第4部「その後の二人」編(第三者視点)■ 数年後、そして二人は… 駅のホーム。 忙しなく行き交う人の波間に一際目を引く一人の青年の姿があった。 キヨスクの前で、買ったばかりの牛乳を一気飲みするスーツ姿の若い男。 駅では見慣れた風景でありながら、その長身の美しくしなった背筋と仰のいた喉のラインが、 他とは一線を画した印象を与え、傍を通り過ぎる人々の視線を束の間占領していた。 細身でありながらもバランスのとれた広い肩がスーツを無難に着こなしている。 ゴクゴクと動く喉仏が、嚥下されていく白い液体の行方をつい淫らに想像させるその姿。 食道を通過し胃に入り、腸壁に取り込まれ、やがてそれは青年の血や肉となり同化する。 ふと、そのしなやかな若い肉体が白い液体にまみれる姿が目に 浮かぶようで、 衆人の中には青年の肢体にゴクリと生唾を飲む中年男性もいた。 つーと口許から零れた一筋の雫を舌で舐め取り、顎の滴りを無造作に手で拭う。 そんな野卑な仕種も、青年の整った顔立ちの前では誘っているとしかいい様がない。 「ふ…」 溜め息すらその場には似合わぬほど艶めいている青年は、子供の頃から性に対して大らかに育った。 好きな相手が同じ性を持つことで生じる葛藤や軋轢は微塵もない。 それはひとえに彼を導き、育んだ人物のお陰に他ならなかった。 ひと心地ついたらしい青年はビンを捨て、ホームの端まで歩み寄ると携帯を取り出す。 「あ、先生、僕です。今、駅です。お約束のものは?まだ?…あと20分でそちらに行きます。 先生……わかっているでしょうね。覚悟しといて下さい」 最後に物騒な一言を吐いた後、相手の返事も聞かずに通話を切ってしまう。 携帯をしまいながら、その若々しくも男らしい口許にはフッと意味深な笑みが浮かんでいた。 周りの視線も溜め息も眼中にない様子で、青年は階段を駆け上がり、次の瞬間に は雑踏の中に 消えて行った。 ------------------------------------- 『お前も大人になったのだから、外の世界に目を向けなさい』 青年の叔父がそう切り出したのは、今から7年前、青年が二十歳になった年。 いつものように書斎で仕事をする叔父は、訪ねて来た恋人に背を向けたまま、 何でもないことのように告げた。 成人した甥に叔父が口にした言葉は、決別以外のなにものでもなかった。 言葉を受け茫然と佇む青年を振り向いた叔父は、胸の中で月日の流れを痛感していた。 大らかに育てと、体を重ねたどの人間よりも愛しみ、触れ合ってきた肉親の恋人。 誕生の時からその成長を見守り続けた可愛い甥。 向けられた思慕の想いを真摯に受け止め、リスクを承知で愛情を注いできた。 目の前ですくすくとのびのびと育って行く、若く柔軟な心と体。 今では育てた叔父の背丈よりも遥かに大きくそして逞しく育った甥。 いつの頃からか、抱かれるよりも抱くことに興味を覚え、いつのまにか、抱かれるよりも 抱くことを選んだ甥。 組み伏せられた時、この子にならと自ら体を開いた叔父だった。 いくつもの禁忌を乗り越え、強めた絆だった。深めた関係だった。 だが、いつの頃からか叔父の心の中には別れの気配が影を落とし始めていた。 想いを受け入れた時からか。 その大らかさに苦笑した時か。 初めて抱かれてみせた時か。 いつまでもこのままではいられない。つのる不安が日々その影を色濃くしていった。 『叔父さん…叔父さん…』 耳元でいつまでも囁かれる言葉。 抱くことを覚えてから、いや増して恐ろしいまでに自分に執着を見せるようになった甥。 自分の注げる愛情の最後の仕上げに突き放した。 『お前は、もうここにきてはいけない』 それが未来ある甥のためになると信じて、固く握り合っていた筈のその手を放した。 ------------------------------------- 「こんにちわ。七橋出版です。原稿を頂きに参りました」 失礼しますと、慣れた様子で玄関に上がり書斎に顔を出すスーツ姿の長身の青年。 ここの担当になって早半年が経つ中堅編集者。 7年前のあの日、唇を噛み何も言わず去って行った甥との再会は、叔父が想像も していなかった形で実現した。 「こいつは入社当初から新人泣かせの作家先生達にさんざしごかれて育った編集 ですからね。見た目は若いですが頼りになる奴です」 長年世話になった担当者が次期担当者として引継ぎに連れて来たのが甥だった。 「今度先生の担当をさせて頂くことになりました。若輩者ですが宜しくお願いします」 先輩の後に挨拶した青年の眼差しは、別離を乗り越えた焼けつく思いがこもっていた。 ようやくあなたに追いついた。もう放さない。もう離れないと。 そして現在。 「先生。原稿いただけますか?確か締め切りは今日でしたよね?」 慇懃無礼に手を差し出す美丈夫な担当を前に、情けなさそうに項垂れる憔悴した 美貌の中年作家。 「ご承知でしょうが、書き上がるまで僕はここを一歩も離れませんからね。その つもりで」 「…はい」 その辣腕ブリを遺憾なく発揮する甥に、叔父は脅えながらも唯々諾々と頷いた。 今、二人の関係は新たな展開を迎え、公私共にパートナーとなっていた。 第4部.end
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