gift






「女?…好きです」


聞かれればすぐにそう応えていた自分…が遠く感じる、今、この時。

男、柴崎延、26歳。

柔道一直線から仕事一直線の日々は飢えた体を新たな世界へと甘く誘う。


私生活は女日照りの閑古鳥、日々忙しいのは仕事の話。
この不景気でも連日私生活を忙殺されるのは、新規プロジェクトメンバーに抜擢されたはいいが、 下っ端で使いっ走りの悲しい定めか。
「経費節減による定時帰宅奨励、残業軽減推進運動」とデカデカ載せている社内報も、彼にとっては別世界の話。
今日も今日とて、ユーザーの我侭に振り回されて青息吐息で帰社したのは、定時をとっくの昔に越えた午後10時。


「はぁ∼…疲れた」

零れる溜め息の向こう、視線を感じて振り向けば、もう一人の意外なご同輩を見つけ思わず走りよる。

「お疲れ様です。お仲間ですね」

柴崎が声をかけたのは、眼鏡を外し目頭を抑えた同じプロジェクトチームで先輩格の仁科浩一。
彼が向かっているパソコンの画面にはびっしりと連なる取引先のデータリスト。
不良顧客の洗い出しをしているらしい。

「よぉ。お前さんもご苦労だったな。クレームだって?」

チラリと柴崎に目をやった後、仁科の視線は再び画面に張りつけとなり、スクロールする画面の文字を追う。

「はい。注文通りのものを納めたのに、サイズが違うって言われまして…」

「コッチの手配ミスか?」

「いえ、アチラさんです。…でも、前回無理を聞いてもらった手前強く言えなくて…無料引取り交換になりました。 特注品じゃなかったのが救いです」

「そうか…担当が替わってから、アソコはやり辛くなったな…。前の人はこんなことはなかったのに」

「ええ。顔を出す度、この若造が、って目で見られてます」

今、会ってきたばかりの年配担当者の渋面を思い出して柴崎はげんなりする。

「まぁ、ああ言った輩は何を言っても無駄だからな。 気圧されずに踏ん張るしかない…といっても大手が相手じゃ難しいが、な」

「はい。…ところで仁科さんは?残業なんて珍しいですね」

「俺は、やり始めたら止まらない性格でな。別に急ぎの仕事じゃないんだが、切りがつくまでのつもりでやってたら こんな時間になった。お前、飯はどうした?」

「あ、途中で立ち食い蕎麦を流し込みました」

「その体でそんなんじゃもたんだろう。俺もこれで終わるから食いに行くか?奢ってやるぞ」

パソコンを操作する傍ら、仁科は柴崎に労いの言葉と微苦笑を寄越してきた。

「すんません。ご馳走になります」

柴崎は頭を下げる一方で、仁科の鮮やかな手つきに惹きつけられていた。

柔道三昧の青春を送った柴崎は体に見合った関節の太い指をしていた。 携帯の小さなキー操作はもとより、パソコンに触れるのも実は苦手としている。
対称的に仁科の男にしてはほっそりとした先細りの指は、桜色の爪も短からず長からずと綺麗に整えられていて、 軽快に動く様は見ているだけでうっとりとしてしまう。

柴崎は己の礼儀知らずな行為を自覚しないまま、その場に立ち尽くしクレーム報告書の作成もそっちのけで じっと見入ってしまっていた。

「何見てる?」

あまりに熱心に見つめられ、作業を終えて振り向いた仁科の顔は、苦笑を通り越して人の悪い笑みを浮かべていた。

「あ。…いや、すみません。いつ見ても鮮やかな手つきだな…と」しどろもどろの返答に、 仁科は気分を害した様子も無く頷いた。

「そっか、お前苦手だもんな…マシンの扱い。こう言うのは慣れだよ、慣れ。お前もその内自由自在に操れるようになるさ」

「…そうでしょうか」

目の前でヒラヒラと翻る仁科の指先を自然と目が追い駆けてしまう。

「仁科さんの指って見るからに器用そうですよね。その気になればなんでもこなせそう…」

「ふ…。そうだな。その気になれば…案外なんでも出来るかも…な」

意味深に笑った後、仁科は仕事用の眼鏡を外し立ち上がると、椅子にかけてあった上着を羽織った。 一見細く見える体だが、シャツの下には鍛え抜かれた筋肉が隠れている。
仁科も武道をやっていたと知ったのは新人研修で担当になった時だ。仕事の合間の世間話で学生時代の話題になり、 弓の段持ちだと聞いて驚いたのを覚えている。
あの細い指が、キリキリと弦の巻かれた弓を引くのかと思うと意外だった反面、興奮でゾクゾクしたのを思い出す。
仁科がはかま姿で射場に佇むのを想像するのは決して難しくない。
真っ直ぐな背筋はそう感じさせるだけの研ぎ澄まされた雰囲気があった。


