騎士団の怪人/完結編その1


疲弊した身体を引き擦るようにカミューは自室を目指していた。
昼間行われた閲兵式が苦々しく思い返される。
現在、赤騎士団は非常事態の真っ只中にある。あんな実のない、単なる顔並べに時間を割いてなどいられないというのに、ゴルドーの愉悦を満たす目的で召集されねばならないとは、まったく迷惑極まりない。
御陰で、ただでさえ山積している懸案に手を付けられず、終課の刻限を過ぎても詰め所を出られなかった。結果、難題を共有する小隊長たちと親交が深まったのは幸いと言えなくもないが、現状への憂いはやはり大きい。
位階者たちの連続した退団が何者かによる脅迫によるものらしいと、無論カミューも聞き及んでいる。その一方で「性情好ましからざる位階者が消えた」と団員たちが喜んでいることも。
「ファントム」なる脅迫者は、今や赤騎士団員に英雄扱いされているのだ。淀んだ団内に風穴を開け、実力と情の伴う騎士に位階を与える裁きの人、と。
とは言え、行為自体は褒められたものでなく、いつまでも放置しておける問題ではない。「ファントム」の目的が何処にあろうと、赤騎士団が混乱に陥っているのもまた事実なのだから。
せめて位階者の退団が一段落すれば追求のいとまも出来るだろうに───そんなことを考えながら廊下の最後の角を曲がったとき、カミューは自室の扉の前に立ち尽くす影に気付いた。噂の「ファントム」かと身構えたのも束の間、訪問者は自団の第一部隊長であった。
隊長職に就いて以降、常にカミューは周りの騎士隊長たちの態度や言葉尻の端々に蔑みめいたものを感じてきた。出自を思えば諦めが勝ったが、ならば騎士団が掲げる「実力第一」の信条は何なのかと落胆を覚えた日もある。
中でも第一隊長は、カミューを快く思わぬ位階者の急先鋒たる人物だった。他の隊長たち──もう殆どが退団したが──の中心になって、何かと厭味を吐いたり、落ち度とも言えないような事柄まで論ってきた男なのだ。
そんな相手が部屋を訪ねてくる理由が量れず、カミューは別の意味での緊張に身を固くした。が、思いがけず第一隊長の口調は穏やかであった。
「遅かったのだな、随分と待ったぞ」
「申し訳ありません、引継ぎ後の整理が進まず……御用があれば、わたしの方から出向きましたのに」
どういう風の吹き回しかは置いても、これは機会かもしれない。日々のつとめを円滑に進めるための努力なら惜しむつもりはない。これで和解──と言うより、一方的に疎まれているだけだが──に持ち込めるなら、と丁寧に礼を取ったところ、男は伏し目がちに廊下の左右を窺って、軽く扉を小突いた。
「立ち話も何だ、入れてくれ」
カミューは施錠を外そうとし、ふと眉を寄せた。乱雑に散らかった室内を思い出したのだ。
ただでさえ自らを好ましく思っていない相手を招き入れるのに最善の環境とは言い難い。場所を移すことを進言しようかとも考えたが、ひどく周囲を気にしている第一隊長は、これ以上待たせれば機嫌を損ねそうだったので、逡巡を捨てて扉を開けた。
カミューに先んじて部屋に滑り込んだ男は、積み上がった私物の山を気にするでもなく、さっそく文机の椅子を引いて腰を下ろしている。
上位者と自室で、しかも一対一で相対すのは初めてだ。椅子を取られてしまったが、寝台を使うのも無作法に思われる。やむなく立ち尽くしていると、座るように促された。どうやら長い話になるらしい。
「雑然としていて申し訳ありません、片付ける時間が取れなかったものですから……」
言い訳がましいかと思いつつ頭を下げると、第一隊長は初めて室内を一望した。そして小さく首を振る。
「……そのままにしておけ。どうせすぐに部屋替えだ」
「えっ?」
反射的に聞き返したカミューに、男は自虐的な笑顔を見せた。
「早ければ今夜中にも、第二隊長が辞表を提出する。もっとも、自力でそれが書ければ───だがな」

 

