15回目 武満 徹 の世界 2005年2月9日(水) |
最後の授業
*
日本が世界に誇る作曲家【 武満 徹 】氏をたっぷり講義していただきました。
平野先生は個人的にもとてもご懇意にされていらして、
そのお話はたいそう興味深いものでした。
*
≪”NOVEMBER STEPS” for Biwa、Shkuhachi and Orchestra.≫
ノーベンバー・ステップス 琵琶と尺八とオーケストラのため
1967年にニューヨークフィル創設125周年記念作品として委嘱される。
初演 ; 鶴田錦史(琵琶) 横山勝也(尺八)
連続する11章からなる。
11=November(11月)
【邦楽器とオーケストラの初めてのコラボレーション】
★鑑賞★
1996年4月追悼演奏会
サイトウキネンオーケストラ
鶴田錦史(琵琶) 横山勝也(尺八)
** 聴いていて頭に浮かんできたもの **
※地球が蠢めいて、暗い大地からニョキニョキ何かが出てきています。
※風や波が見え、一方竹薮の中に何かがいます。泣いています。怪談。
※眩い煌きの中から火の鳥が現れ・・・・・
*
≪映画音楽≫
約300作品もの映画音楽やTV.ドラマなどを作曲されています。
★鑑賞★
1. |
黒い雨 |
監督;今村昌平 |
2. |
他人の顔 |
監督;勅使河原宏 |
3. |
夢千代日記
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NHK名作ドラマ
作;早坂 暁 |
4. |
波の盆 |
TV.ドラマ
監督;実相寺昭雄 |
- エピソード -
武満氏ご自身が映画をこよなく愛されていたそうです。
お仕事は八ヶ岳で作曲されていたそうですが、
たまに中央線で新宿に戻られ
出版社である【ショット社東京本社(本社はドイツ・マインツ)】で時を過ごされるか、
もしくは
映画街で5〜6本(少なくとも3本)映画鑑賞されたそうです。
無類の映画好き。
*
≪弦楽のためのレクイエム 1957年≫
デビュー作品
1957年に東京交響楽団の委嘱によって作曲されたもので、初めての大規模なオーケストラ作品。
ストラヴィンスキーがこの曲を聴き驚嘆した。この曲により国際的に高い評価を得たそうです。
ハチャトリアンはこの曲を「深海か宇宙の音楽」と感想を述べたそうです。
*
≪ピアノ小品≫
★鑑賞★
(ドイツ・ショット社)
易しくはないが、新しい響きのある曲で、こういう曲こそ
町のピアノの先生に取り上げていただきたいと先生はおっしゃいます。
**************
素晴らしいサイトをご紹介いたします。
【武満徹】出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
【追悼 武満徹】(中野洋一)武満氏ご自身の対談も聞けます。
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録音技術がまだ発明されていなかった19世紀末までは、
音楽会とは、常に新作品の発表の場でありました。
音楽は常にその時代において【現代曲】でありました。
私はクラシック音楽を生で楽しむのが好きですが、
今 生まれている、そして今後生まれてくる音楽を聴くということも
大切なことであると 最後の授業で教えていただきました。
いつも優しい語り口で
音楽に対するこの上ない愛情を込めて講義をしてくださいました
【平野昭先生】に深くお礼申し上げます。
そして、
つたいない私の【聴講生ノート】を最後までお付合いくださり、
感想や励ましのお言葉をお掛けくださいました皆様に
心よりお礼申し上げます
ビッテ 2005年2月19日
★2月10日には『平野先生を囲む会@聴講生』があり、
お食事しながら楽しいお話聞かせていただきました★
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14回目 20世紀の音楽 2005年1月26日(水) |
先生、ごめんなんさい!
この日は所要がずれ込み10分ほど遅刻していきました。
小澤征爾さん指揮の【カルミナ・ブラーナ】のLD.鑑賞中に入室。。。
小澤征爾さんもと〜ってもお若い!!