「さぁ、ぐずぐずしてると守衛が見回りに来るぞ。残業は10時半までと伝えてあるからな」

「はい。…あ、報告書…」

「それはもう明日の朝にしろ。今からじゃ能率も上がらんだろう。

誰かさんは俺の手もとを見ているのが忙しくて時間を逃したらしいからな」

「…すみません」

柴崎は広い肩を窄め、頭を下げた。
無意識のこととはいえ、改めて口に出されると妙な後ろめたさがあった。

「お前の後姿だけ…、いや、首から下、を見てる限りは…頷けるんだがな…」

会社からほどなく離れた居酒屋でひとしきり飲み食いして落ち着いた頃、仁科がぽつりと呟いた。

「何がですか?」

「お前の…そのホクロがいかんのだな…そうだ、そうだな。…ホクロがまずいんだ…」

仁科は柴崎に話している自覚が無いのか、自己完結し勝手に納得して頷いている。

「仁科さん?何のことですか?俺のホクロがどうかしましたか?」

ホクロと言われて思い当たるのか、反射的に目もとに手をやりながら問い掛ける。

「ああ?…何って、ホクロがな…」

そこでようやく柴崎に自分の呟きが筒抜けだったことに気がついたようで、仁科は気まずそうに口篭もった。

「お前の…な。…お前を見てると、柔道してたっていうのが信じられないんだ、俺は…」

「え?そうですか?大抵の人は納得しますよ?そんなこと言われたのは仁科さんが初めてです」

「そうか…?そうかもな…。うん、そうだろうな。…俺くらいのもんだろうな…」

酔いつぶれた様子は無いのに、仁科は呟くなりカウンターに伏してしまった。酒に強い彼には珍しいことだった。

「仁科さん?…酔ったんですか?」

柴崎は心配になって覗き込んだ。

 「…ほら、そのホクロだ」

仁科は眩しいものを見るように、至近距離に迫った柴崎の顔を見て目を細めた。

「俺は…な。昔っから目もとのホクロにめっぽう弱いんだ。

特にお前のみたいに、…目の隅にちょこんと小さくあるのが…たまらん」

自らの目もとを指差して笑う仁科は、幾分目を潤ませ、いつもとは様相が違っていた。

「見つけた時には、えらくドキドキしてな。…それ以来、お前の顔を見ているだけで…なんていうか…… とにかく、弱いんだ…」うまく言葉に出来ないのかそれきり黙り込んでしまった。

「仁科さん…」

「…こんなこと男から言われると、気持ち悪いだろう? だから、これでも普段は、なるだけ視界に入れないように気にしてるんだ…」

自嘲気味に笑いながら、それでも酒のせいか、仁科の視線は言葉とは裏腹に張りつくように柴崎のホクロを 捕らえたまま放さない。
「変だなんて、そんな。…あの…俺の方こそ、仁科さんの…手に弱いです」

じっと見つめられて尻がこそばゆくなった柴崎は居心地悪そうに座り直した。

「手…?」

仁科はカウンターに伏したまま目許を指していた指を広げて、まじまじと見る。

「そういや、さっきもいやに熱心に見てると思ったが、キーじゃなくて俺の手を見てたのか…」

「ええ、なんか、憧れちゃって…。ほら、俺の手っていかにも柔道してましたっていう指だから」

カウンターの上で広げられた掌は厚みの有る挌闘家のそれだった。

「そんなモンかな?この手がねぇ…」

そこで仁科は口元にふっと笑みを浮かべた。それは先刻もパソコンの前でちらりと見せた人の悪い笑みだった。

「前にな…ヘルスに行った奴がいて。そいつ前立腺マッサージってのに挑戦したらしくてな。

そいつのは思った以上に奥の方にあったらしくて、女の子の指じゃ届かなくてダメだったんだとさ。 そいつが俺の指を見てなんて言ったと思う?」
「その点、仁科さんのは長くて節も出てないから、向いてるでしょうね』だとさ…」

柴崎はなんと返したら良いのか言葉に詰まった。


「お前、…されてみたい?」

「…はい?」

「前立腺マッサージ。お前が憧れるこの指で…してほしい?」

「に、仁科さん!!」

「お前ならできるかもな…。そいつは全然好みの顔じゃなかったから、気持ちの悪いことを言うなって イッパツ殴っといたが。お前なら…、お前のそのホクロを見ながらだと案外出来るかも…な。 どうだ?やって見る?ポイントに当たれば気持ちの良いもんらしいぞ、柴崎」

目の前で意味深に指先をヒラヒラさせる仁科は笑っていた。
 

冗談なのか、本気なのか。その真意は表情からは覗えない。
ただ酔っているだけ…の可能性も大いに有り得る。


「まさか…冗談でしょ?」

と、笑って聞き流すのは簡単だった。でも、その時何かが柴崎に制止をかける。
 

あの、仁科の美しく整えられた細い指先が自分の体の奥を探る。
ひたすら快感の源を求めて力強く体の中を蠢く。


それは、しばらく異性との関係が遠退いていた柴崎の飢えた体に、鳥肌を立てそうなほど強く欲情を煽った。


このまま…頷いてしまいたい。


柴崎は鼻先で揺れる指先に催眠術をかけられてしまいそうな自分を感じていた。
 





−終わり−
 

by.ひより様



故意に乞いか恋の罠にハマる瞬間を思わせる駆け引きの緊張にドキドキ★
仁科のブラックハートをも垣間見たような感じですごいトキメキv
素敵な作品をありがとうざいました。何年たってもお気に入りのお宝です。_七。