それは、これまで幾人もの騎士隊長を退団へと追い込んだ「ファントム」の脅迫行動の中でも最も壮絶なものだったと言えよう。
破損した軍靴の替えを求めて自室へと向かった第二隊長は、閲兵式の後、捜索に訪れた副官以下数名の部隊騎士によって発見された。
扉を開けた途端に立ち昇った異臭と、箪笥の前で片足のみ軍靴を履いた状態で卒倒している第二隊長。
因果関係を察するのは容易く、だが部下たちは一瞬だけ救出を躊躇した。何故なら彼らは、もはやこの部隊長に忠誠心を奮い起こすのが困難になっていたからである。
何につけても権威をひけらかすばかりで、まるで敬意を持てない人物。どんなに献身を捧げたところで、慰労めいた言葉ひとつ洩らすでもない上官。
配下の騎士たちは冗談混じりに、半ば本気で「次はうちの隊長に相違ない」などと囁き合っていたのである。
密やかなる願望が達成された光景───しかしそれは、凄惨の一言に尽きた。出来るものなら触れたくない、それが一同を躊躇させた今ひとつの理由である。
暫しの後、副官としての使命感に衝き動かされた騎士が意を決して歩み寄ったが、仰向けに倒れた第二隊長は身じろぎもしなかった。ただ、泣き笑いのような表情を浮かべたまま虚ろに宙を見据えるのみ。
そんな変わり果てた姿を見た部下たちは、仄かなる憐憫、そして次には、人柄的に信頼の置ける第三隊長の繰り上がりを確信しての喜びを噛み締めたのだった。

 

「そのまま診療室に運ばれたが、今をもってして自失状態が続いている。もはや復帰は望めまい。今頃は医師たちが団長に事情を説いて、退団の手配を進めていることだろう」
第一隊長は疲労の境地といった溜め息をつきながら言葉を切った。黙して聞いていたカミューが躊躇がちに口を開く。
「またしても「ファントム」の仕業ですか。いったい何が起きたというのです?」
すると男はくしゃりと顔を歪め、聞き取り難い小声で答えた。
「……馬糞だ」
「は?」
「靴底に、たっぷりと馬糞が入っていた。彼はそこに、思い切り足を突っ込んでしまったのだ」
うッと息を詰まらせたカミューだが、かろうじて沈着を保つのには成功した。神妙な表情を守ろうと努めながら低く呟く。
「……どうして靴を履く前に気付かれなかったのでしょう」
「風邪気味で鼻が利かないと言っていた。それに、閲兵式の刻限が迫っていたから、注意も散漫になっていたのだろう」
第二隊長は、足裏が靴底に落ち着いた刹那で自らに降り掛かった悲劇を悟った。しかし彼には、閲兵式を欠席する旨を伝えるどころか、軍靴を脱ぎ捨てる余裕もなかったのである。
「明日の朝には中央会議が召集されるだろう。そして、またもや位階変動……貴様が使う部屋も変わる。だから片付けても意味はない」
それを聞いて、カミューは少なからず胸を痛めた。
第二隊長の欠落によって繰り上がるのは、日頃から何かと気遣ってくれる第三隊長だ。部屋替えが行われる日までに馬糞の臭気が消えれば良いのだが、と願わずにはいられない。
それにしても、と彼は切り出す。
「もはや捨て置けません。何らかの手立てを講じるべきかと考えます」
第一隊長は、ちらとカミューを窺い見た。
「本当にそう思うか?」
「勿論です」
「……彼奴が貴様のために動いているとしても、それでも同じように言うか?」
え、と瞬くと、男は苦笑めいた表情になった。
「やはり知らなかったか。自分に関する噂には疎いという話は本当だったのだな」
「ど……、どういうことです?」
「奴、「ファントム」が位階者を退団に追い込んでいるのは、カミュー、貴様を昇進させるためだ。そのために邪魔な騎士隊長に嫌がらせを重ね、自ら位階を退くように仕向けている」
絶句する青年を見詰めているうちに、第一隊長の視線は僅かに柔らかさを増した。
「……意地を張り続けていたのが愚かだったようだな。もっと早く貴様を頼っていれば、今のような事態は防げたやもしれぬものを」
「お待ちください」
カミューは慌てて遮った。
「これまでの諸々が、わたしのために行われたと……?」
そうだ、と第一隊長は力なく頷く。
「事の起こりは……そう、貴様が隊長職に任ぜられた中央会議だ。貴様を叙位させろという脅迫めいた文が議場に投げ込まれたのだ。無論、我ら先任の位階者が、脅しに屈して貴様を選出したと考えて欲しくはないが」
そこに至るまでのゴタゴタを伏せたのは、せめてもの矜持である。そんな男の胸中を知らぬカミューは、素直に一礼した。
「だが、それだけでは「ファントム」は満足しなかった。あるいは要求が受け入れられたと増長したのやもしれぬ、その後も脅迫は続いた」

