久高島で、阿檀(アダン)の実を初めて見た。
敬愛する田中一村氏の絵でしか見たことは無かった。
この阿檀のある道を歩くと、音と風と光のある海に続いていた。
雲が上空を浮遊すると青い影が心地良い。
道・・いろいろな道が言われるが
武士道というと、貫くとか妥協しないといった響きの印象がある。
道が付いていることで、生き様や生涯かけてという意味も備わる。
奄美で阿檀を描いた氏も、画の道を生きた。
自分の『画道』が、そう言えるかどうかは
作られた公道に満足するか
それとも、自らと対話して切り開くか
流れ作業や固まりのままか
それとも、脱皮を繰り返すかによると思う。
現代はピサの斜塔よりも傾斜していて
いつ倒れてもおかしくない気がする。
絵の具だっていつまであるか
そんな不安まで感じて描いている。
でも、何も無くなっても
描かずにはいられないのが絵描きの道だと思う。
飢えた人が、砂を食べようとするのと同じように
砂に指ででも描かないと
生きていけないはずだ。
そんな道であるように、この弱い私は願っている。
阿檀のような沢山の実を付けた足跡がとは
驕った希望だから、せめて草が生えるような道でありたいものだ。
新年2011年を迎えられたことを、お世話になった皆様に
心から感謝しております。
どうか良い年となりますように。
今年もよろしくお願いいたします。