そろそろ秩父も、紅葉が輝きだす季節。
アトリエのすぐ近くの川に 紅葉(もみじ)が落ちる。
青々とした葉は、若さの冠
葉が紅く染まるのは、生涯を閉じて
潔く散るフィナーレの冠か
生涯寺を持たず、自ら歩いて周り、簡単な言葉(格言)によって
一般庶民に解り易く仏法を説いたとされる良寛和尚が、
こう読んだという・・
「うらを見せ表を見せて散るもみじ」
真っ赤で色鮮やかな面だけが、紅葉(もみじ)ではない。
人は『こちら側』だけ見せて『自分はこういう人』と
護ろう(防衛)とする。
しかし実際は、醜い面、いたらない面・・欠点が多々ある。
特に自分などは、欠点の塊だと時々思うものだ。
しかし、信じれる自分もいる。
もみじは両面を(裸すべて)を見せて、潔く散る。
いさぎよいとは清潔さも感じさせる・・だからこの字なのだろう。
私も 自分の裸(内奥の吐露の絵)を 潔く描いていきたい。