───カミューに劣りながら上位に就く位階者は退け、さもなくば禍を。

「ファントム」が寄越した脅迫状の内容を聞き、カミューは小首を傾げた。
「わたしより劣る、というのは……何を基準にしての条件でしょうか」
さあな、と第一隊長はそっぽを向いた。思い当たる節があり過ぎて、それでいて口に出して認めるのは流石に耐え難かったのである。
「ともかく、彼奴は己の判断基準に見合わぬ隊長に攻撃を仕掛け、退団へと追い込んだ。貴様も今や第四隊長……いや、明日には第三位階を賜るだろう。事は「ファントム」の目論見通りに進んでいる」
そうして第一隊長は、「ファントム」捕縛作戦の度重なる失敗を、自らが知る限り詳細に語った。
黒マントに白仮面といった風体や、騎士隊長らが受けた脱力しそうな攻撃の内容については、そこそこカミューも聞き及んでいたが、敵が泥水攻撃を仕掛けた際、まともに顔を合わせた騎士が在りながら拘束に至らなかったとは初耳だ。その点を指摘すると、第一隊長は気まずそうに答えた。
「半端に情報を伏せたのが裏目に出たのだ。早いうちに「ファントム」の狼藉を全団員に伝え、注意を喚起しておけば良かったのだろうが……」
悔んだところで後の祭りである。今更蒸し返したところで意味はない、とカミューは追求を諦めた。
それにしても、一月にも渡って赤騎士団を揺るがしてきた事件の数々が自らに起因しているとあっては、穏やかではいられない。カミューは深々と考え込んだ。
無位であった頃より、隊長位に昇格出来ない我が身を周囲に嘆いた記憶はない。まして、自らを昇進させるために暗躍するような人物の心当たりもない。騎士団内における友人は所属の異なるマイクロトフくらいだし、彼は赤騎士団位階者たちの妙な優越意識を批判こそしていたが、脅迫などという行為の対極に存在する男だ。
やがてカミューは、おずおずと口を開いた。
「……わたしには「ファントム」なる人物も、何故その者がわたしを昇進させようとしているのかも思い当たりません」
第一隊長は探るような面持ちで問い返す。
「だが、その人物を捕えるべきだと言った。その言葉に偽りはなかろうな?」
「勿論です」
これまで以上に、その思いは強くなっていた。「ファントム」が自らのために動いていたというなら、何としても理由を知らねばならない。
きっぱりと頷いたカミューに満足したのか、第一隊長は居住まいを正した。
「貴様を信じよう。ではカミュー、早速だが……今宵一晩、わたしと共に過ごして貰いたい」

 

 

 

第一隊長の自室には、これといった異変は見当たらなかった。浴室や箪笥、寝台の下や窓といった箇所を入念に調べた後、カミューは戸口で待機する男へと向き直る。
「特に問題はないようですが……」
報告を受けて漸く室内に足を踏み入れた騎士隊長は、相当に気を張っているらしい様相で、再度確認しながら椅子の一つに腰を下ろしている。動作を見守っていたカミューが小声で問うた。
「……考え過ぎではないのですか? 今宵「ファントム」の襲撃があるとは限らないでしょう。それに、あなたが標的になると決まった訳でも───」
「いいや、彼奴は来る」
鋭く遮って首を振り、第一隊長は唇を歪めた。
「今宵、わたしを退けるために行動に出る。忌ま忌ましいことだが、彼奴は宣言を遵守してきたからな」
そう言って懐から取り出したのは一通の書状である。カミューが受け取る間に男は続けた。
「閲兵式の後、詰め所の机に置かれていた。襲撃の予告だ」
驚いて書面を覗き込むと、奇妙に角張った文字で次のように記されていた。

 

『今宵、貴公で終わらせる。自ら位階を退くも良し、猶予は日が変わるまでとさせていただく』

 

