二人ぼっち
42
「よく眠っているな」
「ふふふ、一度くらいお方様に泣いているところをあやして頂きたいものです」
「………家康だけで充分だ」
「あら、家康様の涙を見たことが?」
「…何年も前の話だ」
子を抱きながら微笑むお愛にため息を吐く
家康との子を生していながら、この女は未だ家康の愛を欲する
「ぅふふっ、ねえお方様?
この子の名前を決めていただけませんか?」
「いずれ変わる名だろう」
「それでも、お方様に決めていただきたいのです」
「…家康と決めろ」
「私はお方様にお願いしているのです」
「はぁ……
………考えておく」
「ありがとうござりまする」
お愛は嬉しそうに笑い、子の寝顔を覗き込む
幼い娘と変わらないような笑みを浮かべながら、
それでもこの女は母なのだと思うと不思議な思いだった
「最近の家康様はお方様の所にしかお出でにならないでしょう?」
「そうだな」
お愛が子を孕んでから、家康は他の女を抱くことが無くなった
毎日のように私の元へ通い、
それこそ子供のように際限無く甘えてくるのだ
「他の室の者たちが歯噛みしておいででしたもの、ふふっ!」
「…女たちは暇なのか?」
「……ここの女は、子を生すことが勤めですもの
お方様は日々をどうお過ごしになられていらっしゃるのです?」
「……最近は、過去のことを考えることがある
後は家康に持ちかけられる相談事が殆どだ
治水や統治についての考えやこれからの日ノ本のあり方について、だな」
「…過去のこと、でございますか?」
「……私がただ一人の君主と定めたお方とその右腕だったお方のこと
…そして、私の唯一の友のことだ」
「あら、お方様にも友がいらっしゃったのでございますね」
「………私がそう思っていただけかもしれんがな」
「…お方様は、ご自分が分かっていらっしゃらないだけで、
もっとたくさんの友に恵まれておいでかと思いますわ」
知性の色を瞳にたたえ、
穏やかな声音で詠うようにお愛が話す
「ねえお方様、他にもお方様を案じる方がいらっしゃったのでは無いのですか?」
深い黒曜石の瞳に見据えられ、
その言葉に思い返すは西軍に属した武将たち
悲しみの色を瞳に映しながら陽気に笑う長曽我部
熱く燃える志を身に纏っていた真田
時に不安げに真田を見守っていた猿飛
おまはんが心配じゃあ、と口にした島津
皆、それぞれに言葉をくれた
”なあ石田、アンタぁ一人じゃねぇぜ?”
”某、命尽きるまで西軍に尽くしましょうぞ!”
”あーあ、ひっどい顔してさぁ
人の上に立つなら、ちゃんと寝られるようになってからにしなよ”
”この島津義弘、三成どんの力にならんね!”
笑い、陽気で、私とは似ても似つかない者ばかりだった
毛利とは最後まで不信感を持ち合っての共闘だった
私は、皆を信じることが出来ただろうか?
家康を討つ、それだけしか頭に無かった
皆が気遣う言葉を、鬱陶しいとしか思えなかった
今になって、自分がどれだけ思われていたのかが分かる
どれだけ心配され、心を許され、命を託されていたかが分かる
もう、思い返す過去は秀吉様と半兵衛様だけではないのだ
「…ねえ、お方様?
過去は所詮、過去に過ぎませぬ
今を生きるお方様が、過去に囚われてはなりませんわ」
「……貴様は顔に似合わずむごいことを言う」
「ふふっ、家康様を生きてお支え出来るのはお方様だけですもの」
「…全ては家康の為に?」
「ええ、その通りでございます
それ以外、一体何がありましょうか?」
「………そうだな」
残酷に私の心をえぐりながら、
朗らかに、晴れやかにお愛が笑う
私の過去の全てを知りつつ、”そんなこと”と笑う
「お方様は今を生きておられるのです
…どうか、今の家康様を愛してさしあげてくださいまし」
「…今も昔も、私は家康しか愛していない」
「………本当に、嫌なお方」
「貴様ほどではない」
眉をしかめることも無く笑い合い、
傷付けられる言葉を選んで投げ合う
私とお愛の関係はそれで正しい
それでいいのだと思う
たった一人の愛情を、取り合っているに過ぎないのだから
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