二人ぼっち
11
「い、家康様っ!」
バタバタと室内に駆け込んできたのは昔からワシに仕えてくれている侍女の小夜だった
幼い頃から姉のように接してくれていた小夜は今でも変わらずにいてくれる
それでも、家臣の目を気にしてか、雑談をしたりすることはほとんどなくなってしまったが…
この城内でもはや唯一と言っていい信頼の置ける者であるから、三成の世話は小夜に一任している
何か異変があればすぐにワシに伝えてくれと言えば、
もちろんです、他の方に伝えたらもみ消されてしまいそうですからね、と悪戯っ子のような笑みを浮かべていた
城の空気に辟易し、家臣たちへの嫌悪を抱きながらも、ワシに仕える為にここに居てくれる小夜を心から有難いと思った
「そんなに慌てて一体どうした?」
いきなり襖を開け血相を変えて飛び込んできた小夜に驚きながら筆を置く
三成に何かあったのではないかと焦りながら、ワシの前に座らせた
「あの、今、三成様がっ!」
「大丈夫だからゆっくり話せばいい
三成がどうしたんだ?容態が変わったのか?」
「はい、目を、目をお覚ましになられたんです!
それで、家康様にお会いしたいとおっしゃられて…」
小夜の言葉に目を見開く
今まで目を覚ます素振りなどなかった三成が、目を覚ました
ワシに会いたいと言った
動揺したまま、三成がワシの名を呼んだということを嬉しく思った
「…三成が目を覚ましたことは、ワシとお前以外はまだ知らないな?」
「もちろんです!」
「このことは、ワシがいいと言うまで他言無用だ」
「…ええ」
「……三成は、どんな様子だった?」
「とても穏やかなお顔をされていらっしゃいましたよ
私には、憎しみや怒りは感じられませんでした
……家康様」
小夜の小さい手が、膝の上で拳を握り締めるワシの手をそっと包んだ
微かな冷たさに身を竦ませ、どんな顔をすればいいか分からぬまま小夜の顔を見つめた
「お早く、行って差し上げてくださいませ
目をお覚ましになるのを心待ちになさっていらっしゃたではありませんか
…少なくとも、目をお覚ましになって私が僅かながらではありますがお話させていただいた限りでは、
三成様は本当に単純に家康様にお会いしたいのだという印象しか見受けられませんでしたよ」
だから大丈夫、とでも言うように優しく手を撫でられる
些細な心の機微さえも、昔から小夜は気づいてくれる
本当ならすぐにでも駆け出してしまいたい
三成が、本当はワシを殺そうとしているとしても、今すぐにでも会いに行きたい
だが、優しく包む小夜の手が、柔らかく弛む瞳が、
その言葉が事実であると告げている
「…っ、すまん」
それでも小夜を信用しきれない自分
真っ直ぐな視線から目を逸らし、苦しい息を吐き出すことしか出来ない自分
「家康様」
静かな小夜の声に身が固くなる
何も話して欲しくないと強く思った
「小夜を信じてくださいませ」
ワシがもう誰も信じられないと分かっていても、小夜は残酷にそう告げる
悲しそうに顔を歪め、寂しそうに笑いながら、ワシの手を握る力を強める
「…三成様は、確かに家康様を待っておられます」
静かに目を伏せる小夜に胸が苦しくなる
小夜はワシに嘘を吐いたことなど無い
分かっていても、恐怖が勝る
三成がワシを殺そうとするのは別に構わない
ただ、今のワシが惨めだと言われることが恐ろしい
何の為に天下を取ったと嘲られるのが、恐ろしくてたまらない
そんなことは、ワシが一番よく分かっているから
「…小夜も一緒に参ります
ですから、どうか三成様にお会いして差し上げてくださいませ
何があろうと、私が家康様をお守りいたしますから」
駄々をこねる子供をあやすように、困った顔で小夜が笑う
目線を合わせ、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ
「…小夜」
「家康様、ご一緒に行って下さいますね?」
姉の顔になった小夜には敵わない
昔からそうだ
ワシの為にとしてくれる全てを、ワシが拒めたことは一度も無かったのだから
「…ああ」
小さな小夜の手を握り締め、返事を返す
「大丈夫ですよ
小夜がお側におりますからね」
「家康様とこうして歩くのはずいぶん久しぶりですね」
後ろに控えた小夜にそう言われ、最後に小夜を供に歩いたのはもう何年も前だと気付く
楽しそうに響く控えめな笑い声が懐かしく感じられる
軽口を叩いたり、他愛も無い話をしたのは本当に久しぶりで、何を言っていいかも分からない
駆け出したいのを堪え、小夜が付いてこれるようゆっくりと歩く
駆け出したいのは本当なのに、恐怖で止まりそうにもなる
小夜が話しかけてくれなければ、きっと何も出来ずに困り果ててしまっていただろう
「そうだな
…小夜、ありがとう」
「ふふ、私は何も礼を言われることなどしておりませんよ」
小夜の言葉に背を押されているような気になる
「小夜には敵わないな」
「まだまだ家康様には負けませんよ
竹千代様と呼ばれていた頃から、ずっとお側におりますもの」
家臣が居るときより砕けた話し方は、昔のままで心が安らぐ
三成の部屋の襖を見つめ、中々手を掛けることは出来ない
きっと三成はワシがここに居ることに気付いている
それでも、一言も掛けられない声に、ワシが襖を開けるのを待っているのだと分かる
「家康様、小夜がお側におりますからね」
「…ああ」
小夜の言葉に、ようやく襖に手をかけられる
どきどきと苦しいほどに早い鼓動
それが不安なのか喜びなのか分からない
「…三成、入るぞ」
開いた襖の奥には昔と寸分違わぬ姿の三成が、布団の上に座ったままじっとこちらを見つめていた
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