しばらく大人しくしていた『ムクムク』だが、赤騎士団長を模倣して優美な笑みを浮かべてきりりと立ち尽くすことに飽きてしまったのか、次第に態度が崩れ始めた。
体毛に覆われていない身体が気になるのか、あちこちポリポリと掻いてみたり、その場にしゃがみ込んだりする様は、むささびだったら可憐なのかもしれないが、人の───それも端正な美貌を誇る青年の───ものであるだけに、何とも情けなく珍妙である。
そのたびに仲間たちは叱咤激励に務めたが、終いには如何なる声にも応じなくなり、城の階段にへたり込んで鳴くという暴挙に出た。
「ムムム〜〜ムッ! ムムッ、ムーーーー!!!!」
「ム、ムクムク! ここは人目があるから……」
「黙れ、こら! やかましーっつーの!」
「ムクムク殿、頼みます! カミューの風評を損ねるような真似は……」
「ムム〜……ム?」
それぞれが必死の説得にあたるが、不機嫌なむささびは一切を受け入れようとはしなかった。挙げ句の果てに、階段の踊り場にすっくと立ち上がるなり、両腕を大きく左右に開く。
これは見慣れた飛翔のポーズだと察知した途端、仰天したビクトールとフリックが左右から飛びついた。
「ま……待て待て待て!! 今のおまえは飛べないぞ……多分!!」
「落ちたらカミューが怪我するだろう!」
赤騎士団長を両側から取り押さえるくされ縁。
『ムクムク』の行動に青ざめたのはくされ縁ばかりではない。マイクロトフが出遅れたのは、愛しい『カミュー』を抱いていたから、ただそれだけである。
赤騎士団長の肉体は、踊り場で潰れたカエルのようにうつ伏せに押さえ込まれ、虚しくもがいていた。
階段を行過ぎる住人たちは、その光景を見て見ぬ振りをしている。
蒼白になってむささびを抱き締めている青騎士団長、二人の男に上から圧し掛かられて手足をバタつかせている赤騎士団長、そして疲れ果てて手摺に身をもたせかけている指導者の少年────関わらない方が良さそうだと無意識の保身が働くようだ。
「……このままじゃ、ビッキーのところへも連れて行けないな」
喚こうとする『ムクムク』の口を掌で塞いでいるフリックが力なく呟く。
「それどころか……ただでさえ危なっかしい魔法を食らうってのに、こう落ち着きがなくっちゃなあ」
片や『ムクムク』の腕を後ろ手に捩じ上げて掴んでいるビクトールも同意する。
見た目には麗しい赤騎士団長をくされ縁が邪な行為で穢そうとしているかのような、非常に危なげな光景であった。
「と、とにかく。一旦部屋に戻って休んでてください。ムクムクには何か食べ物でもあげて……その間に、僕がビッキーに話してきます」
流石に幼くとも一軍を率いる少年、ウィンは男たちに冷静な指示を与えた。しかし、ビクトールが顔をしかめて首を振る。
「あー……ビッキーんとこにはおれが行く。ウィン、おまえはムクムクを頼むぜ」
「そうだ、今のこいつを制することが出来るのは……おまえしかいないよ」
溜め息混じりにフリックも同意する。
マイクロトフとしては、そんなことよりもいつまでもカミューの身体を潰しているのは勘弁していただきたいと主張したい気持ちが山々だったが、ここでは不適切であろうという微かな理性が残っていた。
「うん……じゃあビクトールさん、お願いします。あ、騎士の方が訪ねてきちゃうと困るから、僕の部屋を使います。集合はそっちで……」
「そう言えば、腹が減ったな。おれはレストランに行って何か食料を仕入れてくる」
ようやく『ムクムク』を解放した二人が両脇から彼を支え起こし、無造作にウィンに突き出した。苦しかったのか、やや元気を殺がれた『ムクムク』は幼馴染みの少年に抱きつき、哀しげに声を洩らす。
「ムム〜……」
「ああ、うん……わかったから。さあ、部屋へ行こう」
『ムクムク』は背後からウィンの首に両腕を回した。むささびの身体のときにはそれで充分に少年の背に乗ることが出来たのだろうが、長身の青年ではそうはいかない。
マイクロトフは、指導者の首にへばりついてずるずる引き摺られていくという慕わしい姿の慣れの果てに、密かに涙を飲むのだった。
少しして、ウィンの部屋に一同が揃った。
すぐにでもビッキーに術を施してもらいたかったのだが、戻ったビクトールによると、彼女は料理人ハイ・ヨーの試作のワインゼリーを食べてほろ酔い気分になっているらしく、このままテレポート魔法を受けることは非常に危険を伴うように見える、とのことだった。
やむなく彼らは解決を日延べするしかなかった。
はしゃぎながら腹ごしらえを終えた『ムクムク』は疲れてしまったのか、幾度もあくびをしながら目を擦っている。これでようやく落ち着いて話すことが出来そうだと、男たちは切ない安堵の息を吐いた。
「これまでの情報から考えるに、どうやら昨夜カミューとムクムクは同じ夢を見たらしい。その間に身体から離れていた魂とやらが……戻るときに間違って相手の身体に入った、そういうことらしいな」