*
*
ベルリン・フィルの演奏に、キャスリーン・バトルをはじめとするソリストを迎え
さらに晋友会合唱団などの豪華共演だそうで、大勢の日本人合唱団もアップで映っていました。
1989年12月31日、ベルリン・フィルハーモニー・ホールにて収録。
1989年はベルリンの壁崩壊の年であり、カラヤン没の年です。
***
★ 20世紀の音楽は抽象的でわかりにくいものであったので、わかりやすいものに引き戻そうという動きがありました ★
Carl Orff(1895〜1982)
カール・オルフェ |
≪Carmina Burana カルミナ・ブラーナ≫
「カルミナ・ブラーナ」は中世の詩歌集で、約250編から成る
1803年南ドイツ・ボイレン修道院(ベネディクト会)で発見されたものです。
カール・オルフがそこから24の詩を選んで曲をつけものだそうですです。
序 |
「世界の支配者」 |
T |
「春」と「草原にて」 |
U |
「酒場にて」 |
V |
「睦言(愛の言葉)」 |
W |
「フランツィフロールとヘレナ」 |
X |
「世界の支配者」 |
★
★ わかりやすいものへというもう1つの流れ ★
Erik Satie(1862〜1925)
エリック・サティ |
≪Parade パラード(見世物小屋)≫
◎大衆的な題材と簡潔なオーケストレーション
≪ジムノ ぺディ≫
★ それとは別に・・・ ★
Edgar Varese(1883〜1965)
エドガー・ヴァレーズ |
1.アンテグラル(積分)・・・・・1924−1925年
2.イオニザシオン(電離)・・・1930−1933年
↑
どちらも作曲した作品名です。
13人37種のパーカッションのみの編成。
すべて打楽器!
ピアノも手のひらや腕で鳴らし、打楽器として使う。
(◎_◎)!!
かなり変(!?)な音楽(?!)でした。
サイレン・銅鑼・カリオン・チャイム・ドラムusw.
消防団のような・宗教音楽のような・・・(言葉に窮します)
【美しい】という概念とはほど遠い感じです。
ハーモニーやメロディを取り去った、リズムだけで表現しています。
***
日本のオーケストラがヨーロッパ公演のアンコールで要求されるものとして・・
外山雄三 |
ラプソディー |
NHK交響楽団により、世界一周演奏旅行のアンコール・ピースとして依頼された。
民謡を素材とした即興的な曲で「あんたがたどこさ」「ソーラン節」「炭坑節」「串本節」
「小諸馬子唄」「八木節」が使われている |
近衛秀麿 |
越天楽
(えてんらく) |
原曲は雅楽であるこの作品は、オーケストラでその雰囲気を出すことを試みた
最初の作品と言っても良いでしょう。
※Vn.古澤巌さんが雅楽氏の東儀秀樹さんとご一緒にコンサートをされるとき、
何度か聴かせていただきました。平安装束で演奏され、雅な世界へ誘っていただけます。
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以上の曲を聴かせていただきました。
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13回目 I. ストラヴィンスキー 2005年1月19日(水) |
Igor Struvinsky (1882−1971)
I. . ストラヴィンスキー(ロシア) |
20世紀の音楽を語るのに重要なキーパーソン。
あだ名は「カメレオン」
作曲スタイルが時代によってくるくる変わるのでついたそうです。
チャイコフスキーと並んでロシアバレエの代表的な作曲家で
駄作がないといわれています。
− S . ディアギレス氏 -
Ballet Russ バレエ・ルス(ロシア)の団長さんを務めた人物。
ディアギレス氏のおかげで20世紀のバレエ音楽ができたと言っても過言でないそうです。
ディアギレス氏から依頼を受けて
ストラヴィンスキーは次々とバレエ音楽をつくりました。
1910年 |
火の鳥 |
1911年 |
ペトルーシュカ |
1913年 |
※春の祭典 |
1914年〜第1次世界大戦 |
1918年 |
兵士物語 |
1920年 |
11の楽器のためのラグ・タイム |
〃 |
パルチレーラ |
※
『春の祭典』
初演は音楽史上有名なスキャンダルとなったそうです。
ストラヴィンスキーは自伝の中で次のように書いています。
*
実際の上演についていえば、