「本日中に退団の意思を示せば手は出さない、さもなくば───という脅しだ。辞めていった連中も同じものを受け取っていたのやもしれぬ。こんな脅しに怯えるとは不甲斐ないと馬鹿にしていたが、いざとなると嫌なものだ」
第一隊長は自嘲し、間近に座したカミューを窺い見た。
「彼奴に狙われた騎士隊長には共通点があった。分かるか、カミュー?」
カミューは返答に窮して口篭る。もともと答えを期待していなかったのだろう、第一隊長はすぐに言葉を接いだ。
「貴様の隊長位昇格に賛意を示さなかったという点だ。もっとあからさまに言えば、貴様という存在を快く思っていなかった人間……だな」
口にするなり気が楽になったのか、男は寧ろ明るい調子で続けた。
「出自だの、年齢だの、そんなものは後からつけた理由に過ぎぬ。騎士団で半生を過ごしてやっと手にした位階だ、それまでの労苦の分だけ長く満悦に浸りたい、誰にも譲りたくないと考えるのは当然ではないか。なのに、貴様のように若く優れた後進が現れ、刻々と迫ってくる。後ろから追い立てられる焦燥は、追い掛ける身には分かるまい」
「…………」
「我らは貴様が妬ましかった。若く、才覚に溢れ、挙げ句、人の心を惹きつける容姿にまで恵まれて……無視しようと努めても、それすら叶わない。ひとたび貴様を騎士隊長位に昇らせたが最後、もはや止める手立てはなくなる。位階を飛び越えられる屈辱は、どうあっても耐え難い。故に我々は、貴様以外の、我々の手で御せる従順な騎士を昇格させるよう尽力した」
そこで男は長い息をついた。更に零れる声音には愛惜が溢れていた。
「だが、そうして保身に走るあまりに本質を見失っていた。足元に留意するのを失念するようになっていた。わたしは聞いてしまったのだ、第二部隊騎士たちの会話を……。上官が退団する旨を聞いても、惜しむものは誰一人としていない。それどころか「やっと辞めてくれるか」とまで言われていた」
それが騎士たちの本音にせよ、惨い一撃だ───最後の標的と名指しされた男には。
カミューは痛ましげに顔を歪めた。
「わたしも同じように囁かれるのだろう。今宵、襲撃に備えて警護を命じたところで、心からわたしを案じて応じてくれる部下はいまい。そう考えたら、身体中の力が抜けていくようだった。これまで何を守ろうとしてきたのか、とな」
騎士隊長は再び長く湿った溜め息を吐き出した。
「別に、蛙や生ゴミや馬糞から逃れたいがために、貴様に頭を下げる訳ではない。いや……、逃れるに越したことはないが、決してそれだけではないのだ」
彼は熱を帯びた眼差しでカミューを見詰め、早口に言い添えた。
「副長たちが「ファントム」の敵意を浴びなかったのは、彼らが貴様に好意的に接してきたから、という理由ばかりではなさそうだ。地位に甘んじず、下の者に慈愛を忘れない、そんな姿勢が「ファントム」にも評価されたのだと、今はそう思えてならない。わたしは、時間が欲しいのだ。隊長職に任ぜられた頃の気持ちに戻って、やり直したい。そして、いつの日か騎士団を辞す際、一人でも良い、惜しんでくれる騎士が居てくれたら、と……それが最後の願いなのだ」
斯くも苦しい胸のうちを包み隠さず明かされて、カミューは背を正さずにはいられなかった。
「そこまで思い詰めていらしたとは……。どうか御自身を卑下なさらないでください。たとえ今、このときに騎士団を辞されようとも、わたしはあなたを惜しみます」
聞くなり第一隊長は引き攣り笑った。
「う、うむ……。気持ちはありがたいが、どちらかと言うと、辞さなくて済むように力を貸して貰いたいのだが……」
「了解しております。しかし……わたしが一晩お傍に控えるだけで解決になるのでしょうか?」
「部屋に仕掛けを施していない、つまり彼奴が動くのはこれからなのだ。どのようなかたちにしろ、こちらの様子を窺っているのは間違いない。そこに貴様が居るとなれば、少なくとも行動に迷いを生じる筈だ」
成程、とカミューは理解した。
第一隊長の分析が正しければ、「ファントム」の攻撃対象となる位階者の第一の条件は「カミューの出世を阻む者」、あるいは「カミューに反感を抱く者」だから、仲睦まじく語らう二人の姿を見せれば、再考の可能性も皆無ではないだろう。
カミューとしては、騎士を召集して非常線を張り、「ファントム」捕縛に打って出て一連の騒動に決着をつけたい。が、第一隊長には反撃に転じる気力も残されていないようだ。何とか今宵をやり過ごし、敵の意識転換に期待を掛けるという、消極的な発案が精一杯なのである。
第一隊長が自らの騎士人生や位階の在り方を見詰め直したのは歓迎すべきところだが、今ひとつ姿勢に雄々しさが欠けるように感じてしまうのは、自身の見方が厳し過ぎるのだろうか───
こっそり首を傾げながらも、カミューは「歓談」ぶりが外からも見えるよう、部屋中のカーテンを開け放つために立ち上がったのだった。

 

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あああ、前回の
冗談半分の後記が現実に……(倒れ伏し)
その2は赤vs怪人、
終わらせます、今度こそ本当に。

にしても、この話の赤ったら
天然っぽく意地悪ちっくだなー(笑)

 

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