敬語がなくなるのでは

2013年10月20日

日曜日の午前10時、おばさんが掃除や洗濯などを終えて一緒にコーヒータイムという頃に「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京制作のテレビ番組 高知では遅れて放送)が始まります。

控えめな、あるいは自信なさそうな出品者のお宝に高い値段が付くと思わず拍手したくなります。逆に自信たっぷりな出品者が高額な予想をしていて、実は偽物だったとか全く価値のないものだったときには「それ見ろ!」というような思いで喜んでしまいます。

そのお宝の説明で「祖父から頂いたものです。」のような言い方をよく聞きます。身内から貰ったことを人に話すのに「頂いた」というのはおかしいと思いませんか。

「マックス敬語」だったでしょうか、ある文を最高の敬語で言いなさいといような番組を、何年か前に2、3度見たことがあります。現代では全く使わないような言葉もあって、実際に使う敬語とは切り離して考えないといけないとの印象を持ちました。

いつ頃からか敬語の使い方に違和感を持つことが多くなりました。その番組が影響しているかどうかははわかりませんが、正しくない使い方を耳にするうちに知らず知らず使っているのかもしれません。

先の「祖父から頂いた」などは、祖父との関係から思わずそう言ってしまったのかもしれません。でもどう考えても弁護のしようもない言い方もあります。

例えば育児放棄されたチンパンジーの赤ちゃんにミルクを飲ませながら「しっかり育って頂いて」と言うのを先日も聞きました。動物園や水族館に関する番組だけでも何度も耳にしています。

思わず「あなたはチンパンジーの召し使いか!」と言いたくなります。

このようなおかしな例でなくても「頂く」の多用や丁寧すぎる言い方が気になります。先日、プリンターの不具合でサポートに電話したときの例です。

「一度プリンターの電源を切って頂いていいでしょうか。」
「それではプリンターの電源を入れて頂いていいでしょうか。」
「次に全面のカバーを開けて頂いていいでしょうか。」
「インクカートリッジのカバーを開けて頂いて、両側のつまみを押して頂いて、インクカートリッジを取り出して頂いていいでしょうか。」

丁寧に話すことは悪いことではないと思います。でも度が過ぎると耳障りになります。いつでも、どこでも、誰に(何に)対してでも敬語を使っているとそれはもう敬語ではなくなるでしょう。普通の話し方があってこその敬語ではないでしょうか。

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