たちまち嘲笑を買った前奏曲の最初の数小節を聴いただけで
観客席を出て行ってしまったのであるから、
私には何とも判断する資格がない。
私は憤慨した。
最初のうちは とびとびであったこれらの不愉快な示威は やがて一般的になり、
今度はそれに反対の示威を招来して、
たちまちのうちに恐るべき騒動になった。
(中略)
ディアギレフはそうでもしたら騒ぎが鎮まるかと思って
電気係に照明をつけたり消したりするように命令した。
(大田黒元雄訳/原書は1935年刊)
The Great Collection of Classical Music より
*
ドビッシーの美しい音楽に慣れ親しんでいたパリの聴衆にとり
フォービズム(野獣派)とも言われる原始主義時代のストラヴィンスキーの音楽は
刺激過ぎてブーイングの嵐となったそうです。
彼はそのリズムと不協和音やさまざまな音楽的発想に
新しいイメージを繰り広げました。
ちょうどピカソがキュービズムで従来の画面構成の約束を破って
新しい視覚表現を世界を開拓したのと同じようなことを
聴覚的表現の中で行ったのでした。
★☆★ 本日の曲 ★☆★
I . ストラヴィンスキー
火の鳥 |
ペトルーシュカ |
春の祭典 |
兵士物語 |
11の楽器のためのラグ・タイム |
画像BBS
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12回目 A. シェ−ンベルグ 2005年1月12日(水) |
★2005年最初の講義★
まずは、後期ロマン主義から
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G.T.ホルスト(1874〜1934)
組曲 【惑星*The Planets Op.32】より、「水星」と「木星」を聴かせていただきました。
この組曲は7楽章から成り立っています。
「火星(戦闘の神)」「金星」「水星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」
(1914〜15年、17年に5曲を試演初演)
「木星」いいですね〜♪
Fl.で歌ってみたいです。
*
ここまでは前置きで、
平原綾香さんの「Jupiter」が流行したので、サービスに聴かせてくださったそうです。
私、聴いたことありません。。
**************
Arnold Schoenberg (1874〜1957)
A.シェーンベルグ |
後期ロマン主義がまだ活躍する中で、
「新ウィーン学派」グループにいました。
調性の崩壊 |
〜 |
無調 |
〜 |
12音音楽 |
Tonality |
〜 |
Atonality |
〜 |
Dodecaphony
Zwelf ton technik
(Twelev tone technic)
|
≪Verklaerre Nacht 清(浄)められた夜 Op.4 (1889年)≫
まだ、調性的性格を残す室内標題音楽
リヒャルト・デメル*Richard Daemel (1863〜1920)の
詩集≪女と世界*Frauen und Welt≫より
★オリジナル・・・弦楽6重奏版 1899年
★自身の編曲・・・弦楽合奏版 1943年
≪ Pierrot Lunair 月に憑かれたピエロ Op.21 (1912年)≫
この曲は新しい技法で作曲されています。
その技法とは・・・
★Sprechstimme・・・sprechen:話す、語る。(die)Stimme:声
★Sprechgesang・・・sprechen:話す、語る。(der)Gesang:歌
無性(長調や短調から離れた)の音楽に 女優が声を出し歌い語りをしています。
※聴かせていただきましたが・・・ちょっと壊れた感じ?!
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A.シェーンベルグと同時代の作曲家
Maurice Ravel(1875〜1937)
≪Borelo*ボレロ(1928年)≫バレエ音楽
舞踏家イダ・ルビンシュタインからの依頼作品
◎Rythm Ostinate(リズム・オスティナート)
小太鼓のリズムが169回反復されている
主題部は19回反復されている
この「リズムの反復」は恍惚としてトランス状態になっていくそうです。
確かに!
あの少しずつクレシェンドされて
繰り返されるボレロのリズム!