フリックが整理すると、ビクトールが苛立たしそうに舌打ちした。
「本当かよ……何だか信じられねえな」
「人間にはまだまだ解明し切れない謎があるからな、取り敢えずそういうことにしておこう」
「カミュー……おめー、いったい何の夢を見てたんだ?」
そろそろむささびが優美なる赤騎士団長であることに慣れてきて、ビクトールは軽く問い掛ける。それでも目を向けた途端、『しんくのマント』でぐるぐる巻きにされた姿に哀れは覚えたが。
問われた『カミュー』は急いで筆を握った。ちなみに、今もマイクロトフの膝の上である。マイクロトフの支える紙面に一生懸命に文字を綴っている彼は、どうやらそこを定位置と定めたようだ。
「ええと……なになに? 『ぷりんをたべた』……? プリン? プリンって、あのプリンか?」
驚いてフリックが聞き返すと、むささびはこっくりと頷いた。
「何でまた……プリン……??」
首を傾げていると、ふと思いついたようにマイクロトフが口を開く。
「夢とは、意識の上で強く印象に残っているものが現れると聞いたことがあります。昨夜……カミューはワインの肴にプリンを食べていました。その影響ではないでしょうか」
だが、その発言は他の意味で一同の息を詰まらせた。
「ワインにプリン? 嘘だろう?」
「嘘ではありません、カミューはプリンが好きなのです」
「い、いや……好みにケチつけるわけじゃねーけどよ、何でまた……酒の肴に……」
「い……意外と気持ち悪いことしてるんだな、おまえ……」
恐々としているくされ縁だが、当の『カミュー』は照れたようにもじもじとしている。そんな彼を幸福そうに見下ろしながらマイクロトフは言った。
「好物を口にしているカミューはとても嬉しそうで、見ているだけで……おれは……おれは……」
「う、うん。分かるよ、マイクロトフさん……」
ウィンがやや引き攣りかけた頬で笑った。
「ムクムク……すると君もプリンの夢を見たの?」
「ムッ?」
うとうとしていた『ムクムク』は、少年に問われて少し考えた。
「ムム〜……ムムム、ムムッ、ムー……」
「…………カミュー……何て言ってるか分かるか?」
脱力しながらフリックが聞いたが、『カミュー』が答える前にウィンが言う。
「大きくてとても美味しかったのに夢で残念、って言ってる……みたい」
「分かるのか?!」
ウィンは眉を寄せて考えたが、はっと気付いて頷いた。
「試しに『ききみみの紋章』を懐に入れてみたんです。だからかな、何となく通じるような……」
『カミュー』の時間の掛かる通訳よりはよほど使える、と男たちに力が入った。
マイクロトフが身を乗り出す。
「では、ウィン殿。ムクムク殿に聞いていただきたい。何故、カミューの寝床で寝ていたのか」
愛する青年と固く抱き合って眠っていたことが、そもそもの発端なのだろう。それはマイクロトフだけではなく一同の疑問でもあった。
注目を集めた『ムクムク』は、妙にカミューじみた仕草で肩を竦めて唸った。
「ムムーー……ムム? ムムムムム〜……」
何とも気障ったらしいポーズをつけて、ふっと息を吐いてみたりしている『ムクムク』の様子。案の定マイクロトフに抱かれた本当の赤騎士団長は、見るに耐えないといった表情で目を伏せた。
「ウィン、何だって?」
しかし少年はそこで思案に暮れた表情を見せた。
「……ええと……聞くなよ、野暮だぜ……と言っているような……」
「あ?」
ビクトールは壁際に腰を下ろしている赤騎士団長の身体を見詰めた。
「それって……夜這いか、こら」
「な────何ですと?!」
不用意な指摘に思わず激昂しかけるマイクロトフを見て、ウィンは慌てて首を振った。
「マ、マイクロトフさん! ほら……僕の通訳、正しいかどうかわかりませんし! 深く気にしないでください」
「し、しかしっ、ウィン殿……!」
マイクロトフはおさまらない。
ただでさえ、愛する青年の仕草を模倣されて、それが何故か妙に気に障るものだから気が立っている。『カミュー』を小脇に抱え直すと、改めて『ムクムク』に詰め寄った。
「真面目に答えられよ、ムクムク殿! 貴君は何の目的でカミューの部屋に忍んでこられた?! 事と次第によっては……この青騎士団長マイクロトフ、貴君に決闘を申し入れ────」
「マイクロトフ」
すっかり疲れ果てた声のフリックが呼ぶ。
「……無駄だ、寝てるぞ」
「…………なっ……?!」
言われた通り、『ムクムク』は眠っていた。
何と見事な寝つきであろう、長身を丸めるようにして彼は床に転がり、すこやかな寝息を立てている。黙っていれば愛しいカミューの姿、マイクロトフの怒りは殺がれた。
「カミュー……」
知らず呼び掛ける声に、片腕に抱かれたむささびが切なげな目を向ける。
「ともかく、寝かしておけば静かでいい。しょうがない、ビッキーに頼むのは明日にしようぜ」
ビクトールの提案は、必要以上に疲れた一同によってすんなりと受け入れられた。