いため息を零したりもした
だが、忠勝を伊勢桑名に移したのは紛れも無い自分自身
これからの世に武力は必要無いと示す為に
戦場で夢を語り合い、共に支え合おうと手を取り合った者は今どうしているのだろう
ワシを恨んでいる者も多いだろう
ワシは変わってしまったと嘆く者も居るだろう
それでも、太平の世を築く為には必要なことだ
そう頭では割り切れても、心までは割り切れない
城を去って行く時の皆の瞳が今もひりひりと胸の中に残っているのだ
悲しそうに、諦めたように、それでも恨み言の一つも言わず、
どうか家康様の夢が真となりますようと笑ってくれた
せめて忠勝様だけでもお側に、と言われもしたが、忠勝だけを特別に扱うことは出来ない
太平の世の為に、これからの平和な世の為に、武力の排除は絶対だった
自分の行いにじわじわと真綿で首を絞められているようで、
自分の信じたものが、今まで積み上げてきた何かが、音を立てて崩れていくような、
茫洋な恐怖に襲われることが多くなった
間違っていないと、大丈夫だと、誰かに言って欲しい
泣くことすら出来ず、作り笑いに慣れてしまった自分を諌めて欲しい
だがそんなことをしてくれる者はここには居ない
今では三成の側に居る時間だけが至福だった
唯一の心休まる時になった
眠る三成に他愛も無い言葉を掛け、昔のような笑顔を浮かべることの出来る時間
起きてくれよ、今のワシを見てお前は一体何と言うんだ?
三成に問いかけることすら出来ず、頭の中を回り続ける恐怖
変わらない愛にすがりついて、現実から目を背けようとしている自分
三成は哀れむだろうか、激怒するだろうか、そう考えただけで心は少し軽くなる
それほどまでに一人なのだと実感し、余計に絶望に捕らわれると分かっているのに、
そう考えなければ一人で立っていることすら出来なくなりそうなほど余りにも辛い
「…三成、どうか、目を覚ましてくれ」
殺そうとしてくれていい
見えない本心が恐ろしくてたまらないんだ
次第に明るくなっていく空を見ながら、長い一日が始まるのだなとため息を吐いた
←/4
/6→
←三成部屋
←BL
←ばさら
←めいん
←top