一歩ずつ近づいてきて、ひたひたと押し寄せてきて
気が付いたら、すっぽり覆い被さっている感じ。
インドネシアのケチャも同じ効果があるそうです。
★☆★ 本日の曲 ★☆★
G.ホルスト |
組曲【惑星】より「水星」「木星」 |
A.シェーンベルグ |
【清められた夜】弦楽6重奏版 |
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【清められた夜】弦楽合奏版 |
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【月に憑かれたピエロ】 |
M.ラベル |
【ボレロ】 |
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11回目(・ ・ ・ ・ ・ ・) 2004年12月22日(水) |
平野昭先生、学会ご出席のため休講でした。
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10回目 R. ワーグナー 2004年12月15日(水) |
≪19C.〜20C.音楽史の大きな動きは、調性の崩壊である≫
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1650年〜1850年まで200年間続いてきた ○ 長調 △ 短調 から
「離れていく」 or 「使わない」 という 【調性音楽の解体】 に向かいました。
cf.ヴィバルディやテレマン以前には長調や短調はありませんでした。
1865年R.ワーグナー初演の「トリスタンとイゾルデ」が調性崩壊のきっかけとなりました。
*
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Richard Wagner (1813〜1883) |
リヒャルト・ワーグナーは8歳頃からピアノを始めましたが上達せず
むしろ文学に興味を示したそうです。
でも・・、
ウェーバーの歌劇【魔弾の射手】にこころ動かされ、
ベートーヴェン交響曲を聴いて 熱を出して寝込むほどのショックを受け
音楽家になることを決意したそうです。
歌劇【トリスタンとイゾルデ】(音楽史上画期的な作品)
前奏曲 1865年ミュンヘン初演
*
半音階を使い、トリスタン和声といわれる和声法によって
無調音楽に通じるような音楽を開きました。
ワーグナーはその創作をほとんど音楽劇一本に絞り、
いわゆる【楽劇】の完成を通じて、新しい総合芸術の理想をつねに追求し続けました。
その進歩的な思想と手法によって、
音楽をロマン主義から現代へと大きく推し進めました。
*
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1864年から、ワーグナーはバイエルン国王ルードヴィッヒU世の庇護を受けることになりました。
1867年には、明快な音楽に満ちた【ニュルンベルグのマイスタージンガー】を完成させ、
その後、中断していた【ニーベルングの指輪】の作曲を再開しました。
1872年、祝祭劇場の建設に本腰を入れるためにバイロイトに移り、
2年後に【指輪】を完成させました。
1876年、新築の祝祭劇場で【指輪】の4部作の全曲初演が盛大に行われました。
★☆★ 本日の曲 ★☆★
CD
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≪トリスタンとイゾルデ≫
≪ターンホイザー≫
レーザーディスク
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≪さまよえるオランダ人≫
≪ニーベルングの指輪≫
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9回目 ベルリオーズ 2004年12月8日(水) |
ベルリオーズはフランス・ロマン主義の代表的な作曲家です。
音楽史上でももっとも情熱的な1人といえる人物だそうで、
天才的な想像力と強烈無比な個性で当時としては大胆&画期的な作品を数々残しています。
時代の常識をはるかに超えたオーケストラの用法 |
固定楽想(観念)を用いた表題音楽の手法 |
ベルリオーズは、その生涯に4曲の交響曲を書き残しています。
ベートーヴェンによって完成の域に達した交響曲とは本質を完全に異にしたもので、
その4曲のすべては、標題音楽に位置づけられます。
【表題交響曲】:ドラマティックなストーリー性があり、説明的文章がついています。
********
【 幻想交響曲op.14 Symphonie fantatique 】1830年
タイトル:≪ ある芸術家の生涯のエピソード ≫
パリ音楽院に入学した翌年のこと、ベルリオーズ23歳。
ローマ大賞に応募した彼は予選は通過したものの課題曲で落選し大ショックを受けます。
その年の9月、フランスを訪れたイギリスの女優ハリエット・スミッソンに熱烈に恋します
夢想家のベルリオーズは、
激しい片思いの念をもって彼女に手紙で結婚を申し込んだり、
自作のみのコンサートを開催したりしました。
でも、大スターのスミッソンが彼を相手にするわけもなく・・・
ストーカーのような彼に恐怖心すら抱くようになりました。
そして、スミッソンがパリを去ります。
絶望と苦悩に打ちひしがれたベルリオーズの彼女に対する想いは憎悪へと姿を変え、
彼女に対する復習
あ!違います
「復讐」を音楽作品のなかで遂げようとする意図が
この【幻想交響曲】に結実しました。
おぅ、こわっ!!
