話し言葉は音が連続しているだけなのですが、それを捉えた私たちはイメージや意味に変え、内側にもう一つの世界を広げています。そこでの生活をとても豊かにしたり、台無しにすることが言葉の働きとしてあるのは、誰でも体験済みですね。私たちの身体の中に入って心の生活のお手伝いをしている音は、ご先祖様が創造したものの中でも最も素敵なものだと思いませんか。古人から受け継いだ音を工夫することによって、意識は根本から変えることができるのです。
音を使って今までになかった言葉を作ってみましょうと言われたら、あなたならどうするのでしょう。でたらめに音と音を連続させますか?それでちゃんとした言葉になるのでしょうか?
私たちは嬉しい言葉には明るくなり、嫌な言葉には暗くなります。言葉が光と響きの働きを併せ持っているのは明らかですね。では光と響きの働きが音として響き合い、嬉しい言葉を形作るまでにはどんな経緯を辿ったのでしょう。言葉が生まれるプロセスは、古人が音に何を託してきたのか、その関係の在り方、文法が如何なるものから生まれてきたのかを明らかにするのではないでしょうか。
福田尚代さんの「飛行縫う戀」から回文を「初期回文集 無言寺の僧 言追い牡蠣」から転文を詠んでみます。ここに挙げた二冊の本は言水へリオさんが二〇〇七年に制作しました。
回文
耐えがたし滝 文字の身 いつまで待つ
意味の死も来た 詩 違えた
(たえかたしたきもしのみいつまてまついみのしもきたしたかえた)
転文
問
水面に白子鳩
(すいめんにしらこはと)
この仮名のみ沈めよ
(このかなのみしすめよ)
字も絶えた
(しもたえた)
婚礼救う人魚の恋
(こんれいすくうにんきょのこい)
詩は問
(しわとい)
答
厭わしいこの世
(いとわしいこのよ)
銀に浮く睡蓮答えた
(きんにうくすいれんこたえた)
「文字読めず」
(もしよめす)
染みの中の言葉凝らし任命す
(しみのなかのことはこらしにんめいす)
福田尚代さんが回文や転文を生み出す過程で体験したことの中に、上記したことに対するヒントがあるような気がしています。
単語は幾つかの音によってできていますね。回文や転文を作るには、言葉のどこかを壊さなければなりません。それは一度、言葉を解体し、音の連帯に戻すということに他なりません。この音の連帯をどこかで句切り、別の単語に変え、他の単語に繋いだりするには、どうすれば良いのでしょう。おそらく、意味という物差しと連想のインスピレーションが必要不可欠なのではないでしょうか。
音の連帯を意味で探り、連想する単語に置き換え、新たな世界観を創り上げていくのだと思います。
こんなふうに考えてみると、言葉が生まれる以前のことが少しずつ分かりかけてきますね。私たちは内面にたくさんの意味を感じて過ごしていたのでしょう。それに思わず発してしまった声から生まれた音をあてていったのだとしたら、同じ光景を見て、別の音を発声した者同士が、互いの顔を見合わせて、音を確認しあった、この二音から共振した世界への言葉が生まれたのかも知れませんね。
意識が言葉を生み出す背景には意味を感じて過ごしている心の世界が前提になっているのではないでしょうか。言葉が心で創られたのだとしたら意識を変える手立てもそこにあるはずです。
福田尚代さんの回文や転文を味わい楽しむことから、もう一歩踏み込んで、それを生み出す過程に思いを寄せることは、音と心の関係にどんな秘密が潜んでいるのか気づく手がかりになると思います。これを機に回文を創ってみてはいかがでしょう。「飛べ 異界へと」(とへいかいへと)なんてね。
福田尚代さんの著 「飛行縫う戀」「初期回文集 無言寺の僧 言追い牡蠣」
ここに挙げた二冊の本は言水へリオさんが二〇〇七年に制作しました
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