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言葉の意味を理解するための辞書には、言葉を言葉で説明するための膨大な語彙が収められています。この膨大な語彙を水の音に変換してしまったさいとううららさんのDICTIONARYという作品があります。言海?大言海だったかも知れませんが、譲り受けたこの辞書から型を取ったと伺ったような気がします。その中に水の通り道を作り、蜜蝋で水を閉じ込め、語彙の代わりとしたのです。

手に取ると、こちらの体温が奪われるような肌触り、その重さと共に伝わってくる脈打つような響き。感じるということが言い尽くせぬ思いを慰めます。全ての言葉の意味が水の音によって語られる世界は神秘的で優しいのですね。

膨大な情報を抽象化し象徴的な水の音に置き換えているこの作品は、言葉の素になっている音が生まれてくる水際にとてもよく似ています。感動のあまり思わず発してしまった声、この心が捉え、響き返した一音に内包されている世界の大きさは計り知れません。

さいとううららさんのDICTIONARYも人類が生み出した言葉の全てに匹敵するものが抽象化されたものだと感じさせます。宇宙的な規模の世界観も身近な小さい入れ物に収めることができるのです。それを可能にしているのは感受性に他なりません。意識と物の関係を象徴的に扱い、感受性があらゆるものを言葉に代替できるというのであれば、音の連続体として生まれてくる言葉は心で編まれていることになります。

こんなふうに考えてみると、さいとううららさんのDICTIONARYは心のモデルなのだと思います。自意識に邪魔されなければ、この世界を呑みこんでも尚、有り余る広さがあるのでしょう。

音が祈るところを求めるとすれば、それは教会などではなく、さいとううららさんのDICTIONARYのようなところではないでしょうか。

さいとううららさんのDICTIONARYは私たちのもう一つの言葉の可能性を示唆しています。それは彼女の次のような言葉にはっきりと表れています。

自分としては、ひとのこころのなかの祈り、それにこたえてくれる響きになれないか、と思ってつくりました」

祈りにこたえるための言葉が、全てを内包した言葉以前の響きなのだとしたら、音が生まれてきた訳もそこにあるのではないでしょうか。

 

dictionary 

さいとううららさんのDICTIONARY

 

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