スコア冒頭に記されたベルリオーズ自身の言葉があります。
***
恋に狂い人の世の移り変わりに飽きたひとりの若い芸術家が阿片を飲む。
しかし、その分量は少なくて死には至らず、
深い昏睡状態に入り一連の夢を追う。
その夢の中で官能と感情と幻想は、
すべて音楽的な幻影となってつきまとう。
彼は恋する女性の映像をあらゆる場所で、
常に1個の旋律として心の中に描くようになる。
***
★☆★ 本日の曲 ★☆★
ベルリオーズ
【 幻想交響曲op.14 Symphonie fantatique 】1830年
第1楽章 |
夢・情熱 |
第2楽章 |
舞踏会 |
第3楽章 |
野の情景 |
第4楽章 |
断頭台への行進 |
第5楽章 |
ワルプルギスの夜の夢 |
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【 その後のベルリオーズ 】
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8回目 ・・・・・ 2004年12月1日(水) |
先生がご病気で休講となりました。
先生、お風邪召されましたか?どうぞお大事になさってくださいませ。
それで、私は美容院に行きました
新しい担当の方、ステキ。
東京や横浜やスイスのお話もできて楽しかったです。
酸素カプセルに行ってみたいんですって♪
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7回目 盛期ロマン主義者&ショパン 2004年11月24日(水) |
― 盛期ロマン主義者 ―
ベートーヴェンやシューベルトの没後(1827・28年)のすぐから
本格的に創作活動に入った4人の作曲家たちがいます。
この4人は、1809〜1811年の間に集中して誕生しています。
*メンデルスゾーン F.Mendelssohn(1809〜47)
≪ 12曲セット×4組(48曲)*無言歌曲 ≫ |
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* シューマン R.Schumann(1810〜56)
≪ op.1〜op.22は全部ピアノ曲(1829〜39) ≫ |
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*ショパン F.Chopin (1810〜49)
≪ 全400曲の中ほとんどピアノ曲ばかり ≫ |
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*リスト F.List(181〜86)
≪ 交響詩12曲 単一楽章 標題音楽 ≫ |
ポーランドのワルシャワ音楽院で「ピアノ即興名手」として有名だったそうです。
ショパンは39年という短い生涯の中で約400曲を書きました。
op.10 12のエチュード |
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4曲のバラード |
ポロネーズ |
op.25 12のエチュード |
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4曲のスケルツォ |
即興曲 |
op.28 24のプレデュード
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ワルツ集18〜21 |
幻想曲 |
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ノクターン |
舟歌 |
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マズルカ |
子守唄 |
@ピアノ協奏曲 |
A協奏的作品 |
Bピアノ協奏曲 第1番(1829年秋) |
Cピアノ協奏曲 第2番(1829年夏ごろまで) |
Dロンド クラコヴヴィアーク |
Eアンダンテ スピアナートと華麗なる大ポロネーズ |
Fポーランド民謡による幻想曲 |
ピアノ協奏曲1番ホ短調は、実際にはピアノ協奏曲2番ヘ短調のあとに書かれていますが、
出版されるのがが早かった「2番目ホ短調の曲」が≪ピアノ協奏曲第1番≫とされたそうです。
ショパンはピアノ協奏曲を古いタイプの形式で書いています。
(第1楽章の始まりをオーケストラが演奏するというタイプ)
さかのぼること20年。
1809年に発表されたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番≪皇帝≫以降
第1楽章冒頭orあるいは開始直後に独奏ピアノが華麗に登場するという
新しいタイプ(19C.タイプ)の協奏曲様式が一般化していたそうです。
ショパンだけが古いタイプの形式で書いています。
ただし、音楽内容や和声的響きはロマン主義の特徴を持ちます。
― op.28≪24の前奏曲≫について ―
ショパンの24の前奏曲は、
その曲の配列はハ長調を起点として時計回りに
5度循環形式となっています
24の調性すべてを用いて曲を書いています
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1: ハ長調 |
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2:イ短調 |
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23:ヘ長調1♭ |
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3:ト長調1# |
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24:ニ短調1♭ |
4:ホ短調1# |
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21:変ロ長調2♭ |
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5:ニ長調2# |
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22:ト短調2♭ |
6:ロ短調2# |
19:変ホ長調3♭ |
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ひし形の上段が長調
.下段が短調 |
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7:イ長調3# |
20ハ短調3♭ |
8:嬰へ短調3# |
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17:変イ長調4♭ |
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9:ホ長調4# |
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18:ヘ短調4♭ |
10:嬰ハ短調4# |
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16:変ロ短調5♭ |
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11:ロ長調5# |
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15:変二長調5♭ |
12:嬰ト短調5# |
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13:嬰へ長調6♭/6# |
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14:変ホ短調6♭/6# |
参照:J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は平均律における(半音階ずつ上がる)24の全ての調性を用いて書かれています
★☆★ 本日の曲 ★☆★
シューベルト |
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さすらい人の幻想曲D.760 |
ショパン |
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ピアノ協奏曲2番ヘ短調 |
ショパン |
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ピアノ協奏曲2番ホ短調 |
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6回目 シューベルト歌曲 2004年11月17日(水) |
昼下がりの音楽室で今日はたっぷりシューベルトについてお勉強しました。
ベートーヴェンがウィーンで暮らした時期((1792〜1827)に
シューベルトは同じ街でその短い生涯を送りました。
「音楽の都ウィーン』と言われながらも、生粋のウィーン出身の音楽家は少ないのですが
シューベルトはその数少ない一人です。
彼の生家はあのシュテファン寺院から徒歩圏内で、
少年時代は聖歌隊に入っていました。
正式に音楽を学んだことはなく、教会で習った知識がすべてでした。
シューベルトの自由な作風は何ものにも捉われないところからきているそうです。
31年という短い生涯でまるで泉が湧き出るように約1000曲もの作品を残しました。
― 【歌曲】 Lied と Gesang の違い ―
日本語ではどちらも「歌曲」と訳されますが、内容的には違いがあるそうです。
【Gesang(ゲザング)・】・・・・モーツァルトやベートーヴェンが作っていました。
ピアノは歌のための伴奏に留まっています。
*
【Lied(リート)】・・・・芸術的歌曲とも訳されます。Klavier Lied (ピアノ歌曲)
ピアノが単なる伴奏ではなく
詩の世界を表現するのに重要な役割を果たしています。
情景描写をしています。
― Wilhelm
Mueller(1779〜1827) ―
ヴィルヘルム・ミュラー:詩人
彼の詩にシューベルトが曲を付け歌曲にしました。
「旅するヴァルトホルン吹きの遺稿による詩集」
* 【第1巻】 歌曲集「美しき水車小屋の娘」Die
schoene
Muellerin 1823年、シューベルト26才のときの作品。 ミュラーの詩による20曲からなる連作歌曲集。
夢多き水車屋の青年の恋と失恋をあつかったっもの。 形式的には民謡調の単純なものですが、 水車の回る音や、小川のせせらぎなどを描写した 夢と現実の入り混じった作品。 * * 【第2巻】 歌曲集「
冬の旅」Winterreise . . 1827年、シューベルト死の前年。 ミュラーの詩による24曲からなる連作歌曲集。 前半の12曲と後半の12曲と別々の機会に作曲されたもので、 一貫した筋をもつものではなく、 失恋してさまよう青年の心の風景を歌ったもの。
第5曲がもっとも有名な「菩提樹」で、 私も羊毛桶にこの詩をカリグラフィで描いています。 やった!つながりました♪
シューベルトは音楽家や画家など友人を集め、 まるでオペラ「ラ・ボエーム」のようなサークル【シューベルティアーゼ】を作っていたそうです。 パーティゲームなどを楽しんでいたんですって♪
それから、 結婚もしなかった家も持たなかった若くして亡くなった・・・などで 清貧なイメージがありますが、 楽譜収入はダントツ1位の高収入だったそうです。
★☆★ 本日の曲 ★☆★
シューベルト 歌曲集「美しき水車屋の娘」D.795(シューベルト)より 第1曲「さすらい Das Wandern」 歌曲集「冬のたび」D.911(シューベルト)より
第1曲「おやすみ Gute Nacht 」 . 第5曲「菩提樹 Der Linden
baum」 歌曲「魔王」. 父&子&魔王のやりとり .
今日はシューベルトの歌曲のおかげで ドイツ語をたっぷり浴びることができました。
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5回目 ベートーヴェンVol.3 & シューベルト 2004年11月10日(水) |
― 二つの作品 *ベートーヴェン(1770〜1827)
―
ベートーヴェン晩年の比類ない威容を誇ると言われる2作品についてお勉強しました。 ふたつの作品は共に1819年から手がけられたそうです。.
1.【
ミサ・ソレムニス(Missa Solemnis)】 ニ長調 op.123 ( 1823年3月完成). . 荘厳ミサ曲で、自筆譜には 『
Von Herzen moege es wieder zum Herzen !
』 (心より出でて、願わくばまた人の心に入らん)と、記されているそうです。
つまり・・・ 【ひとりひとりの心の平安
】
2.【 第九交響曲(9Symphonie)】 ニ短調⇒ニ長調 op.125 (1824年2月完成). . 108行ある「シラーの詩」から24行分だけを使った詩の中には・・・ 『 Alle Menschen werden
Brueder. 』 ( すべての人々が兄弟になる ) 『 Seid umsclungen
Millionen.』 (諸人よ抱きあえ).
. 『 Diese Kuss ganzen Welt.
』 (この口づけを全世界に) .
つまり・・・【
外なる平和・世界平和】
作品を手がけたのが共に1817年。. . 先生のお考えでは、【内なる平穏】【外なる平和】ということで、 この二つの曲はペアになっているとのことです。 きっとそうです! 先生、そうに違いないです。 .
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― 歓喜の歌 *(1989年12月25日ベルリンにて) ―
1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されました。
【1989年12月25日ベルリンにて】
レナード・バーンスタインの呼びかけで第九の演奏会が行われました。 バーンスタイン(1918〜1990)は、カラヤンと並ぶ20世紀指揮者界の巨星です。 この演奏会は、ベルリンの壁崩壊という歴史的事件を記念して行われたもので、 独唱はアメリカ、イギリス、東ドイツ、西ドイツの4人、 合唱団は東西ドイツの合同、 オーケストラは東西ドイツの他、 ベルリンを分割占領した英米仏ソの4カ国からも集まっています。
バーンスタインは、第4楽章の歌詞を変えています。 「歓喜(Freude)」を「自由(Freiheit)」に変えて演奏したのです。 ベートーヴェンの本来の考えに沿うものだそうです。 「全作品のテーマは自由」
この演奏会の模様を壁崩壊の映像と共に LD(レーザーディスク)で見せていただきました。 今となっては
あふれ出る熱いものなしで見れるわけありません。
* * *
ふと想い出すのは・・・
ドイツ時代、仲良しだったJasminのこと。 アメリカ人の母とイラク人の父。パートナーは旧東独の人。 深みのある笑顔で
いつも「ケ・セラ・セラ」と言っていました。 Jasminにも心からの歓喜の歌を 一日でも早く歌っていただきたいです。
* * *
「
第九は
長すぎま〜す!」 なんてこと もう言わなくなるような気がそろそろしてきました。。。
月刊誌『モーストリークラシック』2月号に平野昭先生がお書きになった 第九の聴きどころが掲載されるそうです。
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― シューベルト ― (1797〜1828
)
「弦楽五重奏曲」第4楽章序奏部を聴かせていただきました。 調の響きが次から次へと変化しています。 同じ旋律なのに受ける印象は随分違います。
シューベルトは作曲を独学で学んだためか 音楽の規則にとらわれない作曲をしたそうです。
★☆★ 本日の曲 ★☆★
ベートーヴェン 交響曲第9番≪合唱≫ニ短調 ミサ・ソレムニス≪荘厳ミサ曲≫
シューベルト 弦楽五重奏曲・第4楽章序奏部
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講義は16:10まで。まっすぐお家に帰りました。
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4回目 ベートーヴェンVol.2 2004年10月27日(水) |
今日は、【 交響曲第9番ニ短調 Op.125≪合唱≫】
を勉強しました。
第1楽章 急*ニ短調
17’46” |
第2楽章 スケルツォ*ニ短調 11’57” |
第3楽章 緩徐楽章*変ロ長調
19’36” |
第4楽章 急*ニ短調⇒ニ長調 25’10” |
( 演奏時間は、東芝EMI「新・名曲の世界9」によるものです)
はじめの3つの楽章は、第4楽章の前提としておかれている感じだそうです。
第4楽章の構成は、第T部と第U部から成り立ち、 第U部であの有名な≪歓喜の歌≫の合唱を歌います。 第T部は、二手に分かれてこんな感じ?あんな感じ?と歓喜の歌を模索しているように進んでいきます。. .
≪A≫ |
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≪B≫ |
どうだ!と 「恐怖のファンファーレ」鳴る |
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違います!「低弦」で否定します |
じゃ、これは?「第T楽章の冒頭」で尋ねます |
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違います。「低弦」で否定します |
これはどう?「第2楽章」主題の断片を示します |
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違います。「低弦」でまたもや否定します |
それでは・・「第3楽章」第一主題のきれいな調べ |
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〜〜〜?逡巡ののちに否定。。。 |
このあとオーボエの素朴で美しい旋律が出てきます。 これには、さすがに反抗的な低弦も和します。 そうして、あの有名な歓喜の旋律が主題として繰り広げられていくのです♪
つまり・・・ 歓喜というのは、第1楽章のような闘争や努力でもなく、 第2楽章のような熱狂でも
第3楽章のような安静でもない。 そういう要素も必要だけど、もっと素朴で全人類に親しみやすいものだということをベートーヴェンは示したわけです。 歓喜の旋律は誰にでも親しまれる簡明素朴なものでなければならないということで、 誰もが年末に口ずさむあの旋律&歌になったのですって。
な〜るほど! だから
今まで≪歓喜の歌≫になるまでが 「長いなぁ〜」「いつになったら合唱聴けるの〜??」 というように思っていた私も、 あながち間違いではなかったような気がしてきました(ほっ!)
第U部のはじめ≪恐怖のファンファーレ≫を否定するバリトンの独唱は次のようです。
Oh、Freunde! Nichit diese
Toene, Sondern lass uns angenehmere anstimmen und freudenvollere
!
おお友よ! このような調べではなく、 むしろ、もっと心地よい調べを 声を合わせて歌おう もっと喜びに満ちて
これに続く≪歓喜の歌≫は、108行ある「シラーの詩」から24行分だけを使っているそうです。 ( シラーの詩はけっこう過激らしいです )
このように交響曲に合唱を取り入れたのは、ベートーヴェンが初めてです。 そして、すぐあとに続く作曲家たちに大きな影響を与えたのだそうです。 交響曲の歴史を大きく変えたベートーヴェンは、すごいっ! 長〜い第九にも 親近感が持てそうです♪
★☆★ 本日の曲 ★☆★
ベートーヴェン 交響曲第9番≪合唱≫ニ短調 (1819年に着手し1824年に完成
)
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3回目(・ ・ ・ ・ ・ ・) 2004年10月20日(水) |
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2回目 ベートーヴェンVol.1 2004年10月13日(水) |
宮廷のお抱えだった楽師さんたちは、フランス革命により経済的自立を余儀なくされ、
持てる才能により分業化していきます
作曲家・演奏家・音楽教師etc.
ベートーヴェン(1770〜1827)は、ボン(ドイツ)からウィーン(オーストリア)に出て作曲家へ
ハイドン先生から みっちり1年間作曲の手ほどきを受けました(22才の頃)。
だけど、前時代への反骨(?)・批判的精神から独自の手法で作曲し、つぎつぎと発表します。
普通、初めて書いた曲は師匠に捧げるのが慣わしらしいですが、
彼はOp.1をバックアップしてくれているK.リヒノフスキー侯爵に献呈
2番目の作品(3つのピアノソナタ)をハイドン先生に捧げたそうです。
しかも、教えていただいた作曲法に逆らう?ような手法のものを。。。
「交響曲第2番」を発表した頃(1802年)には耳鳴りがひどくなり、
医学で権威のあるウィーン大学で何人かのドクターに診て頂いたそうです
これが酷い処方!
Dr.A |
ライン川で水浴して耳を洗いなさい |
Dr.A |
ひまし油を耳にたらしなさい |
Dr.A |
カモミールを煎じて耳を洗いなさい |
お気の毒なベートーヴェン
快方に向かうわけありません
せっかく作曲家として世間に注目され始めたのに・・・
難聴のことをだれにも知られたくなく、人嫌いと誤解を受けるほど人との接触を避けたそうです
≪−ハイリゲンシュタットの遺言−より≫
そんな中で作った「交響曲第3番*英雄」は
曲の頭に終りの主和音を置き、当時としては画期的で斬新な曲となりました
前時代(モーツァルトやハイドン)とは一線を引いた≪ベートーヴェン≫という土台があって、
時代は19C.の音楽へと発展していきます
★☆★ 本日の曲 ★☆★
ベートーヴェン
交響曲第3番≪英雄≫変ホ長調(1803年)
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1回目 プロローグ 2004年10月6日(水) |
【
音楽史(西洋)U】の聴講に行ってきました。
さすが競争率の高い人気教授の講義です!!
かみ砕いたお話で、ドイツ・オーストリアの街を頭に描きながら聞く内容は、もうたまりません!
19C.以降の音楽史がテーマですが、今日はバロックから古典主義〜ロマン主義の流れを概観。
音楽を社会の流れの中で考えていくというスタンスで、ヨーロッパの歴史も勉強できて願ってもない選択でした。
フランス革命や産業革命が音楽家の形態に大きく影響したというのには、目からうろこ.!
ベートーヴェンと超絶技巧のVn.パガニーニ(伊)って、同じ時代だったんですね。
考えてもみなかったです@@!
なんだか好奇心がふつふつ音を立ててきました。
先生は、平野昭教授。
とてもお優しそうで素敵なお声の先生です♪
★☆★ 本日の曲 ★☆★
ベートーヴェン:Op.91
戦争交響曲 ウエリントンの勝利(orヴィクトリアの戦い)
上に戻ります
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